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「っ……き、……あき!」
誰かの呼び声で目が覚めた。慌てて体を起こして周りを見渡す。
不気味なほどに白い部屋に、僕は制服のまま倒れこんでいた。どうしてこんなところに。資料室にいたことは覚えている。真樹とくだらない話をしながら資料整理をしていた。
そしたら後ろから誰かに抑えられて、白い布で口元を覆われて……。
そこまでしか記憶がない。だけどこれが異常な状況だというのはよく理解できた。
「あき!」
再び名前を呼ばれてようやく、僕は声のした方を見る。
弟の真樹がいた。いた……いたのだが。
「亜樹! 良かった、目が覚めた!」
「真樹!」
立ち上がって真樹の方に駆け寄る。
やっぱり。僕と真樹とを、一枚のガラスが隔てていた。
真樹の後ろには僕と全く同じ形状の白い空間。もしかしたら元々一つの部屋だったものにガラスを入れたのかもしれない。
思い切りたたいてみても、ガラスは相当の厚みなのか、揺れるようすすらない。声は聞こえにくいが、どうにか届くようだ。
僕はガラスを隔てた目の前の真樹に向かって大声で問いかけた。
「真樹! ここどこ?!」
「分からない……。でも、僕ら資料室で誰かに襲われたよね? もしかしたら誘拐されちゃったのかも……」
「誘拐? 誰が、何で僕らを……!」
「落ち着こう、亜樹。状況を整理しなきゃ」
「……そうだね。真樹、大丈夫? 暴力とか振るわれてないか?」
「うん、大丈夫だけど……。あのね、寝てる間にこんなもの付けられてたみたいなんだ」
不安そうな顔のまま真樹があげた右腕を凝視する。その手首に付けられた見覚えのない腕時計に僕は首を傾げた。
自分の腕を見れば、僕は左腕に同じものを付けられている。
腕時計の体をとっているが秒針は動いておらず、さらにとても重い。
「同じやつが部屋の隅にもあったよ。ほら、亜樹の方にも」
「ほんとだ……」
真樹の方が少し早くに目を覚ましたからか、部屋を見渡す必要があったらしい。真樹に言われて部屋を再び観察すると、白い部屋の隅に確かに腕時計は置かれていた。
それにガラスの上に新しめのスピーカーが設置されている。白い部屋にスピーカー。なんだかサスペンス映画みたいで怖くなった。
「亜樹……この腕時計、いくらやっても取れないんだ」
「え……うそ、まじで?」
『不用意に取ろうとしないでください。誤爆しますよ』
スピーカーから流れだしてきた声に僕らは絶句し、上を向いたまま固まった。
この声のやつが誘拐犯……? しかも誤爆ってどういうことだ。
混乱する僕らをよそに、スピーカーの声――低いが、恐らく女のものだ――は淡々と告げた。
『その腕時計は爆弾です。くれぐれも壁に叩き付けたり無理矢理外そうとしないでくださいね? 爆発しちゃいますから』
「は……? な、何いってんの?」
「これが爆弾? 冗談もほどほどにして僕らをここから出せ!」
『信用されないことは想定済みです。部屋の隅に同じ腕時計が置いてあるので、それをご覧になって下さい』
真樹が言っていたあの隅の腕時計だ。
言われたとおりに振り返り、その腕時計を凝視する。白い部屋の床に転がされた黒い腕時計。意味もなく不気味に感じた。
馬鹿馬鹿しい、本当に爆弾なはずがない。そう思いながらも首筋に冷たいものが伝った。
その瞬間。
ガアアアンッ
部屋の一角が、一瞬にして丸焦げになった。
最初に悲鳴をあげたのは真樹だったのか、僕だったのか。半狂乱になって黒い一角から逃げ、ガラスに背を付ける。
だが、左手首を締め付ける微かな圧力が、どこにも逃げ場などないことを思い出させた。
同じものが、腕に嵌っているのだ。あんな爆発が起きたら怪我だけじゃすまない。
