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鉄のボックスから出された時には、酸素不足で頭が朦朧としていた。一体何時間移動してきたのだろう。途中から車が走る音が聞こえていたから、相当遠くまで連れられているかもしれない。
ザラザラとした床に身体がたたきつけられ、俺は小さくうめき声をあげながら周りを見渡す。
暗い、どこかの路地裏。鉄のボックスの中ほど暗くはないが、日の差さないそこは陰鬱な空気を醸し出していた。嗅いだことのない異臭に息を詰める。
「さて、黒田真司」
「……藤波、渚……」
「その様子だと雄介から少しは話を聞いているみたいですね」
俺の背後には学生服姿の藤波渚と、黒服の若い男が立っていた。会長の姿がないが……きっと彼の協力は俺を一人にするところまでだったんだろう。
藤波は、この状況にふさわしくないほど、穏やかな笑みを浮かべていた。その瞳には怒りも憎しみも浮かんでいない。いっそそっちのほうが、どれほどよかったか。
「副会長と、会計を……殺したの、か」
「殺した……というと語弊がありますね。副会長は正真正銘の首吊り自殺ですし、双子の会計はあなたが見た通り事故死でしょう? ……聞きたいのはそんなことじゃないですよね。そうですよ。私が彼らを死に追いやりました」
「死に……っ」
あまりにもあっさり認めた藤波に、俺は息をのむ。彼女は変わることのない笑みを浮かべていた。
まるで仮面をかぶった人間と対峙しているような気色悪さに、胃がざわめく。
「副会長を誘拐し指を折ったのは私です。3曲目で無様にも弾き間違えましたが、そもそも弾き間違えるまで演奏を続けさせるつもりだったので、あれは指とプライドを折るためのパフォーマンスですよね。その後ピアノのコンサートに参加できなくなった彼は実家から酷いお叱りを受けた……。予想外だったのはすぐに自殺したことです。こっちは他にもいろいろとどうやって追い詰めようか考えていたのに、正直拍子抜けでした。プライドは高いのにメンタルは弱かったんですね、彼」
くすくすと可愛らしく笑うが、それは一人の生徒を自殺に追い込んだ話だ。笑って話すことではない。
「会計はまず二人の仲を引き裂き、お互いを嫌いになるような仕掛けを施しました。二人は思考が似ていますね。二人とも整形と髪染めをするというんで、こちらの手の者を潜り込ませて、あえて二人とも同じ顔と髪にさせました。それでお互いがお互いを邪魔だと思ってくれたら万々歳だったんです。あとは雄介のほうから、互いに凶器を持たせて『片割れを殺せば良い待遇で迎えてやる』とでも囁いてもらうつもりだったんですが……こっちも予想外で、二人は事故死しました。中々計画通りいかないものですね」
「お、前……っ」
話を聞いているうちに沸々と怒りがわいてきた。
確かに俺たちはコイツの大切な人間を自殺に追い込んだかもしれない。だけどこれはさすがにやり過ぎだ。人を自殺に追い込んでおいて笑うなんて、副会長や会計とどう違うというんだ。
「やり過ぎだ、という顔をしていますね?」
「ぅぐっ……」
藤波を睨みつけていたら後ろから誰かに抑え込まれた。視界の端に映ったのはあの黒服の男だ。
ニコニコと機嫌よく笑みを絶やさない藤波に対して、男のほうは整った顔立ちをピクリとも動かさない。
「あの子が生きていればよかった。優しいあの子なら、あなたたち全員を許したかもしれない。一発殴って、『もういいよ』と笑ったかもしれない。でも書記さん、朔夜は死んだんです。――――罪を許してくれる人はもういないんですよ」
「っだから皆を殺したのか?!」
「殺したわけじゃないけど……まぁ結果的にそうなりますね。すべての罪人に罰を。私が実行したいのはそれだけです」
「断罪人気取りが……っ」
「断罪人? まさか。――――私もまた、罪人ですよ」
