4
ポーン……
誰もいない音楽室にピアノの音が響く。ラの音。
僕の一番好きな音。唯一まともに動く親指を鍵盤に引っ掛けて鳴らす。
あの後、丸一日経ってから僕は再び気絶させられ、気が付けばもとの生徒会室のソファーで寝ていた。
悪夢のような出来事。いっそ悪夢であってほしい。けれど指を襲う鈍い痛みが、それが現実に起こったことなのだと実感させた。
僕はすぐさま学園の保健室で治療を受けた。丸一日なんの処置もされていなかった指は二倍の大きさに膨らみ、色は紫色だった。
『適切な応急処置がされてない場合、治りが遅くなったり二次的な損傷が起きる場合があります。恐らく次の公演には間に合わないでしょう』
あの後どうして僕は丸一日閉じ込められたのか、分かった気がした。あの部屋には応急処置の道具は一切おいてなかった。きっと僕の怪我を悪化させる意味もあったのだろう。
それでなくともあのままで取り残されるのは気が狂うほどの苦しみだった。壊れた指と、立派なピアノ。こんなに太く醜い指で、以前のような美しい旋律が弾けるとはとても思えなかった。
指を折ったことは保健室の先生から両親に伝えられた。
そのあと、僕にも電話がかかってきたのだ。
『もう二度と小野寺の姓を名乗るな』
心配の声など一つも掛からなかった。期待していたわけではない。分かってはいた。
両親が望んでいるのはピアノの才能のある子供であって、僕自身ではないのだ。
大切な公演前に指を折るような不注意なピアニストなど、小野寺にはふさわしくない。私たちの名声を汚すだけだ。
電話越しに、父はそう吐き捨てた。
僕は何も悪くない。脅されるままにピアノを弾き、たった一音間違えただけで指を折られたのだ。
僕はありのままを告白した。しかしそれに対する父の反応は冷たかった。
『何が脅されただ、馬鹿馬鹿しい。こんなことなら達也の方を残しておくべきだった。お前には失望したよ』
勘当されることよりも何よりも、その言葉が一番僕を絶望させた。
達也――兄のほうが、僕よりもマシ。僕は兄よりも格下? ありえないありえないありえない!
僕は出来損ないじゃない、僕は天才だ、僕は兄より兄より兄より……。
「ピアノ、上手でしょう?」
バァーンッ、バンッ、バンッ
これは、ドヴォルザークの『新世界より』。優しく穏やかなメロディー。綺麗。
上手でしょう?
ああもう、包袋と添え木が邪魔だ。迷いなく引きちぎった。
バンッ、バンッ、ボーン
これは、シューベルトの『未完成』。ああ違う、僕が弾くから完成品。完璧なんだ。
だって僕はピアニストになるんだもの。有名な小野寺の名を継いで。
指が太くて邪魔。減らしたいから噛みついた。血が出た。
白い鍵盤に赤いのが飛び散るととても綺麗。僕の旋律も綺麗。
「いひっ」
もう、ピアノに流れているのが血なのか涙なのか涎なのか、何も分からない。
音が綺麗。僕は天才だから、どんな曲でも完璧に弾いてみせる。僕は優秀だよ兄さんよりも。
ボーン、ボーン、ボーン
ラ、シ、ド。
ああそっか、僕ってこんなにピアノが好きだったんだ。
ピアノと一緒にいきたいな。
* * *
「副会長様が……自殺……?」
「おいマジかよ……!」
「マジマジ。音楽室のピアノの上で首吊って死んでたって!」
「面白い話でさ、副会長の死体を発見した時ピアノの音が鳴ってたんだって。ボーン、ボーンって」
「うわ何それ。なんで?」
「ほら、首吊り死体って鼻から血が出たり、下から小便やうんこ漏れたりするじゃん。あれがちょうど真下にあった鍵盤をたたいてたんだって」
「マジっ? 私副会長様に憧れてたのにショックー」
副会長、小野寺真琴。縊死。
9月19日分の更新はここまでです。
こんな感じで復讐していきます。無理だと思った人はやめておいた方がいいと思います。
2、3年前の作品ですが、昔より発狂シーンを書くのがうまくなった気がします。嫌な特技だな……。
ピアノと一緒に逝きたいな。