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  左手の人差指 ――罪人。忠臣

 逃げなさい、と。

 スイッチを押した後、ナギ様はそう言って寮室を出ていった。


 爆発音が聞こえた後、生徒や教師たちが悲鳴を上げながら逃げていくのを窓から眺めていた。

 爆破装置は理事長や加害者を監禁した部屋に集中しておかれていたが、それが引火してかなり大きな炎になっているらしい。消火栓もスプリンクラーもあらかじめ潰しておいたから、それも仕方ないんだろう。

 学園と連結しているこの寮からも、人気が消えた。じきにここにも火が燃え移るだろう。焼け死ぬ前に逃げろと、ナギ様は言ったのだ。


 それで……? それで、どうしろと?

 生き残って、それで。

 幸せになれと?



「ナギ様……」



 今はいない、主人の名前を呟く。行った先は見当がついていた。

 この寮室からは校庭が見下ろせる。悲鳴を上げて逃げていく人間たちの間を、逆流していくナギ様の背中を目で追っていた。

 きっと、あそこなんだろう。あそこで、復讐を遂げるつもりだ。



「ナギ様。あなたまで、罰を受けなければならないんですか」



 ……ただ、朔夜様のことを想って身を引いた、あなたまで。ただ、朔夜様とあの男の幸せを願った、あなたまで。

 だとしたら、あなたの罪とはいったい何ですか。私に罪はないんですか。私も朔夜様とあの男の婚約を後押ししました。浅ましい、あなたを手に入れたいという欲のために、あなたのイタリア行きにもついていこうとしました。


 あなたに罪があるというのなら、私にだってある。



「ナギっ!」



 寮室のドアが勢いよく開き、静かな部屋に慌ただしい足音が響いた。いきなり入ってきた男は窓の外を見ている私を見つけると、荒れた息を整えながら私を睨みつける。

 この男は昔から私への敵対心を隠さない。わかりやすい男だ。……だからこそ、ナギ様もこいつの気持ちにだけは気が付き、ナギ様なりに意識したんだろうが。

 私もこの男ぐらい分かりやすい好意を示せば、ナギ様の心を振り向かせることができたのだろうか。……もう、今更の話、か。



「要、てめぇ……! 説明しろ! なんで学園が燃えてるんだ?!」

「爆破させたからだ。朔夜様を死に追いやった学園を、ナギ様は許したりしない」

「はぁ……? こんなの、計画にねぇだろ……!」

「お前に聞かせなかっただけで、ここまでは私も承知済みだったぞ。ナギ様は、お前には復讐は終わったといい、私にはまだ続けるといった。この意味が分かるか? 柏原雄介」



 ナギ様に、嘘を吹き込まれていた。この意味が分からないほどこの男は鈍くはない。

 自分が復讐対象に含まれていることを理解した柏原雄介は、一気に顔を青褪めさせカタカタと震え始めた。

 バレていない、バレるはずがないと思っていたのだろう。確かにこの男は周到だった。私が監視カメラのハッキングまでできることを前提に、監視カメラのある所では暗躍の片鱗など一度も見せなかった。



「宮川皐月を使ったのが仇になったな」

「は……?」

「あの女はお前との情事を盗撮し、朔夜様にメールで送りつけていた。それほど朔夜様にダメージを負わせたかったんだろう。お前があの女を煽った結果だ」

「あ、のアマ……!」

「お前が好きであの女を抱いているわけではないことはすぐに分かった。取引の条件だったんだろう? その取引の内容は、朔夜様を精神的に追い込み、自殺させることだった」



 そこからは、推測の域でしかなかったが。他の生徒会役員は、よく見るとあるタイミングで目の色を変え、狡猾で残忍ないじめに加担している。そしてそのタイミングの前、必ずその生徒会役員と柏原雄介が一緒に監視カメラの領域内から外れる時間がある。