「う、うそ、冗談じゃないのか……?」
「うわあああっ! な、何だよ! 何なんだよ、なんで僕らがこんな目に……!」
「ひっ、い、いやだ、まだ死にたくない! み、身代金はいくらなんだよ! どうせ金目的の犯行だろ?! 父さんと母さんが払ってくれるから、僕らを家に帰して!」
「恐い……! 恐いよ亜樹! 助けて! 何とかしてくれ!」
「真樹ちょっと黙れよ! な、なぁ、あんた誰なの?! どうして、こんなこと……!」
『私が誰か、というのはこの際あまり関係ないので伏せておきましょう。今回あなたたちをここに連れてきたのは、お二人の強い絆とやらを少しばかり試してみたくて』
「ぼ、僕らの絆……? どういうことだよそれ!」
「いやだ、死にたくない……家に帰してくれよ!」
さっきから真樹がうるさい。僕よりもずっと臆病な真樹は、ちょっと異常な状況に追い込まれるとすぐに恐慌状態になって喚き始めるのだ。
そんなところも弟として可愛げがあるな、なんて思ってたけど今は煩わしくて仕方ない。
犯人の要求に従わないと殺されることぐらい予想できないのか? 真樹の喚きに犯人が苛ついて僕らを殺しにきたらどうしてくれるんだ。
『お二人にゲームをしてもらいましょう。なに、ルールは簡単ですよ』
特にいらだった様子も見せず、むしろ恐怖する僕らを見て愉快とでも言いたげに、スピーカー越しの声は笑った。
やっぱりこいつは、金銭目的の輩なんかじゃない。愉快犯、いやむしろ……、
その可能性を考えて、一気に血が引いた。
「ふ、副会長もあんたが殺したの……?」
副会長は自殺する直前、一日ほど行方が分からなくなっていた。本人が誘拐され監禁されたのだと主張したため、学園側も調査に踏みでたが、監視カメラには怪しい映像は映っていなかったらしい。
結局副会長の狂言として流された事件だったが、本当に彼は誘拐されていて、しかもその犯人がコイツだとしたら。副会長の不審すぎる自殺もコイツが仕組んだのだとしたら。
不意に、真樹との会話を思い出す。
――自殺した地味女を大切にしていた人間。そいつが、僕らに復讐しにくる。あいつを虐めた人間を殺しにくる。
ガラスの向こうで真樹が悲痛な叫びを上げて泣き崩れた。
僕だってできることならそうしたい。だけど僕は“兄”の方だから、“弟”の真樹を支えるためしっかりしないと。
僕は顔を蒼白させながら、スピーカーを睨み付けた。
『殺してはいませんよ。私はただ、彼の指を折っただけ。彼は正真正銘の自殺ですよ』
「指を折ったってことは、お前やっぱり副会長を誘拐した犯人なんだな? 理由を説明してくれよ! なんで僕らにこんなこと……」
『さぁ、ゲームを始めましょう』
何で僕らにこんなことするんだ。その問いかけに、声は確かに笑った。
だけど先程のような楽しそうな笑いじゃない。明らかに嘲りを含んだ笑い方だ。
言うまでもないだろう、ってことか……? じゃ、じゃあやっぱり犯人は、地味女の復讐を……!
『ルールを説明しますね。これからあなた方に交代で一分の猶予を与えます。その一分間の間に、あなた方は大声で、相手の“悪口”を一つ言ってください』
「わ、悪口?」
「な、なんだよそれ……」
『容易いでしょう? 醜い人間ほど、人の醜い部分を見つけるのが得意なんですから。なお、その一分間の間に悪口が言えない場合は腕時計が爆発しますので気をつけて下さい』
悪口……。真樹の悪口なんて考えたことないけど、それならほんとに簡単そうだ。
だってテキトーに言えばいい。真樹だって、悪口ぐらいで僕のことを嫌いになったりしないはずだ。
僕らの絆は強い。僕らは双子なんだから。
「真樹……やろう」
「あ、亜樹……」
「やるしかないよ。やりきって……二人で帰ろう」
「っ……うん」
『では、始めます。それでは音泉真樹さん、どうぞ』