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もしも、

藤波渚視点。

過去~現在。

「人、いっぱいいるね」



 どんなに藤波と柏原が資産家であろうとも、一月一日の日ばかりは神社を貸切にはできない。私と雄介は100メートルほども続く長蛇の列の最後尾に並んだ。

 いつもは雄介が勝手に施設を貸切にした状態で遊びに行くので、こんなに沢山の人がいるところなんて初めてかもしれない。

 早朝だというのにガヤガヤと神社の周りは賑わっていた。新年を祝う声がそこかしろから聞こえる。



「ああ。ちっ……折角ナギと二人きりだってのに」

「……もともとは四人で来るはずだったよ」



 私と、朔夜と、要と、雄介……四人で。

 朔夜が風邪を引いてしまい、要はその看病ということで二人が家で過ごすことになった。

 明日から朔夜が楽しみにしていた旅行があるのに……明日までに熱は下がるだろうか。



「おい、何考えてんだ」

「……なにも」

「嘘つけ。どうせまた、アイツの事だろ」



 隣に立ち神社の順番待ちをしていた雄介の顔が大きく歪んだ。

 何となく、彼が朔夜のことを嫌っているのは分かる。そしてその原因は、私にあるのだとも。



「俺と一緒にいる時ぐらい、俺のこと考えろよ」



 冷たい指が頬を撫でる。しばし躊躇した後、目尻の下を撫でただけですぐ離れていった。

 幼馴染としてではなく、まるで恋人として相手の気を向けようとする仕草。付き合ってもいないのにこんなことをするなんて、軽い男に見られても仕方がない。

 だけど、私は知っている。彼が見た目に反して一途であること。そしてその想いの矛先が、ほかならぬ自分に向けられていること。

 そんな彼を、私もまた、嫌いにはなれないことを。



「……うん。ごめん」



 朔夜はこの男が好きだ。

 この男は私のことが好きだ。

 私は……この男が嫌いじゃない。


 幸せなんて、限られた者たちしか享受できないというのに。

 どうして人は、みんながみんな、幸せになりたいと思うのだろう。



『私、雄介さんのこと好きなんだ。お父さんに話したら、婚約させてやるーって張り切っちゃって。えへへっ……ナギも応援してくれるよね?』



 朔夜が頬を赤らめてそう言ったとき、私が感じたのはおよそ絶望とはとてもよべぬものだった。絶望や怒り、悲しみを感じていたのだったら、まだましだったろうに。

 彼女の言葉を聞いた時に浮かんだのは、「摘め」という自分への命令。摘め、摘んでしまえ。雄介に抱いていた仄かな想いも、雄介を誘惑する自分の存在も。

 摘んで、捨ててしまわなければ。朔夜を幸せにするために。

 ぎしぎしと、心が悲鳴を上げる音がした。



「にしても……今年、雪降らねぇのかな」

「まだ雪が降るには早いよ。東北の方は積もってるだろうけど」

「あー、東北かぁ。東北の山を見ながら温泉ってのもいいな」

「……行ってくれば。雄介も春休みでしょ」

「ばーか。お前と一緒に行きたいって意味だよ」

「……そう」



 春。雄介が高校二年生になり、私と朔夜は高校に入学する。

 朔夜は雄介を追って同じ高校へ。私は、イタリアの高校へ。要も私についてくると言っていた。


 高校卒業したら、そのままイタリアへ移籍する。

 雄介は、陰で朔夜との婚約が進められていることも、私がイタリアへの片道切符を切ろうとしていることも、何も知らない。だからこの春一緒に旅行に行くことを思い浮かべられるのだ。

 明日、家族旅行としてイタリアに行く。一週間ほどの予定だが、私と要はそこに残り、朔夜と両親だけが日本に帰る。


 今日だけ。今日だけなんだ。

 こうやって二人きりで会えるのも。私が、彼を愛しく思うのも。



          チャリン



 ようやく私たちの番になり、賽銭箱に5円玉を投じた。雄介は一万円を取り出していたから流石に止めた。これだから生粋のお坊ちゃんは……。

 物悲しく鳴る小銭の音に重ねて鈴の音。次いで柏手。乾いた空気の中に手を打つ音が響いた後、願いを念じる一瞬だけしんと静まり返る。



「何のお願いした?」

「……雄介は?」



 神社の前から離れ、人通りの少ない本堂の横に佇んだ。

 おみくじは引かない。二人とも、くじ運は最高に悪いから。変なことが書いてあってイタリア行きの決心が揺らぐのも嫌だし。



「俺のなんてどうでもいいんだよ。いいからさっさと教えろ」



 雄介が横暴になる時は、たいていの場合照れている時だ。横目で顔を確認するとやはり少し赤かった。

 何をお願いしたんだか……。



「無病息災、運気開運、交通安全、延命長寿、幸福到来」

「……お守りかッ」

「これだけ祈っとけば、私がいなくても雄介は大丈夫だよ」

「はぁ?」

「祈っといたから、大丈夫」



 ぽん、と雄介の額を軽くたたく。雄介はそのしぐさでようやく、今の祈りが自分に向けられたものだと分かったのか、頬を赤らめながら唇を尖らせる。

 その顔が妙に可愛くて、なごむのに、少し切ない。


 幸せは、限られた者たちしか享受できないから。

 朔夜は雄介が好きで、雄介は私のことが好きで、私は雄介を嫌いになはれなくて。

 どうして人は、みんながみんな、幸せになりたいと思うのだろう。

 誰かが諦めてしまえば、他の誰かが幸せになることもできるのに。



「なんだそれ。お前、自分のことを祈れよ。つーか色気ねー……」

「……私は、かけがえのない人たちが幸せなら、それでいいから」

「はぁ?」



 かけがえのない人たちが、幸せになれますように。

 私の願いは、それだけで十分。




*  *  *




「もしも、さ」

「……なぎ?」



 深夜過ぎ。情事の後特有の気怠い空気の中、私は枕に顔を埋め囁いた。

 雄介の目蓋は半分ほど下がっている。宮川皐月が死んだんだ。唯一生き残った生徒会役員として、手配に忙しかったのだろう。



「もしも私がイタリアなんかに行かなかったら、あの子は死なずにすんだのかな」



 この男があんな企てをすることもなかったのだろうか。



「もしも私があの子から離れなければ」



 この男の気持ちから逃げなければ。



「もしも私があの子の側にいたならば」



 朔夜を傷つけてしまうことを承知でこの男の気持ちを受け入れたならば。

 ――――違う未来が、あったんだろうか。



「……どうでもいいだろ、んなの」



 あくびを殺しながら雄介は言う。その言葉で、私の思考はふつりと途切れた。

 布団から伸びた手が後頭部に置かれ、そのまま引き寄せられる。

 温かい肩口に額が当たると同時に、寝息混じりの囁きが耳を擽った。



「もしもなんて考えても意味ねぇんだから……」

「……そうだね」



 もしも、なんて考えても仕方がない。そのとおりだね、雄介。

 幾千のもしもを描き出したところで、もうこのエンディングは変えられないのだから。



「雄介、」

「ん?」

「……愛してる」



 もしも、


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