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柏原雄介視点。

過去~現在。

 結局その後は朔夜の泣き声を聞きつけた父によって俺は家に連れ戻され、しばらく藤波家に行ってはいけないときつく言い含められた。

 次にあの子と会ったのは、あの子の母親の葬式。なんでも、昔付き合っていた男に刺されて死んだらしい。あの子をギャクタイするなんてろくな女じゃない。だからちっとも涙は出なかった。

 それはあの子……なぎさも同じだった。なぎさは式の間中ずっと隣の朔夜の手を握り、感情のない瞳を伏せていた。



『このたびは、ごしゅうしょうさまです』



 何とかしてもう一度あの子と関係を持ちたくて、俺は勇気を出して話しかけた。当然朔夜も隣にいたが、そちらに目をむけることなくなぎさに頭を下げる。

 なぎさは初めて会った時同様、何の感情も浮かべていない瞳で俺を見ていた。なぎさが何も言わないのを見かねて、朔夜が口を挟む。



『なぎさはべつに悲しんでないよ。だってあの人、なぎさをぶったりけったりしてたんだもん。いなくなってすっきりした。ねー、なぎさ』

『すっきり……した? うん、さくや』



 そりゃ俺だってギャクタイする女なんて庇うつもりもないけど。なんでお前がなぎさの感情あを決めるんだよ。これじゃあまるで洗脳じゃないか。

 俺はそう反発しかけたが、ぐっと踏みとどまる。ここで朔夜と言い合いになれば、また前回の二の舞だ。最悪もう二度と会わせてもらえなくなる。



『そう、か。ナギはちゃんとご飯食べさせてもらってるか』

『なぎ?』

『ああ、なぎさだから縮めてナギ。ダメか?』

『…………』



 俺と会話している最中なのにじっと朔夜の方を見るなぎさ。朔夜がうなずくとなぎさもうなずいた。

 まるで主人の了解を取る犬のようだ。そのやり取りに不快さを感じる。こんなのが正しいはずがないんだ。



『ご飯、もらえるようになった。一日、三回』

『そっか。ちゃんと食べて身なりもととのえたら、ナギはきっときれいになるからな』

『うん。ふくも、もらえるようになった。……だけど』



 つ、と。

 最後の化粧を施されている最中の母親の方へ、視線を流す。暗く沈んでいて、感情が読み取りにくい瞳。だけどこれは……悲しんでいるのか?



『いいことばっかりだよね。うれしいね、なぎさ』

『……うれしい?』

『そうだよ。うれしいんだよ』

『……うん。さくやがそう言うんなら』



 棺桶に入った母親に向けられた、悲しいまでに一途な、子供の愛情。

 それを朔夜は、無邪気に摘み取った。……やっぱりこいつだけは、好きになれそうにない。

 ナギに優しくしていると見せかけて、一番歪めているのはこいつだ。一見普通に義妹を可愛がっているようにみせて、実はペットを見る目でナギを見下している。


 だけどナギの一番は既に朔夜であるらしい。それはたとえ俺がいくらナギの手を取って遊んでも、変わらぬ事実だった。

 ナギの一番は朔夜で、朔夜のいうことは絶対で、朔夜の行動にしか心を動かさない。それが、俺にはずっとずっと、悔しくて仕方がなかった。

 ――――ナギを朔夜から解放してやりたい。



 それからしばらくして、要が藤波家に雇われることになった。

 なんでも、ナギが拾ってきた身寄りのない少年を、朔夜が父親に頼み使用人にしてもらったらしい。要という名前はまた朔夜が付けていた。

 要もまた、不遇の子だった。ナギは自分と同じ匂いを要に嗅ぎ付けたのだろうか。言葉も知らなかった要に根気よく言葉を教えたのはナギの方だった。

 要はナギと朔夜両方に恩義を感じていたが、特にナギによく懐いていた。……いや、懐いていた、ともまた違うのかもしれない。ナギを見つめるその瞳にはしっかりと熱がこもっていた。


 その頃には俺もナギへの気持ちが何なのか、ちゃんと自覚していた。きっとこれが恋愛感情というやつなんだろう。初恋にしてはとんでもなく厄介な相手だが。

 渚、朔夜、雄介、要。俺たちは4人で遊ぶことが多くなったが、その実、俺は朔夜と要のことが嫌いだった。

 朔夜がナギの“主人”であることが気に食わない。俺よりも後から来たくせにナギと一緒にいる時間が多い要のことが気に食わない。

 ナギ以外、いなくなってしまえばいいのに。そう思いながら、俺は指を突き立てるんだ。



『かくれんぼする人 この指とまれ』



 どこから狂い始めたのか、と聞かれれば、俺はこう答えるだろう。

 はじめからだ。




*  *  *




「宮川皐月、殺されたって」

「犯人まだ見つからないんだって?」

「黒い手紙が血だまりに落ちていたらしいよ。ほら、例の」

「じゃあやっぱり……」

「ああ、二階堂の呪いだよ……」



 クラスメイトが囁く噂の内容に、俺は笑いをかみ殺していた。真実を知る人間としてはこれほど滑稽なことはない。二階堂朔夜の呪い、だなんて。

 次々と朔夜のいじめの主犯たちが死んでいるのは、死んだ朔夜の復讐にナギが殺して回っているだけ。犯人が見つからないのは天才ハッカーである要が情報を攪乱しているだけ。黒い手紙が死んだ奴の周辺で見つかるのは、俺が置いているだけなのだ。

