おっちょこちょい 4
「アーニャ! 起きな、 アーニャ!!」
「むにゃむにゃ、ベネットしゃん、そんなことしちゃらめれす……」
「こぉの、色ボケ女ーー!!」
ディアナが勢いよく掛布をはぎ取ると、アーニャがベッドから転がり落ちてイターーーーと叫んだ。
「ディアナしゃん、ひどひっ」
「点呼二十分前! 今日は手伝わない!一人でやんな!」
「そんなーー!!」
慌てて走り出そうとして掛布に足を取られてすっ転んでいるアーニャを尻目にディアナは廊下に出る。アーニャとベネットが恋仲になって以来たまにベッドの中でぐふふと笑っているアーニャを不気味に思いながらも、毎朝叩き起こしているディアナだが、流石に今朝のセリフは意地悪もしたくなると言うものだ。
ディアナ自身はこの容姿の所為で男が寄ってきちゃあ、何だ? と話せば幻滅して去っていくという繰り返しで、男というものに何の感情もないのでアーニャがのろけても、あ、そ、という感想しかないのだが。
嬉しそうなアーニャを見るとこちらも何だか伝染してきて、まあ、いいんじゃない。とは思う。
いつも遅刻寸前で歩いているので、今日は普通に時間があるのにもかかわらずさっさかさっさかと歩いていると、厨房の入り口を抜けた先の角で近衛兵とぶつかりそうになった。
「失礼、レディ。大丈夫ですか?」
ぶつかってもいないのに腕を触ろうとしてきた騎士、カイト・バークリーを手をバシッと跳ねる。
「最近若いメイドに手を出しているという噂になっていますよ、バークリーさま。そろそろお辞めになった方が身のためかと。あと、アーニャに手を出したら承知しないから。逃げた魚を追うような真似をしたら私ともう一人が黙っちゃいないよ。北に送り返されないように気をつけな」
最後はドスを効かせたセリフを吐き、青い目を睨みつけて後にすると、丁度従業員食堂からベネットが出て来た。
「おや、おはようございます、ディアナさん。今日は……いつもより早いですね」
ディアナがこの時間にいることに少し眉を寄せたベネットに、ディアナはおはようございますベネットさん、と応えて、あとは小声で言う。
「色ボケ女の寝言をくらって早く出て来たんです。……髪、手間取っていると思うので行ってやって下さい。点呼後の指示は私がお願いしておくからさ。あと、カイト・バークリーの事だけど」
後ろを振り返ると近衛騎士は慌ててディアナ達とは反対の廊下へ立ち去る所だった。ディアナはその後ろ姿を舌打ちしながら見て、手短に先日またアーニャに偶然を装って気を引こうとしていた件を伝え、先ほど牽制した件も伝えた。
その言葉にゆっくりと微笑したベネットは頷くと、ありがとうございます、ディアナさん。私の方からも、お話しておくことにしましょう。と笑いながら黒いオーラを出した。
あ、ああ、よろしく、お願いします。とディアナも頷いて即、側を離れる。
では、と言って廊下の角を左へ曲がっていったベネットを見送りながら従業員食堂に入ろうとした所で、あ! 二人の朝食! と気付く。
ディアナが慌ててベネットを追うと、廊下の途中で厨房に向かって手を上げたベネットを見かけたので、ディアナは安心して自分の朝食を食べに従業員食堂に向かった。
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「まにあわないまにあわない、どうしよう!」
バタバタと着替えまでは素早く出来たが髪がまとまらない。少し太い髪質のアーニャの髪は一つにまとめる事はできるのだが、そこから、おだんごにするとゴムの紐がゆるんできっちりと結んだ感じが出ないのだ。
それを見越してディアナはいつも、アーニャが痛がるぐらい髪をきりきりと引っ張って固くゴム紐で結んでいた。
そしていつもディアナにやってもらっていたアーニャは久しぶりに自分で髪を結ぶものだからやってもやっても上手くいかない。
「どうしよう、あと七分!」
窓際の文机の置き時計をちらちら見ながらやるのだが、焦るばかりでまた失敗した。
もう一回! と髪を束ねたら扉をノックする音がした。
誰?!
