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ハジマリノ森  作者: 久世ひろみ
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第2話


 そびえる館の玄関は、壊れていた。

 もうずいぶん古いとわかるホコリのつもり具合に、少女は少し不安になる。なぜなら、玄関にはひとつとして「人の気配」がなかったから。

 だれかがいるなら玄関に足跡なり、ドアを動かした形跡なりがあるはずだけど。でもその玄関は、もう何年も館が無人であると語っていた。

 だから少女は不安になった。


 自分の存在意義は、森に棲む魔女に仕えること。村には帰れない。帰れば再び生贄として森に置き去られるか、悪くすれば殺されてしまう。だから少女は森の魔女に仕えるしか、生きるすべがないのに。

(魔女がいなかったらどうしよう)


 森でひとり生きるしかないのだろうか。ああ、でもそれもいいかもしれない。

 少女はそう思って、そっと空を見た。


 相変わらずまぶしいほどに青い空に、少女の心は少しだけ揺らぐ。

 このだれもいない森でひとりで生きる。そうすればもう、ちいさな部屋に閉じ込められない。勉強だっていらない。こんな動きにくくて重い衣も着なくたっていい。外にだって自由にでられて、一日中だって空を見ていられる。

 もしも、そんな生活を送れたら、どんなに幸せだろう。

 少女はそう思って小さく嘆息した。


 空を一羽の鳥が羽ばたく。それを見送り、やがてゆっくりと少女は館を見上げた。人の気配のない、魔女の館。そこに魔女がいるのか――不安を押し隠すように、彼女は扉に手をかけた。

 ぎぃ、と重い音をたてて開かれた扉に、ホコリが舞い上がって視界が一瞬真っ白になる。森から吹き込む風があっという間に埃煙を晴らすと、眼前に広がるのは古い洋館のロビーだった。

 二階まで吹き抜けの、左右対称の広いそこは、石畳に紅い絨毯が敷かれている。真正面には広い階段。天井からぶら下がるシャンデリアは豪奢で、柱や壁、ドアには繊細な彫刻がいれられていた。しかし、そのどれもが長い間放置されているようだった。ホコリとくもの巣に覆われ、中には朽ちて欠けているものさえある。


(とりあえず、探そう)

 がらんとした館の中、少女は息をひとつ吐くと、魔女の姿を探すため、一部屋ずつ見て回ることにした。歩くたびに舞い上がるほこりに、魔女がいないのかもしれない、という期待を膨らませることを、とめられなかった。

 館は2階と、地下室のあるおおきなものだった。一階には食堂やバスルーム、応接室、娯楽室等。そのどこにも魔女の姿は見当たらず、むしろ人がいた形跡さえなかった。地下室も同様に、使用人部屋と思しき小部屋がずらりと並び、食料庫やワイン室があるだけだったが、人が入った形跡さえない。

 もしかしたら、本当に魔女がいないのかもしれない。そう思いながら、少女は二階へと向かうため、ほこりまみれの階段を踏んだ。

 二階も一階と同じように広く、開ける扉はどれも部屋だった。客室なのだろうその部屋も、人の気配さえない。

 もう、誰もいないだろう。そう思って最後のドアをあけた時だった。


「……いらっしゃい、小さなお客さん」

 聞こえた声は、鈴が鳴るような声だった。小さく澄んだその言葉に、少女はびくりと肩を震わせる。

 ドアから顔を覗かせたままの姿勢で視線を動かせば、日の光がたっぷり差し込んだ部屋にいたのは、一人の女性だった。


 その姿を、なんと形容すればいいのだろう。窓辺のソファーに座るその姿は、まだ若い女性だった。

 黒い帽子と黒く大きなローブに身を包み、零れる髪は流れるような甘いハニーブラウン。瞳は遠くて見えないけれど、抜けるように白い肌は、少女の病的な白さにも似ていて、けれどずっと美しかった。他のどの部屋にもホコリが積もり、人の気配さえなかったといのに、この部屋はホコリどころか、よく手入れされたお屋敷の一室のようだった。

 調度品も絨毯も、すべてが美しく繊細な作りで、それさえも彼女の美しさを引き立てているような、そんな気がする。


「お茶でもいかがかしら? こちらにいらっしゃい」

 ドアに隠れたままの少女に、彼女はそういってふわりと笑った。

 おずおずと少女が部屋に入れば、やさしく香る紅茶と、甘い花のにおいに満たされる。暖かくてやさしいその香りに、少女はうっかり肩の力を抜くけれど、しゃらり、と鳴る髪飾りの音色に息を呑んだ。

「あのぅ……」

 テーブルの近くまで歩き、少女はおずおずと彼女に声をかける。その声に彼女は「ん?」と小首をかしげるだけで、けれど近くで見たその瞳の色に、少女ははっとして目を伏せた。


