第九画 漢闘者の基礎を覚えよう(4)
太陽も海に墜ちていき、代わりに丸い月が顔を出した今この時。
准と隼兎は窓を開き、ベランダに出て外を眺めていた。
「綺麗だな……」
隼兎が月と満天の星達の輝きながら、隣にいる准に呟く。
准は手すりに両手を置いたまま、
「うむ、誠に美しい」
「お前……気持ち悪いな」
と、感傷に浸っているにも関わらず、隼兎から引かれる始末である。
相変わらず蝉の声がうるさいが、遠くから聞こえる波の音と調和して音色を立てているかのように美しい。
「なぁ、隼兎」
「ん?」
隼兎は夜空から准へと顔を向けた。
「俺達、強くなるかな?」
隼兎はフッと口元を緩ませ、また満天の星空を見上げた。
「なに、すぐに強くなるさ」
「ううむ……」
手すりに両手を掛けたまま、難しい顔をする准。
そんな准を横目に隼兎は小馬鹿にするように笑うと、
「じゃないといざという時に宮野さんを守れねぇぞ?」
半分准をイジメるような言葉を簡単に言ってのける。
だが後の半分は「頑張れよ」の意味が入っているのだ。
「よし、宮野さんの為にも強くなる!!」
准は意気込みを入れると、踵を返して部屋の中へと入っていった。
「やれやれ……」
隼兎は苦笑いを浮かべながら准の後を追っていった。
翌日。
朝陽が准と隼兎の眠っている部屋に射し込む。
そんな中、時計のアラームが響き渡る。
隼兎の目がゆっくりと開き、そして身を起こした。
「ふあぁ……朝か……」
まだ完全に開かない瞼をこすり、隣で寝ている准を見た。
よだれを垂らしながら気持ちよさそうに寝ている。
「おい、准、起きろ。朝だぞ」
隼兎は准の体を揺すり、起きるのを待つ。
「ん……ダウト!!」
「……おい、わけの分からないこと言ってないで起きろ、アホ」
「むう……なんだよお……」
准もまた目をこすりながら身を起こした。
隼兎は先に洗面台に向かい、顔を洗ったり歯を磨いたりしている。
が、准は身を起こした状態のままボーっとしていた。
隼兎は素早く歯磨きを終わらせ、制服に着替え始める。
そこでようやく准が立ち上がり、洗面台へと足を運んだ。
はねた髪に水を少しだけ付けて手で押さえる。
「やれやれだぜ……」
「ん? どうした、准」
隼兎はベッドの上で靴下を履きながら、洗面台でボヤいている准に反応した。
「俺のアレがビンビンに立ってやがる……!!」
「うんストップ。アレって髪だよな? 誤解を招く発言はやめよう、な?」
「え、ダメなの? 俺の髪がビンビ──」
「やめろぉぉぉおお!!」
朝から騒がしく準備をする。
時間を見ればもう始業の時間が迫ってきていた。
勢いよく部屋の扉を開けて全力疾走で駆けていく。
少し経つといつものように始業の合図となる鐘が鳴り始めた。
「急げ、准!!」
「お……おふぅ……」
二人は今、階段を駆け上がり、廊下を走っている途中だった。
准がもたついていて遅れてしまったのだ。
どうにか鐘が鳴り終わると同時に乱暴にドアを開いた。
「はぁ……はぁ……セーフ……」
隼兎は左手でドアの縁を持ち、右手を膝に置く。
そんな隼兎に後ろから倒れかかる准。
あげく隼兎は准に背中を押されて倒れ込んだ。
「夜川君と陽野君、遅刻」
「せ……先生……ギリギリセーフですよ、今のは……」
准は死にそうな顔で必死に反論する。
そんな准に、檜原先生は静かに両手を前に突き出した。
赤いスーツの胸の前で作られたのは×印。
勝敗は決まった。
檜原先生¨WIN¨。
「……と、言いたいとこだけど、この前漢字を習得するために努力してたから今回は許してあげる」
「見てたんですか?」
隼兎は上に乗っかっている准を押しのけ、制服に付いた埃を払いながら問った。
檜原先生はニコリと笑うと、
「えぇ、しっかり見てたわよ」
その言葉に恥じらいを感じたが、同時にやる気も出てきた。
自分は成長しているのだ、と実感することも出来た。
「では、気を取り直して……早速授業を始めますよ」
檜原先生は白いチョークを手に取った。
「今日は夜川君と陽野君のために改めて心力について学びたいと思います」
心力。
それは漢字を具現化する際に必要とされる物。
ゲームなどで例えるならマジックポイントと言えば分かりやすい。
「心力とは漢字を具現化する際に必要とされますが、漢闘者同士で闘う場合はこれを削り合う闘いとなります」
心力とは先のように漢字を具現化する際に必要な物であるが、逆に言えば心力が足りなければ何もできない。
つまり漢闘者同士の闘いは先に相手の心力を尽きさせた方の勝ちなのだ。
「心力を尽きさせる方法ですが……夜川君、分かるわね?」
「ふぁっ!? わ、分かります分かります!!」
指名されると思ってなかったのか挙動不審になる准。
取り乱しながらも席を立って発言する。
「えっと、具現化した漢字を使って相手の体に触れると心力を削れます」
「ええ、そうです。夜川君やるじゃない」
