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「さつ、き……!」

「えっ、し、真司くん……」



 転がるようにして皐月のいる教室に逃げ込み、その華奢な身体を震える腕で抱き締めた。

 腕の中の温もりに縋りつきながら、恐怖に身をすくませる。あの死刑宣告のような黒い手紙よりも何よりも、あそこにいた全員の目が怖かった。


 どうして。何で俺を守ってくれないんだ? 何でいきなり変わってしまった?

 俺は何にも悪いことなんてしてない! なのに何で、あいつらは俺を守らなくなったんだ?!

 俺は、俺は庇護される側の人間になったはずだ。背も伸びてニキビも収まって女子から散々もてはやされるようになって! 俺はっ、俺は守られる人間になったはずだ!


 なのにあそこにいた全員が俺を見捨てた。ファンクラブの人間もいた、なのに悪口をたたかれている俺をかばうそぶりも見せなかった。

 もう、最後の砦は皐月だけだった。太陽みたいに明るく正義感の強い皐月ならきっと、どんなに恐ろしい死神でも倒してくれる。


 俺を守ってくれる。

 ね、さつ、


         ドンッ


「…………え、」

「わ、私に近づかないで!」



 え、

 なんで?


 俺は皐月に突き飛ばされ、無様に床に倒れながら呆然と皐月を見上げる。

 皐月は見たこともないような怖い顔で俺を睨みつけていた。どうしてそんな怖い顔をしているのかわからない。



「みんな言ってるよ! 生徒会は呪われてるんだって! 私の親友を自殺に追い込んだ最低な人たちだから呪われても仕方ないって!!」



 な、ちが、違う……!

 だってあの女が悪いんだ! あんな地味な女が皐月の隣にいつもいることが許せなかった。ただでさえ競争率の高い皐月の隣には、いつもあの女がいた!

 邪魔だから皐月に近付くなって言ったのに、聞かなくて! だからちょっと懲らしめてやっただけなんだ! 俺は死んだ三人なんかよりも全然軽くしか痛めつけてないのに……!

 勝手に死んで勝手に祟るなんて、悪いのはあの女のほうだ! 俺は悪くない、俺は、俺は、


 言い訳の言葉が喉の奥をぐるぐる巡る。

 伝えなきゃ、その一心でぱくぱくと陸に打ち上げられた魚のように口を動かした。



「ちが、」

「生徒会なんかに近付くと私まで呪われちゃうって! 何も悪いことしてない私まで!」

「さつき、」

「悪いのは全部全部全部! 真司たち生徒会でしょ?! 関係ない私まで巻き込まないでよ!!」



 聞いてくれない。誰よりも俺を理解し、俺の少ない言葉で全てを理解してくれた皐月が、俺の言葉を遮って俺を拒絶する。

 その事実を呑み込みきれなくて、俺は縋るように皐月に手を伸ばした。



「だから触らないでってば<!!」


『うえー、触るんじゃねーよ!』

『キモ司に触った手だぜ! みんなー! キモ司菌がうつるぞ!』

『ぎゃっ! お前汚ぇ! キモ司の机触った手で触んな! うつるだろ?!』


「あ、い、だ、いやだいやだいやだああああ!!」



 なんでなんでなんでなんでなんで!!

 なんで皐月が〝あいつら”と、あいつらと同じことを?! 違う、皐月はだって俺の理解者で、俺の好きな人で、いつだって俺の味方で、お、俺を守ってくれる人だ!

 皐月はあいつらと同じなんかじゃない! 皐月はあいつらのように俺を、れを、



「な、なに? 怖い……!」

「どうしたの、皐月!」

「渚! 助けて!」



 教室に今さっき入ってきたらしい女が厳しい剣幕で皐月の手を取り、その背中に皐月をかばう。

 いやだ、いかないで。皐月が離れたら誰が俺を守ってくれるんだ!



「さつき!」

「ぅあっ」

「きゃあっ! やめてよ!」



 立ち上がりながら腕を伸ばす。いきなり出てきた女の腕を強くひっかき、その奥にある皐月の手をつかもうとする。

 しかしその手は女の腕によって強くはじかれ、体勢を崩した俺は無様に床に転がった。

 この女の名前を知っている。たしか、転校生の藤波渚だ。皐月の新たな〝親友”の。あの地味女の後釜の。

 ――そうだ。あの地味女が祟っているんだ。死刑宣告がすでに俺に送られている。このままだと俺は、副会長や会計たちのように無残に殺されてしまうに違いない。



「たす、けて」



 かすれた声で助けを乞い、周りを見渡した。恐怖と不安で涙がにじむ。歪む視界の中、どうしてか人間の表情だけがいつもよりもはっきりくっきりとみることができた。

 気味の悪いものを見るような目を自分に向ける皐月。

 我関せずと視線をそらすクラスメイト。

 気まずそうに目を泳がせながらも決して俺を擁護しないファンクラブ。


 助けてくれない。誰も、俺を守ってくれない。

 ここはあそこと同じだ。俺が〝あいつら”にどんなことをされても見て見ぬふりをしてきた、あの教室と。

 俺はその空間から逃げるようにして教室を飛び出した。



*  *  *



 生徒たちから逃げてきた俺は、生徒会室の扉の前に佇んでいた。

 会計の二人が死んだ不吉な場所。割れたガラスはすぐに丈夫なものに取り換えられたが、まだ使用禁止令は解かれていなかった。

 「立入禁止」と延々と書かれている黄色いテープをくぐりドアを静かに開ける。中心にある会長の席と、その両サイドに並べられている役員たちの席。見慣れた光景に思わずため息をついた。


