二人目のキーマスター1
かばんを持った悠は、今までにないほどさわやかに階段を駆け下りる。途中母親に「どこに行くの?」と聞かれたが、「大学」と答えながら玄関に向かった。
玄関に到着すると、手早くスニーカーの靴紐を解き、そのまま履いて結びなおす。両足に履き終ったと同時に玄関の扉を開け、そばにある自転車置き場の自転車に乗った。同時に、かばんを前カゴに放り投げる。
『ひぃ!?』
めまぐるしく変わる風景に、ヒナは目を回しそうになる。悠はそのヒナの叫び声をスルーし、ペダルに足を乗せる。それと同時に、思いっきり力をこめてこぎ始めた。
カゴに放られ、ヒナの見る景色が固定される。そうかと思うと、次に待ち受けていたのは、まるで特急列車に乗せられたかのようにめまぐるしく変わる景色だった。
『わわ、え、何、じ、自転車? ゆ、悠たん早い、早いって!』
幾重にも連なる家の塀がどんどんと後ろへ飛ばされる。細い道から大きな道路に出ると、その脇に植えられている緑色の木々が見えた。だが、ゆっくり鑑賞するヒマもなく、その木々もどんどん後ろへ飛ばされていく。
再び小さな道に入ると、再度住宅街に入る。その先には、女性が歩いている姿が見えた。
「見つけた!」
悠はその女性をすばやく追い越すと、歩いている方向の目の前で急ブレーキをかけ、自転車を止めた。それを見て、女性は落ち着いて立ち止まる。
「あら、急に変態が猛スピードで私を抜いたから、誰かと思ったら」
息を切らす悠に、女性は冷ややかな目で声をかけた。汗だくになりながら、悠は自転車から降りる。すると、その自転車を路側に置いた。
「はぁ、はぁ、氷点! お前また俺の邪魔をしやがったな!」
悠は息切れしながら、氷点と呼んだ女性を指差す。
「まったく、ハァハァいいながら私を指差さないでくれるかしら? 気持ち悪いったらありゃしない」
氷点はやれやれ、といった感じで手を広げてため息をついた。
「そもそも邪魔って……ああ、オークションのことね」
「やっぱりお前か、俺のしゃべる女体キーホルダーを落札したのは」
「別に、しゃべるキーホルダーなんて、今の世の中たくさんあるでしょ。ほら、話しかけたり振動与えたりしたらしゃべるやつ。そんな店で売ってるようなの、わざわざオークションで落札するのは私くらいよ」
氷点はそう言うと、悠のかばんをじろじろと眺める。
「あ、これね。今日から私のものになるキーホルダーは」
氷点は沢山ある悠のキーホルダーの中から、ヒナのキーホルダーを指さす。
『ヒナ、どうやらご指名のようだよ』
タクは氷点がヒナを指さしていることに気がつくと、ヒナに声をかけた。しかし、反応がなかなかない。
『……はっ、ここはどこ!?』
意識を失っていたと思われるヒナは気が付くと、あたりをきょろきょろ見回した。そして、目の前の女性、氷点を見つけた。
すらりとした全身に、グレーのメッシュが入った青いショートヘア、陶器のような、触ればプルンとしていそうな白い肌がまぶしい。引き締まった腹部に、しっかりとした腰つき、カモシカのような四肢、そして何より……
『ば、ばば、ばばば、ばばばば……』
豊満な胸。
『爆乳戦士!』
思わず叫んだヒナの言葉に、悠が噴出した。
「……まったく、初対面のキーホルダーにそんなことを言われるなんて」
『はっはっは、まったくその通りじゃないか』
「あんたは黙ってなさい!」
どこからか聞こえる声に対し、氷点はかばんをぱんぱんと叩いた。
『タクたん、あの爆乳さんは誰? 悠たんの知り合い?』
『彼女は氷田零。周りは氷点って呼んでるけどね』
『氷点たん? 何で?』
『多分、苗字の氷、そして零度イコール氷点、ってことからだと思うよ』
『へぇ』
タクとヒナのやり取りに、氷点はくすくすと妙な笑いを入れた。
「タク、説明ありがとう。どっかの女体マニアには出来ないことね」
「誰が女体マニアだ!」
「あら違うの?」
氷点のマニア宣言を、悠は必死に否定する。
『そういえば、さっき氷点たんのほうからへんな声が聞こえた気がするけど?』
『ああ、彼女はマスターと同じ、話すキーホルダーを持つ者、キーマスターさ』
『え、じゃああのチャラい男のキーホルダーが……』
『うん、そうだよ』
ヒナは氷点のかばんを見た。いくつもあるキーホルダーのうち、一つだけ金髪の男のキーホルダーを見つけた。
『あのキーホルダーはサクヤっていうんだ。僕たちはサクって呼んでるけどね』
『へぇ、サクたんはチャラいのかぁ』
ヒナはサクと呼ばれるキーホルダーをじっと見た。
『ちょ、まさか初対面でチャラいとか言われるとは……』
氷点のつけているキーホルダー、サクは謎の驚き声で呟いた。
「……で、何の用だったかしら」
「おっと、そうだった」
氷点の言葉に、悠は思わず忘れかけていた用件を思い出す。
「とりあえず、俺の邪魔をしたことを後悔させてやる」
「はぁ、まったく逆恨みもいいところだわ。あんたが勝手にオークションに出したんでしょ? 誰が落札しても同じじゃない」
「だが、お前には売れないのだ!」
「何を言ってるのよ。ほら、ここにちゃんと準備しているじゃない。一万FPを」
そういうと、氷点はポケットから紙切れを数枚取り出し、悠の前にひらひらと見せ付けた。
「お前だけの仮想通貨使ってるんじゃねぇよ!」
「まったく、FPを貯めるととってもお得なことがあるのに。たとえばさ」
あきれた顔で、氷点は一万FPとやらをしまいこんだ。
「十万FPあれば、私の肩を叩く権利が得られるのよ」
「誰得だよそれ! そんな怪しいことを企むやつに、俺のヒナは渡さん!」」
氷点のあまりの横暴っぷりに、悠は思わず険しい表情で怒鳴った。
『お、おお、ゆ、悠たん、そんなこと言われたら、私、惚れちゃ……』
「ほかのやつにきっちり現金で売り渡すのだ!」
『……さっきの言葉、撤回ね』
せっかくかっこいい台詞で悠に感激しそうになったヒナは、深いため息をついた。