その言葉の意味が分からずなおも口を開きかけるが、藤波のほうは用は済んだとばかりに俺から一歩離れると、おもむろに携帯を取り出した。
短い文面を打つ動作をした後、再び俺に笑顔を向ける。
いったい誰に連絡をしたんだ。まさか、殺し屋……とか? こいつだったらあり得る。
一気に血の気が引いた。「やり過ぎだ」「理不尽だ」という思いがすぼみ、「死にたくない」という生存本能にとってかわる。情けなくなるほど身体が震えた。
「さて。……震えてますね、書記さん。怖いですか?」
「に、二階堂をいじめたことは、悪かった! もう二度としない! だから……っ」
「“やめてくれ”ですか。あの子もそう言いましたか? 暗闇に閉じ込められた時も、貴方に暴力を振るわれた時も。それで、貴方はやめてあげましたか?」
「そ、れは……っ」
「あの子は暗所恐怖症でした。あの子も怖かったと思いますよ。貴方はそれを知っててわざわざ閉じ込めたんですよね?」
「ぁ……」
確かにあの時、二階堂は体育館倉庫のドアを激しくたたきながら「やめて」「だして」と叫んでいた。普段の暗く大人しい様子からは考えられない金切り声だった。
尋常じゃないその動揺っぷりに唾を飲み込みながらも、俺は楽しんでいたんだ。他者を傷つける、その行為を。
青くなって黙り込んだ俺の耳元に顔をよせ、藤波はそっと囁く。
「だから私もあなたの“弱点”を調べたんです。黒田真司――あなた昔、虐められていましたね?」
「ぅ、ぁ」
「小学生の時、貴方のあだ名は“キモ司”だった」
「ぁぁぁあああ゛っ!」
『ハハッ! 見ろよこいつ、これっぽっちで泣いてんぜ』
『なっさけねーしウゼーしキメーし。生きてる価値あんのか?』
『おい、顔は傷つけんなよ。こいつの親金持ちなんだからバレちゃまずいし』
『心配しねーでもコイツ告げ口なんかするかよ! なーっ、キモ司』
『ぎゃはははっ! つーかコイツの顔きもすぎて触りたくもねぇっつーの!』
昔の記憶がフラッシュバックする。思い出してはいけない、そう分かっているのに記憶の奔流は止めようもなく脳内を荒らしていった。
やっと……やっとやっとやっと! やっとあいつらを忘れることができたのに!
あいつらから解放されたのに! あいつらから身を守れるようになったのに!
なんで、なんで思いださせるんだ……ッ!
「いじめの理由は気持ち悪かったから。人よりも一歩成長期の訪れが早かった貴方は小学校高学年、酷いニキビに悩んでいた。その頃の子供の中では、ニキビの出来る原因が“キモ司菌”だった……そうですね?」
「っれは、おれは悪くない! 何も! 悪くない!」
「確かに小学校の頃の過激ないじめは同情に値します。でもね、書記さん。貴方はいじめられる側がどんな思いをするか、よぉく知っていたはずでしょう? なのに貴方はあの子を前にいじめる側に立った。そんな貴方には、こんなプレゼントを用意しています。……要」
「はい」
複数の乱雑な足音が耳に入ってきた。黒服の男からの拘束が外れ、俺は身体を捻らせてそちらに目をむける。
薄暗い路地裏に同化するような暗い人影。下品な笑みを浮かべるその男たちの顔を認識した俺は、一瞬思考を止めた。
「感動の再会でしょう?」
「人をボコるだけで10万稼げるんなら、こんな楽な仕事ねぇよなァ!」
「おーおー、綺麗な顔でこって。これをボッコボコにするわけだな」
「しかもこいつお坊ちゃんらしいぜ?」
「イケメンな上に金持ちかよ。一番むかつく人種だな」
まるで俺のことを知らないかのように、俺を見下ろしながら談笑する男たち。俺がわからないか? それも無理はないかもしれない。だって最後にあったのは小学校の卒業式だ。
でも俺にはわかる。俺は覚えている。
こいつらは、ぼくをいじめた――――……
「ひっ…………ああああ゛ああ゛あっ!!」
身体がガクガクと上下に大きく震えた。通常ではありえないほどの痙攣に男たちは一瞬目を向き、ゲラゲラと爆発したように笑い出した。
何度も聞いた笑い。何一つ変わらない!
