花占
「好き、嫌い、好き、嫌い……」
変なやつがいる。私は率直にそう思った。
夏場にマーガレットを摘んでやる行動に伴う台詞だったなら、私も不審には思わない。では何でやっているかというと──秋も深くなるこの頃、咲き誇る白い菊の花である。
菊の花の外側の花弁から一つ一つ丁寧にぷつんぷつんと摘みながら、その人物は花占いをしていた。
マーガレットでやるそれより遥かに面倒そうなそれを、その人物は真剣にやっている。毎日毎日。初めて見たときは胡散臭くしか感じなかったし、今も胡散臭くしか感じない。
何故ならば。
「……嫌い、す……あ、花びら落ちちゃった……じゃあ、今日は嫌いってことで」
「いつものことながらに聞くが、誰が、誰をだ?」
「僕が、先輩を、です」
適当すぎる。
この人物──中学の頃からの知り合いで後輩の木沢龍は、毎年秋になると家の花屋から菊を一輪くすねてきてこんなことをやっている。色は決まって白だ。
その菊で花占いをして、私への好悪やらなんやらを決めるのだ。その日ごとに。
好き嫌いの比率が高いが、他にも、先輩と呼ぶか名前で呼ぶか、宿題を教えるか教えないか、ランダムにその日の行動を決めつけてくる。振り回されるがままになる私は、見るともなしに毎度それを見ているのだ。花が勿体ないと思いながら。
「先輩、大っ嫌いですよ」
「ああそうか」
満面の笑顔で言われた大嫌いを、私は適当な言葉であしらう。適当すぎる花占いで定めた感情に対して、真剣に答えるのは馬鹿らしすぎる。相応に適当に答えなくては。
「では私も今日は嫌いだ。顔も見たくない」
「あっ、先輩ひどーい」
言い出したのはお前だろうに。
「ところで、そんなに花をくすねてきて、店は商売あがったりなんじゃないか?」
「大丈夫ですよー。うちは花屋といってもただの花屋じゃなくててぃーぴーおーに合わせた花をお届けするフラワーアレンジメントやらガーデニングやらの指導で儲けている変わった花屋らしいですから」
綺麗に花弁を剥がれた茎を見て仄かに笑う。
「仏花はあまりいらないんですよ」
「花は花だろうに」
普通は仏花目当ての場合が多いと思うのだが、そればかりが花屋の仕事ではないらしい。
とはいえ花屋の息子が花を散らすのはどうかと思う。
「大嫌いな先輩の言うことを聞く謂れはありません。菊だけに」
「上手いこと言ったと思ってるだろうが、そんなに上手くないぞ」
「今日は嫌いだからってそこまでディスらないでくださいよ」
「いや、率直な感想なんだが」
「先輩のは剛速球です」
「お前は変化球が過ぎる」
む、と龍はむくれる。
「く、伊達に僕より生きてませんね、僕より上手いこと言いやがって」
「……そんなこと言ったか?」
ぶぅぶぅ、と唸っている。参ったものだ。理不尽だ。
けれど、どこか面白おかしい、そんな毎日を過ごしていた。
白い花弁が屋上を抜ける風に浚われていく。寒いですね、と龍が言うとなんとなくお開きになり、示し合わせたわけでもなく、二人して帰路に着く。
また明日、と、繰り返されていく。
ある日のことだ。
いつものように白い菊を一輪……と思っていたら、数本束で持ってきたそいつが、今日も今日とて花占いを始める。
白い花弁を一つ摘まみ、龍が今日呟いたのは。
「死ぬ、死なない、死ぬ、死なない……」
「……っは?」
思わず目を剥いた。何を言っているんだ、こいつ。
冗談だろうとはにかんでやるも、龍は手を止めることなく、いつもよりひときわ丁寧に花弁を取っていく。黒く澄んだ眼差しで。
「死ぬ、死なない、死ぬ、死なない、死ぬ……」
「おい、冗談はそれくらいにしたらどうだ?」
五本目に入り、花の残りが少なくなってきたところで、耐え兼ねて言う。
ふと、龍は手を止める。
「なんでですか」
「花が可哀想だとは思わないのか?」
すると、龍は……くしゃり、と残りの花を握り潰した。
「先輩は、そう思うんですね」
「? ああ」
「なるほどなるほど」
龍は一人で勝手に納得すると、そのま鞄を引っかけて、それではさようなら、と私の横を通り抜けていった。
いつもより多い花弁が旋風に巻かれて舞い上がる。少し早い、雪のように思えた。
特に意味もなく、花弁が風の彼方に消えていく様を葬送のように見送って、それから私は帰途に着いた。
下駄箱を開けると、何故か赤い菊があった。便箋が添えられている。
小綺麗な文字の羅列には見覚えがあった。龍の字だ。
『先輩、結局最後まで気づいてくれませんでしたね』
その文字を読み取ったのと同時、どこかから悲鳴が聞こえてくる。
何か胸騒ぎがして、声の方向を頼りに向かうと、
頭から落ちたらしい男子生徒の遺体があった。
まるで自分が死ぬことを知っていたかのように、白い菊を握りしめていた。コンクリートの地面に広がる血に一部染まった菊が、さっき見つけた赤い菊に重なって見えた。
白い菊の花言葉は「誠実」だという。
彼はいつも、自分の中から誠実さを千切り取ろうとしていたのだろうか。
赤い菊の花言葉は「愛している」だという。
誠実さを千切り取って、いつも呟いた「大嫌い」は嘘だったんだと、
私はこのときまで気づけなかった。
「ごめんな」
私はそう呟いて、龍の棺桶に献花する。皮肉にもそれは龍の家で買った白い菊だった。
やっぱり菊っていうのは、仏花に使うものだよ。
そう思いながら、彼の亡骸に一瞥する。
童話なら、接吻か何かで目が覚めたりするのだろうな、と思った。無論、そんな空虚なことは私はしない。
ただ、白い菊を供える。たくさん、たくさん。
ほら、お前が生前千切り捨てた分の誠実さで埋め尽くしてやるからさ、
もう遠回りしすぎた告白なんてするんじゃないぞ。
私の部屋には赤い菊が一輪活けてある。
それが、私なりの誠実さであった。