 その瞳は、眩いばかりの金色だった。

(魔女の瞳は、見るもの全てを魅了するという、金の瞳)


 ああ、なら。なら彼女が魔女なのだ。


 少女はそう思って、目を伏せたままゆっくりと跪いた。

「――おそれながら、森にすまう魔女さまとお見受けいたします。私は魔女さまに捧げられた、贄の巫女。どうか世界を繁栄へお導きくださいませ」


 流れるような静かな声で、見た目とはかけ離れた感情がひとかけらもない声音で少女は言う。

 その言葉を受けて、お茶を淹れていた女性はそっと目を伏せた。悲しむような、悼むようなそんな色を瞳に浮かべる。

「さぁ、お茶が入ったわ。……こちらにおいでなさい」

 未だ跪いたままの少女を、彼女はそっと立たせて微笑んだ。


 テーブルに用意されたのは、花の香りのする紅茶と小さなクッキーだった。それを差し出されて、少女はおなかがきゅう、と鳴ったのを聞いた。

 そういえば地下室を出されてから何も食べていない。朝、まだ朝日さえ昇らない時間に起されて、儀式の支度で忙しかった。体をキレイに洗われ、香を焚き染められた絹の衣を着せられ、それから日が沈むまで神殿の祭壇に座らされて身動きの一つさえとれなかった。食べ物も飲み物も与えられず、最後に口にしたのは潔斎の時の御神酒だけ。

 それを思い出したら、なんだかすごく喉が渇いて、おなかがすいたように感じた。


 少女は差し出されたカップをそろりと手に取る。魔女を伺い見れば、彼女はにっこりと笑って頷いたので、まだ熱いお茶をいっぺんに飲んだ。熱かったけれど、そんなことは気にならない。

 空になったカップを置くと、クッキーのお皿が目の前にあった。魔女が「お食べなさい」と優しく言うから、少女は一口大にはちょっと大きいクッキーを両手に持って食べた。さくさくさく、と絶え間なく音が響く。

 こんな食べ方、教育係でもあった司祭さまが見たら、きっと真っ赤になって怒るのだろうと思ったけれど、魔女は微笑んでみているだけだから、まぁいいかと思う。


 不思議なことに、クッキーはどれほど食べても減らなかった。お茶も、魔女がポットから注いでくれるけど、ポットが空になることがない。不思議だと思うけれど、食べる手を止めなかった。


 やがて何杯目のお茶か分からないお茶をゆっくりとのみ、少女は魔女を見上げた。

 魔女はゆったりとソファにすわり、優しい笑顔で少女を見ていた。その後ろの窓からはすっかり明るくなった空が見えて、少女は一瞬息を飲んだ。


 見えた空は、今まで焦がれていた空だった。

 雲ひとつ無い青空。気持ち良さそうに飛ぶ鳥。はるか地平の向こうまで続く大地。広い森の向こうには村の影も見えた。

(あれは、わたしのいた村だろうか)

 ぼんやりとしか見えない村に、少女はふとそう思った。

 生まれてからたった一度、出て行くときに初めて見た村。たしかにそこは、生まれ育った村だけれど、そこがどんな村なのか、どんな人が暮らしていたのかを、何一つとして知らない。それがなんだか寂しくて、悲しくて、そっと目を伏せた。


「……こちらにお座りなさい。ずっと歩いて、疲れたでしょう?」

 優しいその声に振り返ると、魔女が自分の隣を指して、静かに微笑んでいた。

 言われるがままに少女はそちらへ歩く。魔女が少女を抱き上げてソファーに座らせると、魔女も隣に座って、そっと少女の頭を撫でた。

「今はお休みなさい。何も、考えなくていいから」

 ゆるゆると撫でられ、優しく言葉をかけられて、少女はじっと魔女の顔を見上げた。


 優しさなんて、知らなかった。撫でる手の温かさも。彼女に与え続けられたのは、厳しさと冷たさだけだったから。だから、少女はきょとんと魔女を見上げるしか出来なかった。

 魔女はそんな少女に、少しだけつらそうに瞑目すると、そっと抱きしめた。幼子を抱きしめて安心させるように、優しく。抱きしめられた少女はとっさに身を硬くしたけれど、やがてふっと力を抜いた。

(あたたかい。それにいいにおい……眠い)

 魔女の腕の中は、布団の中よりももっとあたたかかった。あたたかいだけじゃない。でもそれが何かはわからなくて、でもいいや、と少女はゆっくり目を閉じる。


 なんだかとても疲れている気がした。

 歩いている時は何でもなかったのに、今は足も痛いし、体がどうしようもないほど重い。だからもう、眠ってしまおう。


 ゆるゆると背中を撫でられ、少女は静かに眠りの中へと落ちていった。


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