第7話
――思い出したのは、魔女がまだ人間だった頃のこと。
母親の薬が欲しくて、迷い込んだ森でであったひとりの女性。金の瞳のその人は、一人ぼっちで森にいるのだといった。
あんまりにも淋しそうな目だったから、一緒に遊んだ。森の花で花冠を編み、湖で水遊びをした。ポケットに入っていたお人形で遊んだり、木の実を拾ったり。
彼女は、森のどこに何があるのかを全部知っていた。たくさん遊んで、気付いたらもう日も沈んでいた。
帰らなくちゃ、と思った。家でお母さんが薬を待っているからと。そう伝えると、彼女は酷く悲しそうな顔をして、それでも薬草がたくさん生えているところに連れて行ってくれた。両手にたくさんの草を摘んで、森の出口まで案内してくれた。
さようならを告げるその声が震えていた。ずっと一人ぼっちだった彼女に、魔女は約束を一つ、のこした。
「また、来るよ。そしてたくさん遊ぼうね」
告げた瞬間、彼女は泣きそうな顔で笑った。ぎゅっと魔女を抱きしめ、約束ね。そう言い合って、別れた。
森からの帰り道、お母さんに新しくできた友達のことを話したくて、走って帰った。両手いっぱいの薬草で、きっとお母さんも元気になれる。そう思うと嬉しくて、家路を急ぐ。
――けれど、そこに家はなかった。
母もいなかった。
時間に取り残されて、もう、どうすればいいのか分からなくて、たった一人で森に戻った。そこしか行くところがなかったから。
悲しくて淋しくて、心がぎしぎしと悲鳴をあげた。苦しさを紛らわそうと泣いても、涙がさらに悲しみを強めた。だから泣くことをやめた。思い出すと淋しいから、思い出すことも、考えることもやめた。
そうしたらなんだかからっぽで、森は優しかった。
森にいた彼女は、どんなに探しても見つからなかった。ずっと探し続けて、それでも見つからなくて、やがて全てを忘れてしまった。
寂しさだけを持って、どうして淋しいのかもわからないで、やがて魔女となった。
◇ ◇ ◇
全てを思い出して、魔女は目を伏せた。
金色の瞳からはとめどなく涙が流れ、それをそっと拭った指に顔を上げる。
そこにいたのは、かつて探し続けた彼女が居た。
記憶の中の彼女と何も変わらない優しい笑顔を浮かべていた。魔女と同じ金色の瞳を優しく細めて、そうして魔女をそっと抱きしめた。
「……おかえり、なさい」
彼女の腕の中で聞いた声は、優しくて暖かかった。まるでお母さんの声だと、魔女は思う。
「ただいま。おそくなって、ごめんね……?」
背中にきゅっとしがみついて言えば、頭の上でふっと笑った気配がした。抱き込まれたまま頭をなでられ、その手の暖かさになぜか泣きそうになった。
しばらく、お互いに何も言わずに抱きしめあって、やがてそっと離された。
彼女は、そっと手を差し出す。優しいその瞳は変わらず、浮かべた笑みに魔女も笑い返す。そのまま手をとろうとして、ふと、部屋に居る少女のことを思い出した。
ああ、そうだ。そう思って、魔女は彼女を見上げた。そうすれば彼女は小さく笑って頷いてくれて、魔女は部屋へと戻る。
涙はもう止まっていた。窓を開ければ不安そうな顔をした少女が窓辺に立っていて、魔女は優しく笑って、そっと少女を抱きしめた。
「ありがとう」
小さな声で魔女が言うと、少女は首を傾げた。きょとん、とした少女に、魔女は小さく笑って、そっとその体を離す。
「戻ってきてくれるって、言ってくれてとても嬉しいの。だから、ありがとう」
「……じゃあ、いいの? わたしきっと戻ってくるから。そしたらずっと一緒にいてくれる?」
頭をなでて言う魔女に、少女はぱっと笑顔になって言った。でも、魔女はその言葉を聞いて少しだけ困ったように笑う。
「……ごめんね。わたしは行かなくちゃいけないの。でもずっとここにいる。あなたの傍に。魔女はそうして永遠を生きるのだから」
優しく諭すように告げる魔女に、少女は目をぱちくりとさせた。彼女の頬をそっと撫でて、何も言わない少女に語りかけ続けた。
「魔女は永遠に生きるもの。命そのものが森であり、森こそが世界なのだから――わたしはいなくなるけれど、魔女はずっとこの森に居るの」
だからどうか淋しからないで。声に優しさをにじませて、泣きそうな顔の少女に語りかければ少女はぎゅっと魔女に抱きついた。その小さく震える体を抱きしめて、魔女は尚も言葉を続ける。
「一つだけ、お願いがあるの。きいてもらえるかな?」
背中を優しく撫でれば、少女は胸の中でこくりと頷いた。
「あのね。戻ってきたら貴方が『魔女』を名乗って欲しいの。きっとこの先たくさんの人が訪れる。みんな何かを抱えてる。……どうか、その人たちを導いてあげて?」
寂しさから館に人を受け入れ続けたわたしのように、あなたも。
それがどんな形になるか分からない。でも強いあなたなら。優しい心のあなたなら、きっといい魔女になれる。だから。
そう願って、魔女は少女の額に口付けをひとつ、贈った。
その瞬間、森がざわりと薙いだ。魔女の瞳が金に光る。窓の外では夜空が生まれ変わるように、たくさんの星が流れた。
――そうして、森は新たな魔女を生んだ。
かつて魔女と呼ばれた淋しがりの少女は、もう淋しくない。友達と一緒に、新しい魔女の一部となったから。そうして「魔女」は生き続ける。
だからもう、淋しくなんてなかった。