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左手の薬指 ――プロローグ。そしてエピローグ

※自サイトの『指』という作品を大幅改訂したものです。エグさを1.5倍にしました。 

※最初の復讐「左手の中指」を読んで「あ、これ無理だ」と思ったらすぐに引き返してください。始終こんな感じの作品です。

※本作品はバッドエンドです。


 それでは、よろしくお願いいたします。

「要、出かけるよ」

「ナギ様。どうしたんですか、急に」



 昨日から随分機嫌がいいですね。その言葉をわざわざ言わずに、従者である上村要は穏やかな笑みを浮かべた。

 その理由は分かっているからだ。昨日、主人の藤波ふじなみなぎさは、彼女の義姉である朔夜さくやから電話を受けていた。

 きっとそのときの喜びが残っているんだろう。普段は完璧な無表情の顔が、嬉しそうにほころんでいた。


 渚は周囲から“感情の一部が欠如している子供”として腫れもののように扱われてきたが、唯一朔夜が関わった時、彼女は普通の人間のように笑ったり怒ったりする。

 その表情の変化を、要はまぶしいものを見るように目を細めながらじっと見つめた。渚を崇拝している彼にとって彼女の笑顔は、瞬きすら惜しいと思うほど、じっくり見ていたいものだった。



「昨日朔夜が、イタリアの観光名所の話をいっぱい聞きたいって言ってたからね。帰国するまで3週間あるでしょ? その間にもっと話題の種を増やしておきたいんだ」

「なるほど、観光名所の研究ですか。相変わらず徹底してますね」

「ふふ、あの子が喜ぶためならなんでもするよ。……楽しみだね、日本。あの子に会うのいつ振りだっけ?」

「高校入学と同時にイタリアに来ましたから……1年と2ヶ月ほどかと思います」

「そっか、そんなに経つんだ。元気にしてるかな? 昨日話した時、疲れた様子だったから心配だよ」

「きっとナギ様の顔を見られればあの方も元気になりますよ」

「そうかな。そうだといいんだけど」



 外出用の服に着替える渚に合わせて、要もまた燕尾服を脱ぎ白いシャツに紺色のベストという、ラフな格好になった。

 大富豪である藤波家の中では使用人はみな燕尾服やメイド服を着ていたが、街中を歩くのにさすがにこれは目立ちすぎる。それにしたって渚や要の和風の美貌は周囲の目を引き付けていた。


 その時、渚のパーカーのポケットからクラシックの着信音が聞こえた。彼女は要に「ごめん」と断ると、ポケットの中から携帯を取り出し誰からの電話であるかを確認する。

 要の位置からでは携帯の文字は見えなかったが、渚の口元が嬉しそうにほころんだのを見て、今丁度話題にしていた人からなのだと知る。



「はい、もしもし」

 『――――』

「え? ……あの、何かあったんですか?」



 だが通話ボタンを押し、携帯電話を耳にあてた直後に渚の笑みは消えた。

 要は耳を澄まして聞いていたが、会話の内容は分からない。だが、電話越しの声は朔夜のものではないことだけは分かった。渚は渚と同じ、高校2年生だ。こんなにしゃがれた声などではない。



「は?」

 『――――』


「――――死んだ?」



 渚の顔から、一切の表情が抜け落ちた。




*  *  *




「それでは、失礼いたします」



 先日の電話の主だったらしい、警官の制服に身を包んだ初老の男が頭を下げ、部屋を出ていく。

 渚が日本へ帰国した時には葬儀の準備は早々に進められていて、白い棺は清楚な花々に囲まれていた。

 幸いなのはまだ火葬はされていないということか。朔夜は棺の中で眠っている。生前と同じ、穏やかな顔で。



「……警察は何も言いませんね」

「そうだね。あの学園の生徒はどれも御曹司ばっかりだから。首を突っ込むなと釘を刺されているんだろう。学園側も証拠品を全部消しているしね」



 棺から視線を逸らすことなく淡々と話す渚の目には、涙は浮かんでいなかった。泣きも喚きもしないで、棺の傍らに佇む渚は、一見冷たい人間のようにも見える。

 だが渚のことをよく知る要には、その姿こそが何よりも痛ましかった。痛ましく、恐ろしい。冷たい瞳の奥には何の感情も浮かんでいない。悲しみも、憎しみさえも。

 渚の心は数日前に壊れていた。要がハックした学園の監視カメラの映像を見て、彼女の最期を見届けた、その時に。


 映像の中の彼女が携帯を切り、屋上から飛び降りる。

 その瞬間にすら、渚は涙を流さなかった。



「葬儀が遅くなってごめん。燃やしてあげて。……要、この子の左手の薬指。そこの骨だけ、小瓶に入れて私にくれないかな」

「……わかりました、ナギ様」



 渚の異常ともいえる命令にも、疑問を呈することなく頭を下げる。そうすることしかできない自分が情けなくて、唇を噛んだ。

 渚は棺の中の義姉の、体温を失った頬を撫でる。葬儀のため整えられたであろう顔には、最期の時どんな表情が浮かんでいたのか。監視カメラからでは窺い知れなかった彼の顔を渚は想像した。



「行ってくるね、朔夜」



 苦しかっただろうか。悲しかっただろうか。悔しかっただろうか。

 すべてを、憎んだだろうか。それとも優しい義姉のことだから、何もかもを許していたのかもしれない。


 そこまで考えて、渚は思考を放棄した。

 何を考えたってもう無駄だ。


 朔夜は死んだ。

 もういない。


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