 人が死んだ場所だ。心地よい場所とはとても言えなかったが、俺の逃げ場所は結局ここしかなかった。

 委員会専用のこのフロアには一般の生徒たちはめったに立ち入らない。特に生徒会室などは生徒会の人間以外原則入ってはいけないことになっているので、俺があの白い目にさらされる心配はもうないだろう。

 自分の椅子に座り、自分自身を守るように頭を深く抱える。



「どう、して……」



 どうしてこんなことになったのだろう。あの地味女が自殺してからすべてが変わってしまった。

 地味女……地味、だったのだろうか。そういえば顔もあまり思い出せない。名前だって覚えてない。ただあの時は皐月にべったりとくっ付いているあいつが酷く目障りで……だから体育館に閉じ込めたんだ。

 しかし皐月に突き放された今は、皐月への恋情自体に疑いを持ち、前よりも冷静に自分のやったことを判断できた。


 目障り。ただそれだけの身勝手な理由で、俺はあの女子生徒を暗闇の体育館に閉じ込めた。彼女が暗所恐怖症であることを“聞かされて”いたのに。そのうえ俺は、彼女を殴ったこともある。

 閉じ込められる恐怖も殴られる痛みも、俺は知っていたのに。



「っ違う……れは、俺は、悪くない……」



 俺は、だってあれは、皆やっていたことなんだ。生徒全員が、あいつを嫌っていた。誰かしら何かのいじめに加担して、それを楽しんでいた。

 俺だけが悪いわけじゃない。俺がいじめたからあいつは自殺したわけじゃない。みんなが、みんなが……っ。


 俺は必死に「俺は悪くない」と頭の中で唱え始めた。そうでもしないと何か得体のしれない感情に、胸が押しつぶされてしまいそうだった。

 俺は、知っていたんだ。いじめられる側が、どんなにつらいのかを。



「ここにいたのか、黒田」

「っ……! か、いちょう……」



 ドアが音を立てて開いて、俺の身体は情けなく跳ね上がった。入ってきたのは会長の柏原先輩だった。

 気に食わないと心の底では思いながらも良きライバルとして会長をとらえていた副会長。生徒会の中ではおそらく一番会長に懐いていた会計。

 俺にとって会長は、”絶対的強者”であり”逆らってはいけない人”であり、畏怖すらも感じる人であった。

 彼が味方である内はこれほど心強いものはない、しかし敵に回せば間違いなく自分はつぶされる。一緒に生徒会として仕事をしていく中で、そう思うようになった。

 そんな会長が、俺の顔を見たとたんに安堵しきったように頬を緩めた。どうしてそんな表情をするのかわからず、俺は途方に暮れる。



「話は聞いた。例の黒い手紙が来たそうだな。とりあえず無事な姿が見れてよかった」

「え……会長……心配、してくれた?」

「当たり前だ。仲間の心配しないやつがいるか」

「なか、ま」



 会長のぶっきらぼうな言葉がじんわりと胸にしみる。泣き出してしまいそうになるのを息を詰めてこらえた。

 だって、皐月にだって突き放された俺だ。誰も俺を助けてくれなかった。てっきりもう、俺の味方はいないんだと思っていた。俺を守ってくれる人間は誰もいないのだと思っていた。

 椅子から立ち上がり、ゆっくりとした足取りで会長のほうへ歩む。



「会長っ、おれ……! 死にたく、ない……!」

「ああわかってる。一連の騒動は“二階堂朔夜の呪い”なんて噂されているが、もう俺には犯人の見当がついてるんだ」

「二階堂……朔夜」



 会長からその名前を聞いてようやく、それが自殺した女子生徒の名前だと思い出す。それと同時に顔もぼんやりと思い出してきた。

 相変わらず穏やかな表情を浮かべながら会長は話を続ける。



「あいつの家は少し複雑でな、あいつを生んですぐに母親のほうが亡くなったんだ。そしてあいつが6歳のころ、父親は子連れの女と結婚した。もうずいぶん前に死んだが、ろくな女じゃなかったよ。金に目がくらんだ、汚い女」

「会長……?」

「女の子供は女に虐待され育ってきた。女が結婚し朔夜の義妹になった時には、その子はもう心を壊していてな……笑うどころか、どんな人間らしい表情もしなかった。だけどその子供はある特定の人物にだけは心を開いた――彼女の義姉である朔夜にだけはな」

「まって、なんでそんな話……」



 そこまで言いかけて、俺ははっと息をのんだ。

 あの女子生徒に対して心を開いていた人間。それはつまり、あの女子生徒の自殺をとても悲しんだ人間である。その悲しみがすべて俺たち生徒会役員への恨みに変わっていたら……?

 もし、復讐という手段に講じていたら?



「その義妹は朔夜の復讐をするため、学園に忍び込んでいる。藤波という旧姓を使って」

「ふじ……え?」



 その悪魔の名前を反復しようとしたとき、強烈な痛みが首に走った。


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