「見ろよ! こいつ震えてるぜ!」
『ハハッ! 見ろよこいつ、これっぽっちで泣いてんぜ』
「まだ何もやってねーっつの! これからだぜ、お坊ちゃんよォ!」
『心配しねーでもコイツ告げ口なんかするかよ! なーっ、キモ司』
「パパにも殴られたことないのに~ってやつかァ? こいつボコったらションベン漏らすんじゃねぇの?」
『なっさけねーしウゼーしキメーし。生きてる価値あんのか?』
「うえーっ、マジかよ汚ねぇ!」
『ぎゃはははっ! つーかコイツの顔きもすぎて触りたくもねぇっつーの!』
「おい、喋ってねぇでさっさとやろうぜ」
『おい、顔は傷つけんなよ。こいつの親金持ちなんだからバレちゃまずいし』
男たちの声に何重にも記憶の声が重なり、俺を追い詰める。いやだやめろ、やめてくれ、痛いのは嫌だ、嫌だいやだいやだ!
あいつらが、俺を見て俺を見て、ぼくを笑う。
また殴られる。
またけられる。
ばいきん。
また、また、また。
「ひいいいいいっぃぃぃぃっ!!」
「あっ! 待てやコラ!」
走った。
あいつらがおこった声でなにか言ってたけど、ぼくはにげることに夢中になった。
にげないと。にげないとにげないとにげないと……!
もう痛いのはいやなんだ! もうイジメられるのはいやなんだ!
安全なところへ、ぼくを守ってくれる人のところへ……!!
くらい道の出口が見えた。うしろからあいつらの足音。
光が見えた。うしろからあいつらのどなり声。
くらい道をぬけた。うしろからあいつらのあせったような声。
やった。にげれ
―――――キキィィィィィィィィィィィィッッッ!!
わぁ。
ひかりだ。
「キャアアアアアアッ!」
「誰かがトラックに轢かれたぞ!」
「きゅ、救急車! 救急車を早く!」
「お、お゛え゛ええええっ」
「タイヤに巻き込まれてる……ッ。だ、誰か! 引きずり出すぞ!」
「ひ、ひ、ひぃぃ……!」
「ち、違うんだ! この子がいきなり飛び出してきて……!」
* * *
「また予定が狂いましたね」
「うーん、昔いじめられていた人間にリンチの上自殺……っていうのが一応の筋書だったんだけどね。まぁ結果オーライかな。……要。彼は後悔してたね」
「ええ、謝罪をしてきたのも彼が初めてですね」
「後悔して、謝って、許しを乞うて、償って……それであの子が戻ってくればいいのに」
「…………」
「ああ、ごめんごめん、あんまり意味のないことをいうもんじゃないよね。だから後悔も謝罪も無意味なんだ。黒田真司があの子を自殺に追い詰めた事実も永久に変わらないしね」
「だから彼の大切なものを……」
「そう、彼から“守護”を奪った。といっても、もうほとんど喪われていたみたいだけどね。ふふっ」
「楽しいですか、ナギ様」
「楽しくはないよ。あの子がいないから」
「どうすれば、楽しいですか」
「あの子に会えれば、かな」
書記、黒田真司。轢死。
今回は書記の章でした。
元のやつから大幅に変わっているため結構な時間かかりました。
少しずつ明らかになっていく復讐劇の実態……っていうのを目指しました(汗)
今回は会長がよく喋りますね。登場当初からちょっと怪しかったこの人ですが、彼の真意がなんとなくわかったと思います。
あと今のところやたら影の薄い要さんですが、次はもうちょっと活躍する……はず。
わぁ。
光だ。