 きっとあの女と同様に生徒会役員にもなにかしらの知恵を吹き込んだのだろう。

 あの情事の盗撮さえなければ絶対に見過ごされていた。そして柏原雄介を信用し、三人で朔夜様の復讐をする……そういうストーリーになったのかもしれない。



「……そ、だ。うそだ、嘘だ嘘だ嘘だ!! ナギは、ナギは俺のことを、愛してると、愛してるといったんだ!!」

「本気でそう言っていたと思うのか?」

「ナギは、ナギは俺と幸せになると、俺を愛してると、何度もっ!」



 この男の、こういうところが嫌いだ。

 自分で肯定する言葉を吐いておきながら、泣きそうな表情がそれを否定する。

 自分はナギ様に愛されていると主張しながら、心の中でそれを全く信じていない。

 ナギ様を信じ、ナギ様を追いかけることがどうしてできなかったのか。ナギ様の気持ちを、どうして分かってあげられなかったのか。


 ああ、その通りだ。柏原雄介。

 ナギ様はお前のことを、愛しているよ。

 そのことに気付いていないのは、お前だけだったんだ。



「お前に、私の罪を話しておこう。ナギ様にも話していない、私の裏切りを」



 そう言って、懐から白いカードを取り出した。一見変哲もない、質素な手紙。だがそこに書かれていた一言の文面に見覚えがあるのか、柏原雄介が目に見えて動揺した。

 この男が朔夜様を意図的に自殺に追い込んだ原因は、自分がイタリアに逃げたことにあるとナギ様は推測した。そしてその推測はおそらく、間違っていない。

 ナギ様と私がイタリアへ行き、この男と朔夜様が婚約する。そんなハッピーエンドを強いられ、この男は壊れたのだろうと。

 だとしたらこのメッセージカードは、この男の壊れた発端にもなったはずだ。



「朔夜の幸せを祈ります。――覚えているか? このカードを」

「っ忘れるはずがない! ナギが、ナギが出したんだろう? あいつは逃げたんだ!! そんな紙切れ一枚でっ、俺から!」



 やっぱり。柏原雄介は目に見えて怒り出した。このカードが、朔夜様を死に至らしめた原因の一つであることは確かになった。

 ――――よかった。これで、私にも罪がある。



「これは私が書いた。ナギ様の筆跡をそっくりコピーしてな」

「…………は……?」

「ナギ様は、抵抗こそされなかったが、お前と朔夜様の婚約が取り決められるのを、本心では反対しながら静観していた。まるでお払い箱のようにイタリアへ飛ばされるのも、ナギ様が計画したわけじゃない。すべて、朔夜様が当主様にねだった結果だ」



 その意味で、確かに柏原雄介の言う通り、朔夜様は“いい人”とは程遠い存在だったのだろう。

 だけど私には朔夜様は一生懸命になっているだけだと感じた。本当の姉妹でも好きな人間が同じであれば、疎ましいと思ったりどこかに行ってほしいと願うものだ。

 ただ、ナギ様は、自分の気持ちよりも、朔夜様の気持ち、そして柏原雄介の将来を優先させた。なぜならば、ナギ様にとって、二人は――……。



「あの文面のカードを送れば、お前はナギ様に振られたのだと勘違いすると思い、私がメッセージを差し替えた。事実お前は近いことを考えただろう? あれで、お前のナギ様に対する恋心を終わらせてやろうと思っていた」



 そう。私は、まぎれもなく嫉妬していたのだ。ナギ様の気持ちを揺るがした、この男に。

 だからほんの意趣返しのつもりだった。

 この男の気持ちも、ナギ様の気持ちも、知っておきながら私は、二人を引き裂くような行為をしたのだ。ただ、己の欲のために。



「本当のメッセージカードは、こっちだ」

「……うそ、だ」

「『私のかけがえのない人たちが、幸せになれますように』……ナギ様は、願っていたんだ。朔夜様と、そしてお前の、幸せを」

「なん、で。だって、ナギは、いつだって朔夜が一番で、俺のことなんか……っ、俺のことなんか見てなかったじゃねぇか……!」



 そう、思いたければ思っていればいい。

 ナギ様も素直には自分の気持ちを言えない方だから、わかりにくいところもあったのかもしれない。だけどナギ様が照れたように顔を伏せたり、落ち着きなく髪をいじったりするのは、いつもこの男に関すること

ばかりだった。

 もう少しで、朔夜様との立ち位置も逆転するのではないかと思った。ナギ様の中で、この男が一番になるのではないかと思った。


 ……その日を見る前に、この男は朔夜様を殺し、ナギ様を壊したのだが。



「これが私の罪だ。罰を受けるには十分だろう?」



 拳銃を懐から取り出し、安全装置を外す。その音で、とめどなく溢れてくる涙を拭っていた柏原雄介も、こちらを注視した。

 トリガーに指をかけ、銃口を己のこめかみにあてた。冷たい感触が心地よい。



「ナギ様も私も地獄へ落ちる。人も殺したし、自分も殺す。実行犯なだけあって、私の方が深い地獄に落ちるのかもしれないな」

「……おいっ、まて、まさか……まさかナギは……!」




「どんなに深くても、這い上がって、またナギ様のお傍にいきます」



 左手の人差指が、引き金をひいた。




 忠臣、上村要。殉死。


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