左手の小指 ――罪人。義妹
『渚は、好きな人いるの?』
『……朔夜は?』
『えーっ、渚のこと聞いてるのに。渚と好きな人かぶってたら私勝ち目なくなっちゃうよ』
『そんなことないよ。朔夜は、やさしい子だから。きっと朔夜の好きな人も、朔夜を好きになってくれる』
『ほ、ほんとかなぁ……。あっ、じゃあ渚、私の恋を応援してよ! ね? 約束!』
『うん、約束』
指切りしよっか。朔夜がそう言いだしたので、私は左手の小指を少し上げて見せた。
指切りの歌。遊女が客に愛情の不変を誓う証として、小指を切断して見せたことに由来する、少し残酷な歌。
それでも、心から朔夜を応援しようと思っていた。朔夜は、やさしいやさしい、私の義姉だから。
『実はね……私、雄介さんのこと好きなんだ』
* * *
乾いた銃声が、寮の方から聞こえた。
要かな、なんてぼんやりと考える。誰を殺したんだろう。もう、いいのに。
「これで復讐は終わり」
呟いて、息を吐きだす。感じたのは疲労とも安堵ともとれる倦怠感だった。思っていたよりも生徒会連中はすぐに殺せたけど、それでも長かった。
こんなに長い時間、私は朔夜のいない世界で生きていたんだ。……いや、生きていた、のかな。感覚としては、死んでいるのと同じかもしれない。何をやっても心が痛まないんだから。
「朔夜。ごめんね。朔夜は復讐なんて望んでなかったかもね」
朔夜はやさしいやさしい子だから、復讐なんて望まなかったかもしれない。
私と雄介がそのまま幸せに生きていくのを願ったかもしれない。
もしかしたら、私が殺した奴ら全員、朔夜なら許していたのかも。
朔夜はやさしいやさしい、子だから。
「許せなかったのは、私だったんだ」
朔夜はやさしいから許すだろう。でも私は朔夜を死に追いやった連中を許せない。
死人のための復讐なんて、ただの自己満足だ。朔夜のためじゃない、私のための復讐。
許せなかった。
ファンクラブを使って朔夜を虐めた副会長も、
朔夜を階段から突き落として下手したら死んでしまうような怪我を負わせた会計も、
ずっと朔夜が悩んでいた暗所恐怖症を使って朔夜に怖い思いをさせた書記も、
朔夜を自分の対極として位置づけることで優越感に浸っていた少女も、
全てを裏で操った上に朔夜を裏切り続けた雄介も、
自分は関係ないと目を逸らし朔夜の死を有耶無耶に誤魔化そうとした学園も、
雄介を傷つけ、壊し、この悲劇の引き金を引いた自分も。
……許せなかった。
「朔夜、屋上って、こんなに寒いんだね」
下の階は煌々と燃えているのに、屋上はひどく冷えていた。もしかしたら、人が死んだ場所だからかもしれない。
ここに、朔夜はいたのか。朔夜はここから携帯電話をかけ、私がイタリアからそれを受け取り……そして、飛び降りた。
フェンスの向こう側に立つと、ようやく朔夜の気持ちが分かった気がした。
「寒くて、怖い。風が背中を押して、早く死ねって言ってるみたい。……朔夜も、こうだった?」
もう校庭には誰もいない。縛り上げた人間は死に、それ以外の人間は森へ逃げ延びたんだろう。俗世から隔離したいからって、こんな山奥に学校を建てるのはいけないね。有事の際の救助に時間がかかりそうだ。
はぁ……と息を吐きだす。白い靄になった。靄の先に見えた、小さな人影に、少しだけ目を見張る。
「ゆうすけ」
逃げているのではない。誰かを呼んで、誰かを探しているような仕草。腰から体を折るようにして、呼んでいる人の名は。
――その声が聞こえた瞬間、涙がこぼれた。朔夜の自殺を知っても、どんな復讐をしても流れなかった涙が、ようやく流れた。
「ゆうすけ、ごめんね」
何に対しての、謝罪だったのか。
「さくや、ごめんなさい」
どんな罪に対しての、懺悔だったのか。
ただ、罰を受けたいと、切にそう思った。
何もない、どこにもつながらない空へ、足を踏み出す。