この時間に尋ねてくる人なんていない。
ばさりと髪を垂らしてドアの前ではいっと声だけ返事をすると、アーニャさん、私です。と夢にまで見た声がした。
「はひ?! ベネットさん?!」
慌てて扉を開けると、アーニャの上司であり恋人のベネットがいる。
「ど、どうされたのですか?!」
「おはようございます、アーニャさん」
「あの、点呼は」
「アーニャさん?」
「あああ、おはようございます、ベネットさん」
「よろしい。ですが本来ならば朝会った時に何があっても挨拶を先にするものですよ?」
「はい……申し訳ありません、ベネットさん」
「次から気をつけて下さい。それから、やはり髪がまだでしたか。ブラシを持ってきて下さい」
「はひ?!」
「髪を結います」
「大丈夫です、大丈夫です、自分で出来ます!」
「あなたが出来ないと見越したので私がここにいるのです」
「でも……」
「アーニャさん? 時間は刻々と過ぎているのですが?」
「……はい、ベネットさん」
観念したアーニャは頷くと、でも、ともじもじした。
「あの……恥ずかしいのでこちらに入ってやってもらってもいいですか?」
流石に廊下で髪を結ってもらうのは忍びないとアーニャがベネットに言うと、しばらくピタッと固まったベネットが、すっと眼鏡を内ポケットに入れるとゆらりと何かのオーラを出してアーニャの至近距離に迫った。
「アーニャさん、今、とても時間がない、というのは分かっていますね?」
「は、はひ」
「曲がりながりにも男を部屋に連れ込むというのがどういう意味か知っての発言と捉えて、私は行動しますが、それでいいですね?」
「は、え? ええ?」
アーニャはベネットのあまりの剣幕に一歩下がった。それを見てベネットはまた眼鏡をカチャとかける。
「仕事を放棄したくなる発言は控える事」
「は、はひ?」
「今度の休日は覚悟しておきなさい、という意味です」
「な、な、何を?」
「いいから、ブラシを」
は、はい、と、とりあえずヘアブラシをベネットに渡すと、後ろを向いて下さいと言われ、アーニャはベネットに背を向けると、ブラシではなくベネットの手が襟足から入ってきて優しく髪をときほぐした。
「たん…っ」
やだ、なにこれ……
ベネットの手が襟足を軽く触れるたびに背中がぞくぞくとする。
「アーニャさん」
柔らかい声が耳元で囁かれ、びくっと身体が震えた。
いつの間にか背後から腰に手が伸びてきて、一瞬抱きしめられたかと思うと、かふっと耳たぶを甘噛みされた。
「ひゃんっ!」
飛び上がりそうになるのをベネットはまた一瞬だけ強く抱きしめて止めると、
「今はここまで」
そう言って、サッサッとアーニャの髪にブラシを入れると、あっという間にまとめ上げてしまった。きつくもなくゆるくもない絶妙な止め具合と、それから。
「煽るのはそれぐらいにしておいて下さい。流石に私ももたない」
くるりとベネットの方に身体を向かせられて結い上げの出来を見ながら柔らかく言う声に、アーニャこそ身がもたない。
「ベネットさんこそひどいです……朝食の時間がなくなっちゃう」
「……二人でペナルティーですかね」
また何やら妖しいオーラを出し始めたベネットに、いいいいいいです、いいです、私だけペナルティー受けます!と身を返して走り出した。
「廊下は走らない!」
ベネットが叫ぶと、はひ!! とアーニャは身体をピッとして早足で一心不乱に歩き出した。
その様子にくっくっと肩を震わせながら、ベネットは厨房に入っていく。
用意されていたトレイは二つ。怒号行き交う厨房の奥にいるコック長に会釈をして、壁にかけてある大きな丸時計を見る。
「後、八分」
点呼の時間はとっくに過ぎて、従業員の朝食の時間がもうすぐ終わる。
アーニャの予定はまたペナルティーの掃除になるだろうからさくさくと予定は伝えて何とか食べ終えれるだろう。
今日は裏庭の掃除にして、人目のつかないベンチ。
アーニャの予定と自分の予定を組み立て終えて、ベネットは眼鏡の中心をカシャと上げると、足早に従業員食堂へと歩いて行った。
それを見たコック長は、黙って二人分のランチボックスを用意するよう、新入りに指示を出すのであった。
完
お読みくださりありがとうございました!
アーニャもベネットさんも書いていて楽しかったです!
アンリさまの企画はこの他にも素敵な物語がたくさんあります。
ぜひ皆さま、ゆっくりと回ってみて下さい。
キーワードは、「うれしたのし秋の恋」です^_^
素敵な機会を作って頂いたアンリさま、ありがとうございました。
そしてこちらの企画に誘って頂いた、小鳩子鈴さま、ありがとうございました。
よい機会に恵まれて、幸せでした。
ありがとうございました。
なななん