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  左手の親指 ――罪人。学園

「……要」

「はい、ナギ様」

「やっと、終わるね」



 無駄に広い寮室には、いつも四六時中いるはずの雄介の姿はない。今日は二人で選んだ婚約指輪の、引き取り日だった。本当は二人で行く予定を、私が体調不良を装い、雄介に一人で行かせた。

 あの男を学園から出すのにはずいぶん骨を折ったのだ。なにせもともとの警戒心が高い上に、私に対して独占欲を抱いている。一秒たりとも私から監視の目を外したくないというのがあの男の本音なのだろう。

 それでもようやく、あの男を学園の外に出すことができた。注文した店は学園から往復で半日かかる。復讐を仕上げるには十分な時間だ。



「要。私この間、夢を見たの。イタリアに飛ぶ前日に、雄介と一緒に神社にお参りに行く夢」

「……朔夜様が熱を出して寝込まれて、私が看病していたあの日ですか」

「そう。あの時は誰が看病するかで揉めたね。朔夜は雄介に看病してほしいっていうし、雄介は絶対に嫌だっていうし。私が看病するっていえば雄介が文句を言って、朔夜も不満そうだった。しまいには雄介が看病なんていらないって言って、私と要を怒らせていたね」

「結局私が看病として居残ることで決着はついたんですが、朔夜様はずっと、どうしてナギ様とあの男を二人きりにさせたんだ、と文句を言ってました」

「ふふ……あの子は本当に、雄介が好きだったから」



 ……本当は、そんな言葉だけで済ませられるほど綺麗な関係じゃないってことも分かっている。

 いびつ、だったんだ。

 歪な関係を修正し、朔夜と雄介、二人の幸せを願おうとして……雄介の心を壊してしまった。

 それが、本当に最初の、発端だったんだろう。



「……要」

「はい」

「もしも、さ。もしも過去に戻れるんなら……」

「……はい」

「わたしを、消してしまいたい」



 要は、しばらく何も答えなかった。ただ驚いたように私を見て、唇を震わせている。

 こんなことを言う時でさえ、涙は出なかった。後悔と罪悪の感情で心臓が痛いのに、頭の隅はどこか麻痺している。



「……ナギ様。正直に、答えてください」



 やがて要が絞り出すようにして出した声は、彼がテーブルの上で握りしめた拳と同じぐらい震えていた。

 私は静かにうなずく。今の一言でこれから私がやることを察したらしい。やっぱり要は頭がいい。

 ……だから最初からすべてを話すわけにはいかなかった。すべてを話せば、彼は復讐に協力してくれなかっただろう。



「次に復讐する相手は、誰ですか」

「学園。理事長や、朔夜のいじめに加担した人間。それを調べ上げて、一時的に学園の使われていない防音室に監禁したのは要だったよね」

「ええ。決して逃げられないように、全員縛り上げ、すべての出入り口を塞ぎました。貴女の指示通りに」

「うん。彼らにも償ってもらう。命を以って、ね」

「そのための爆破装置ですしね」

「そう。このスイッチを押せば一瞬だよ」



 爆破装置のスイッチを左手で掲げて見せる。ここまでは要も知っているはずだ、協力していたはずなんだから。

 そういえば、書記の黒田真司が面白いことを言っていた。私たちの復讐は“やり過ぎ”……だっけ? 正確には言っていた、ではなく、そんな表情をしていただけだったが。

 もし彼がまだ生きていれば、この装置を見て再び蒼白したんだろうか。……関係ないか。死んだんだし。



「……学園に復讐した後は、誰に復讐するんですか」

「…………」

「残りは、誰ですか。柏原雄介ですか。なぜ彼もいっしょに殺さないんですか。彼のかけがえのないものは何ですかっ。どうやって奪うつもりですか。ナギ様っ、あなたは……!」



 途中で冷静でいられなくなったのか、椅子を床に倒しながら立ち上がる。

 要も、特殊な環境で育ったからか、あまり感情を外に出すことがない。それでも私のように壊れているわけではないので、悲しかったら泣くし、嬉しかったら笑う。

 要は泣いていた。嗚咽を上げることなく涙を落とす彼に、少しだけ申し訳なく思う。でも、これはもう、最初から決めていたことだから。



「あなたは……っ、楽しい、ですか」

「…………」

「どうすれば、楽しいですか」

「…………」

「この復讐が終われば、あなたは、笑えるようになりますか」

「…………」


「あなたは、最初から……っ、幸せになるつもりなんか、ないんですね……?」

「……すべての罪人に、罰を。だから、ね」



 ふわり、と。不思議なほど自然に、笑うことができた。

 朔夜が死んでから一番、自然なほほえみかもしれない。もしかしたら私は、心から笑っているのかも。



「誰一人、許さない」



 左手の親指で、スイッチを押した。




 学園、その他加害者。爆死。


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