 すべて人為的な現象なのに、馬鹿な高校生たちは呪いだ祟りだと騒ぎ立てる。朔夜が強く憎んだ人間が、順々に死んでいくのだ、と。


 憎悪で人が殺せるなら、俺は何百回と朔夜を殺したことだろう。

 それができなかったからこんなにも面倒な手段をとったというのに。



『不束者ですが、よろしくお願いします。雄介さん』



 いっそ残酷なほど無邪気なその笑顔に、俺の視界は真っ赤に染まった。その時朔夜の首を絞めて縊り殺さなかったのが不思議なくらいだ。

 ナギが直前になってイタリアの高校に入学することを決め、そしてそのまま要とともにイタリアへ移籍すること。朔夜が俺の婚約者に据えられたこと。この二つの話は、ほぼ同時に俺に伝えられた。

 それがどういう意味かぐらい、言葉にされなくてもわかる。俺たち四人の歪な関係を清算しようとしているのだ。俺とナギを引きはがし、それぞれに“相応”の相手を付ける。俺には、藤波家の愛娘である朔夜を。ナギには、同じく“ペット”である要を。

 もっとも綺麗な形で、ハッピーエンドを作り出そうとした。


 誰が。誰が。誰が。



『えへへっ、ナギったらもう気が早いことに、こんな手紙まで寄越しているんだよ』

『……これ、は……』



 白い手紙に、黒い文字。それは、俺にとっては、呪いの手紙だったのかもしれない。

 ――――「朔夜の幸せを祈ります」。そう、書いてあった。

 声もなく、絶望の涙を流した。それを見た朔夜が何を勘違いしたか、自分も笑いながら泣き出す。


 ナギ。ナギ。ナギ。

 どうしてだ。どうして、どうして俺から逃げるんだ。

 どうして、俺を見てくれないんだ。


 ぱきん、と。

 何かが、壊れる音がした。


 それからだ。怖いほど冷静に、朔夜を殺す計画を練った。

 幼馴染の情はない。ただ、復讐のために必要だから殺す。ナギを手に入れるために邪魔だから殺す。

 なんだって使った。都合よく生徒会に入れたものだから、生徒会役員をそれとなく唆して朔夜を追い込んだ。頭のおかしい転入生の女にも、よく働いてもらった。



『親衛隊ってさ、すげぇよな。命じればどんな犯罪めいたことだってしでかすぜ。副会長、お前も使ってみれば?』


『朔夜って物覚え悪いんだよな。あいつが俺の婚約者か……。妊娠できない体になれば婚約者からは外れるのにな。……ああ、もちろん冗談だぜ、会計』


『書記。旧体育館倉庫、ちょっとの間管理しといてくれ。まぁ管理っつってもほとんど人が寄り付かないところだけどな。ほら、カギだ』


『恋に障害はつきものだろ? ないなら作り出せよ、悪役を。協力するぜ、皐月』



 もちろん、やばそうな言葉は監視カメラのないところで囁く。朔夜が自殺した後にナギが復讐に来るのは目に見えて分かるからな、あいつらを扇動したのがバレて俺もその復讐対象にカウントされたら堪らねぇ。

 背中を少し押してやれば、ドミノ倒しのように次々と崩れていく。


 副会長は親衛隊を使って朔夜を追い詰め、

 会計は俺と俺の家、自分の出世のために朔夜を排除し、

 書記は劣等感の裏返しから朔夜を虐めることに快感を覚え、

 皐月は愛される自分とは正反対に嫌われる朔夜を作り出すことに夢中になり、

 やがて学園が朔夜をスケープゴートに秩序を取り戻しかけたとき、

 あいつがようやく屋上から飛び降り自殺をした。


 朔夜の死体を見たとき、歓喜に胸が震えた。

 死体に縋りつき涙を流したのは演技でも何でもない。あまりの喜びに、俺は子供のように泣いた。


 なぁ。

 ナギ。ナギ。ナギ。

 見たか? 朔夜が死んだ。朔夜が死んだ!


 これはお前への復讐だ、ナギ。

 お前のかけがえのないものを奪ってやる。


 これはお前への解放だ、ナギ。

 もうお前を支配する人間なんていない。


 これはお前への愛情だ、ナギ。

 俺はただ、お前と幸せになりたかっただけなんだ。



 これは、これが。

 お前の作り出したハッピーエンドの末路だ。

 なぁ、ナギ。


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