おっちょこちょい 1
王宮の朝は早い。
王宮メイドの朝はさらに早い。晩秋の朝はもう真っ暗で、アーニャが起きなければいけない時間ももちろん真っ暗なのだが、アーニャはむにゃむにゃしていつの間にか二度寝してしまうのだ。
「アーニャ…… アーニャ!!」
「は、はひ!」
二人部屋の同室で同僚のディアナがもう給仕服に着替えてアーニャを揺すっている。
「アーニャ! 点呼まであと十五分!! あんた、髪の毛まとめるのに時間かかるでしょうが!」
「は、はひ! すみませんっっ」
がばっと掛布を剥いで飛び出そうとするのだが、掛布に足を取られてベッドから転がり落ちた。
アタタタと尻もちをついているアーニャをディアナが無理やり起こす。
「しっかりして! 点呼遅れたら私まで怒られる!」
「は、はひ! すみませんっ!!」
「あと十分!!」
「は、はひーーっ」
「はひじゃない! はい!」
「はい!」
そんな憎まれ口を叩きながらも嵐のように朝の支度をしだしたアーニャのかたいブラウンの髪の毛を苦心しながら後ろに立ってまとめ上げてくれる。
「ディアナさん、いたひ」
「文句言うなら早く起きな!」
「はひー……」
「はい、でしょ!」
「はい! すみません!」
もー、そんなだから目を付けられるんだよ! とディアナが苦い顔をしながら器用にまとめあげてくれる。
仕上げに後ろにまとめたお団子の髪にオフホワイトカバーをかけて、布リボンできゅっと締めるとメイド頭に仕上がった。
その頃には黒の給仕服に前掛けの白いエプロンをつけて、アーニャの方も支度が出来上がる。
ちなみにディアナはショートなのでメイドだとわかるように白のカチューシャをつけている。
アーニャからすると薄い金髪のサラサラショートがすごく羨ましいのだが、ディアナは自分の容姿をあまり好きじゃないみたい。
同室になって初日に、初めに言っとくけど! と、ディアナ禁句三ヶ条をばばん! と言い放ち、これ言ったら同室でも口利かないから。と手に腰を当てて告げたのである。
曰く、
容姿を褒めるな。
名前を褒めるな。
性格をうるさく言うな。
それを聞いた時、びっくりすると同時に、ディアナが言われ続けたであろう言葉も想像ついた。
黙っていれば月の女神のような薄い金髪に薄水色の瞳。すらっとした長身の美人さんが、口を開けばつっけんどんで、どこの酒場のねーちゃんか、という言葉使いだからだ。
後で聞いたら本当にご両親が酒場を経営していて、商売繁盛のお店なので小さい頃から手伝っていたそうな。
「アーニャ! 後三分!」
「はひ!」
先に出たディアナを追って廊下に出るが、出たら最後、走ってはいけない。どこにお客様の目があるかわからないから、どんなに急ぎの用でも素早く歩くよう厳命されている。
リーチの長いディアナはもう廊下から見えない。アーニャも急いで角を左に曲がると、ディアナはその先の右角を曲がる所だった。
アーニャは必死で廊下の途中にある湯気と喧騒の音が聞こえる厨房の入り口を通り抜け、やっとの思いで角を曲がると、目の前に白い布が見えてドンっと額がぶつかった。
勢い余って後ろにひっくり返りそうになるのを、ぐいっと、左腕を掴んで支えてくれた人に、申し訳、と謝ろうとして言葉が引っ込んでしまった。
「すまない、大丈夫か」
そう言ったのはカイト・バークナー。近衛騎士団に先日入団した騎士で、北の辺境の領地出身ながら腕が立ち、視察に来た王妹殿下のたっての希望で王宮に入って来た鳴り物入りの人物である。
その吸い込まれそうな青い瞳に我を忘れて、アーニャは、はひ……と言ってしまった。
そんな彼女を素早く立たせたカイトは、ぽんやりしているアーニャに、すまない、急いでいるのでこれで、と断りを入れて厨房の方へ行ってしまった。
(す、すてき……!)