檜原先生は茶髪のポニーテールを揺らしながら、黒板の方に向いた。
先日、隼兎が男と闘った時に剣で男の体を斬ったが、体に外傷はできなかった。
漢字で具現化された武器で殴られたり斬られたりしても直接傷ができるわけではなく、体に負った傷の代わりに心力が削られていくのである。
だが問題点が一つある。
「心力を削られると疲労感に似た症状に襲われます。普通だと心力の残量がギリギリの状態までいくと防衛本能が働いて気絶します」
檜原先生は黒板にチョークを当てて背を向けながら喋る。
「ですが強い精神を持ったまま限界を超えて心力を酷使し続けると――」
檜原先生が一つの漢字を大きく黒板に書いてこちらに振り向いた。
黒板に書かれた漢字は――
¨死¨。
「皆さん、何度も言いますがいついかなる時も絶対に無理をしてはいけません。分かりましたね?」
「はーい」
これは他人事ではない。
その事実に向き合うことが漢闘者として何より大事なことなのだ。
その後も二限目、三限目と授業は続いた。
何も¨漢闘者¨だけについて学ぶわけではない。
一般の学校のように数学や英語なども学ぶ。
一人は窓の外の風景を見ながら。
そしてもう一人は隣の席の女子にメロメロになりながら午前中の授業を終えた。
「准、昼飯買いに行くぞ」
「あいあいさー!!」
准は敬礼しながら立ち上がった。
二人は売店でパンとちょっとしたデザートを買うことにした。
会計の下のガラスケースに並べられているのはケーキや和菓子といった多種多様な物だった。
准は目を輝かせながら間を置かずに店員に頼む。
「すいませーん。モランボンくださいー」
「……え?」
隼兎は思わず准の方を向いてしまった。
冗談の一種にしては稚拙すぎるし、本気だとするならばどうツッコミを入れればいいのだろうか。
どうやら本人は気がついていないようで、同じように隼兎に顔を向けた。
「お前も頼めよーモランボン」
「ブフッ!!」
いけない、思わず吹き出してしまった。
准は本気でモンブランをモランボンと間違えている。
店員も少し笑みがこぼしながら確認を入れる。
「モンブラン……ですね?」
「はい!! モランボンください!!」
ダメだ、店員がわざわざ言い直してくれたにも関わらず自分の言い間違いに気づいていない。
隼兎はバカにしたように笑い、店員も含み笑いをしながら准に買った物を手渡した。
「なんでそんなに笑ってんだよー」
「い、いや、特に意味はない」
教室へと戻る廊下で隼兎はまだ笑っていた。
その横を歩いている准は何がそんなに面白いのか理解できていない。
そんな隼兎に気を取られたせいで曲がり角で人とぶつかってしまった。
「おっと、失礼。ケガはないかい?」
ぶつかった男は黒縁メガネをかけ、やわらかな目元にスラッとした鼻。
これがイケてるメンズというやつか。
准と隼兎はその男を見ながら若干羨ましがった。
「ええ、大丈夫です。そちらは大丈夫ですか?」
准の代わりに隼兎が受け答えをする。
男はそれを聞いて少し微笑んだ。
「ああ、僕は大丈夫だよ。お互い気を付けないとね」
これから用事があるらしく男は笑みを浮かべたまま行ってしまった。
二人は去っていく男の背を見送りしばらく突っ立っていたが、我に返ったように再び教室へと歩き出した。
「……イケメンだったな」
「そうだな」
准の口からポツリと出た言葉。
なぜだろう、静かに悔しがっている言い方だったような気がする。
隼兎にとってはあの変態男が初めて会った男子だったが、准にとってはこの学園で数少ない男子に初めて出会った瞬間だった。
教室に戻るとすでに皆昼食を食べ始めていた。
凛とミズキも例外ではない。
「あっ、おかえりー」
「ただいま帰りましたー!!」
野球部の発声かと思うほど、大きな声で返事をする准。
「はいこれ、宮野さんと空橋さんにどうぞー」
合流するや否や准は先ほど買ってきたモンブランを凛とミズキに手渡した。
自分が食べるためではなく、女子にあげるために買っていたのだ。
どういう意図があるのか魂胆が見え見えなのだが。
「でも悪いよー。買いに行った夜川君と陽野君が食べて」
「いやいや、俺たちこう見えて甘いのダメなんだよ」
もちろん嘘である。
というより何故か¨俺たち¨と言われている。
だが准があんな恥ずかしい思いをしてまで買った物だし、ここは便乗しておくことにしよう。
本人は気づいていないが。
「そうだな、宮野さんとミズキで食べなよ」
「そう? じゃあいただいちゃおうかな」
満面の笑みでモンブランを受け取る凛。
「ほら、お前も」
手を出さないミズキの前に隼兎がモンブランを置く。
「え、餌付けのつもりかしら!? 私はそんな軽い女じゃないわよ!!」
もちろんそんなつもりはない。
そもそもこれを買ったのは准であって隼兎ではない。
ものすごい勘違いをされているようだが、これ以上突っ込むとややこしい展開になるのが目に見えていたため、黙っておくことにした。