身体がふわりと浮いた、その時になってようやく、私は自分が許されたような気がした。
* * *
『かくれんぼする人 この指とまれ』
『はーいっ!』
『……はい』
『……はい』
朔夜が私の腕を引き、私が要の腕を掴み、一緒に雄介のもとへと走っていく。この頃よく遊びに来る雄介。最初は朔夜を悪者扱いするから嫌な子だと思ったけど、実際はそうでもないみたい。
こんなふうに朔夜に誘われてしか遊びに参加できない私や要を、嫌がることなく何度も遊びに誘ってくれる。痣だらけの私の身体を見ても、気持ち悪がったりしない。きっとこの人も、いい人なんだ。
『んじゃ、おれオニなっ! 30かぞえるから!』
ちょっと強引に、やりたいことやる癖があるところは苦手だけど……。
雄介が数えだしたのを合図に、私と朔夜と要はばらばらの方向に散らばった。
広い屋敷の中だから、隠れるところは無駄に多い。多いからこそ、うまく決められない。どうしようと迷った末に、私はいつも隠れている納屋に潜り込んだ。
雄介の「もーいーかい!」という声に、小さく「もーいーよ」と答える。たぶん、聞こえてない。朔夜が人一倍大きく返事をしたから、きっと大丈夫。
暗いところは、好きじゃないけど、でも慣れてる。昔はずっと暗いところにいた。今は明るいところにいる時間のほうが多いから、平気。
明るいところへ引っ張り出してくれた朔夜が好き。何回ありがとうっていったって、きっと足りない。これからいっぱいいっぱい、恩返ししていこう。
そんなことを考えていると、ガラガラと音を立てて扉が開いた。外から差し込む日差しの光に、目を細める。
『ナギみーっけ!』
『……はや』
『あったりまえじゃん! まいかいおんなじところにかくれてんだからさー』
私を見つけられたというのに、雄介はどこか不満そうだった。
もしかして、毎回同じところに隠れるのはダメだった? かくれんぼをつまらなくさせていた?
『……ここいがい、かくれるところしらないの』
『はぁ? いっぱいあんじゃん! なんでここ?』
『……さくやがここにかくれればみつかんないって』
『はー?! こんなじめじめしたとこおしえたのかよ、あいつ! まじでいやなやつ!』
雄介の、嫌なところ。朔夜の悪口をすぐ言う。というか、なんだか雄介には朔夜が悪者みたいに見えてるみたい。
そんなことないのにな。朔夜は、とってもやさしい人なのに。
雄介もたぶんいい人なのに、どうして仲良くできないんだろう。
『さくやのわるぐち言わないで。さくやはやさしいから、かくれるばしょおしえてくれたの』
『む……わかった! じゃあおれもかくれるばしょおしえてやる! こんどからはそっちにかくれろよな!』
……? それって、意味あるんだろうか。
かくれんぼの時、雄介は鬼役が好きだから、たいてい鬼になるのは雄介だ。鬼の雄介が教えた隠れ場所って、それもすぐ見つからない?
頭に疑問符を浮かべながらも雄介に手を引かれてやってきたのは、庭の中のちょっとした林。雄介は一本の木を指さすと、満面の笑みを浮かべていった。
『これならおれらでものぼれるんだ!』
『木の上がかくればしょ?』
『ああ。ここならあかるいだろ?』
でも納屋よりも見つかりやすそうだけど……。というかやっぱり鬼が教える隠れ場所って、全然意味ないよね。
『ナギみーっけ!』
予想通り、次の日にやったかくれんぼでも、雄介は一番に私を見つけた。
次の日も、そのまた次の日も。木登りが上達した。
でも、あの納屋の隠れ場所に戻ることはしなかった。今日も木の上に登り、雄介が数を数え終わるのをじっと待った。
だってここは、温かくて明るくて、心地よい。
『ナギみーっけ!』
それに、見つかったとき、雄介はとっても嬉しそうな顔で笑うんだ。
それを見るのが、わたしは
義妹、藤波渚。自死。