ぽんやりその近衛特有の白い制服姿を見つめていると、ぞくりと背後に冷気を感じた。
「アーニャさん」
ひやりとする声にぶるっと身震いする。
「は、はひ!」
いきおい振り向くと、黒の執事服を来た背の高い眼鏡をかけた男が立っていた。
縁の無い眼鏡の真ん中をカチャリと中指で押し上げる仕草に、アーニャはこくりと喉を鳴らす。
その人はアーニャの上司に当たる、執事・メイドを取りまとめているベネット・パッカー。その冷徹な薄紫の目ににらまれると泣く子も黙るという噂の人物である。
「はひ、ではありません。はい、と言ってください」
「はい!」
「おはようございます、アーニャさん。今、何時だか分かりますか?」
「は、はい。六時を、過ぎたところかと」
「おはようございます、アーニャさん、と言われたら普通なんと返すのですか?」
「あああ、おはようございます、ベネットさん」
「私は何時だか分かりますか、とも聞きました」
「はい、六時五分は過ぎたかと思います……」
「朝食の準備は」
「六時四十五分からです、ベネットさん」
「五分を過ぎた事により全ての作業を早めなくてはいけなくなりました」
「申し訳ありません、ベネットさん」
「皆さんは通常通り動いています、あなたは五分、いや七分ですね。自分の朝食時間を早めて皆さんの動きに間に合うようにして下さい」
「はい」
「行きなさい」
「はい、ベネットさん」
ぺこりと頭を下げて走り出そうとするアーニャに、走らない! と背中に一喝して歩かせてから、ベネットは厨房に入って行った。
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「アーニャ、こっち!」
「ディアナさん〜〜」
従業員食堂に入るとアーニャは泣きべそをかきながらディアナのところに行った。
アーニャを始め他のメイドや執事達はもう食べ始めていて、早い人はもう立ち上がっている。
「これ、今日の動きだからね、食べながら目、通すんだよ!」
「ありがとうございます、ディアナさん、急いで朝食取って来ます」
トレイを取りに行こうとすると、目の前にさっとサンドウィッチが乗ったトレイが出された。え?と見るとベネットが隣に座り、同じ物を食べ始めている。
「あ、あの」
「迷っている時間は無いと思いますが?」
「あああ、ありがとうございます、ベネットさん」
困惑しながら隣のディアナを見ると、いいから食べな! と目が訴えていた。
アーニャはこくこくと頷くと、席についてサンドウィッチ片手に食べ始めながらディアナから貰った今日のスケジュールを読もうとすると、
「六時四十五分王族方の朝食の準備、
七時朝食給仕開始
八時片付け
八時半王妹殿下の着替えを。殿下は今日は遠乗りに行かれるので乗馬用を用意する事。
九時からは……ぼうっとしてないで食べながら聞きなさい」
「は、はひ!」
「返事ははい、です」
「はい!」
そしてアーニャが食べながらスケジュールを追うのを見て、その目線と同じようにベネットは口頭でアーニャの仕事の動きを最後まで止まる事なく話した。
「あ、ありがとうございます、ベネットさん。頭に入りました」
「それは良かったです、アーニャさん。今後はこのように私の仕事を増やさないで頂けるとありがたい」
「はい……申し訳ありません」
「分かればいいのです。今後、気をつけるように」
「はい」
アーニャの返事に頷くと、ベネットはいつの間に食べ終えたのか、トレイを持って先に席を立ち去ってしまった。
しゅん、となるアーニャに、元気だしなって、と声をかけたディアナだったが、チラッとベネットの後ろ姿を見て、まさかね……と呟く。
ディアナさん? とこちらを見つめる、おでこがつるんとした少しそばかすのある平々凡々なアーニャの顔を見て、何やら想像するのだが、うーん? と上手く想像つかないのか腕を組んで小首をかしげた。