キー・フィールド1
あかりのない室内は、わずかに置いてあるものの輪郭がわかる程度しか見えず薄暗い。それほど遅い時間帯ではないのか、下からは物音が聞こえる。どうやら悠の両親がまだ起きているらしい。外からは、わずかにかえるの鳴き声と風の音が聞こえる。
そんな環境で何をやるわけでもなく過ごすと、何時間も過ごしたような気がするのに、実際には数分と経っていないことが多い。
ヒナは人間の時と同じように寝ることもできず、ただ暗闇の中でぼうっと過ごしていた。
ひとまず、これまでのことを思い出し、現在の状況を整理してみる。
授業が終わり、コンビニによって、クラスメイトのルタ、ナチと出会う。それから雑貨屋にキーホルダーを買いに行き、その帰りに事故に……
一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。一人自問自答してみるが、まったく答えは出ない。とりあえず、朝になったらタクと悠にもう少し詳しい話を聞く必要があるだろう。
それにしても……
『ヒマだ……』
いろいろと暇つぶしは考えた。悠の部屋を見渡し、どんなものがあるのか、それを使って自分は何をするだろうか……
ものの数を数えたりしたが、それも長くは続かなかった。
『眠れないのかい?』
ふとタクの声が、ヒナの耳に入った。
『あ、タクたん、起きてたの? いや寝るっていっても、どうすればいいのか……』
『ああ、そういえばやり方を教えていなかったね。っと、ここじゃあれだから、場所を変えよう』
『え?』
一応、ヒナはどうにかして移動できるかどうか試した。が、やはり動けない。
『場所を変えるって……』
『ちょっと待ってね』
タクはそういうと、何かぶつぶつと言い始めた。何と言っているのかはよく聞き取れない。
『"鍵の平原"、オープン』
タクがそういうと、突然ヒナの意識が遠のいた。
ヒナが意識を取り戻すと、目の前にはうす青色の空、そこに白い雲が流れていた。
「ここは……」
顔を横に傾けると、緑色の草が風に揺れている。どうやら、広い草原のような場所に倒れているようだ。
ヒナはゆっくりと体を起こす。延々続く草原、その先には地平線すら見えた。日本には無いような光景にぼうっとしていると、右手方向から声が聞こえてきた。
「ヒナ、こっちだよ」
声がした方向を向くと、高校生くらいの男が立っていた
「あれ、もしかしてタクたん?」
白いTシャツに紺のジーンズ、白いスニーカーと、高校生が着ていそうなシンプルな服装をしている。唯一目立つところと言えば、少し灰色がかった髪の毛だろか。
「へぇ、ヒナは普段そういう格好しているんだね」
「え?」
そう言われ、自分の服を見る。白いワンピースに白いハイヒール。確かに、普段出かけるときの格好に似ている。
「ここはキー・フィールド。キーホルダーにされた僕たちが、実体を持って話が出来る場所さ」
「キー・フィールド?」
「そう。実体、アバターといったほうが分かりやすいかな。アバターを形成しているのは、僕たちの意識なのさ。その意識っていうのは、それを操る入れ物、人間で言えば体かな。それによって形が変わっていくんだ。長い間入れ物に入っていた意識は、その形でほぼ固定されてしまう。だから、キー・フィールドで出てくるアバターと言うのは、人間のときの姿になるのさ」
タクは今の姿について一気に説明したが、ヒナはよく分かっていないようだ。「えーっと」としばらく腕を組んで考える。
「えっと、つまり、キーホルダーになる前の姿になるってこと?」
「まあ、簡単に言えばそうだね。もっとも、少しイメージは補完されているだろうけど」
「補完? あっ」
ヒナが自分の服を再度見ると、破れていたはずのスカート部分が無くなっていた。
「何しろやることがほとんど無いからね。だから、この場所で色々と遊んだり、暇つぶしをしたりするのさ。たとえば」
タクが片手をかざすと、突然ふっとトランプが出てきた。
「これで遊んだりね」
「え、今のどうやったの?」
「この空間は、僕のイメージで作られた空間なんだ。ヒナも、好きなものを思い浮かべてみなよ」
そういわれ、ヒナは今欲しいものを思い浮かべてみた。
「欲しいもの、欲しいもの……」
徐々に目の前に、何かが形づくられていく。
やがて、それがケーキであることがわかった。
「あ、できた!」
ぱちぱちと、ヒナは立派なケーキに拍手した。
「いただきまーす」
ヒナはそのケーキを手にとり、口にする。しかし、味がしない。さらに言うと、食べた気にならない。
「あれ?」
「ここはイメージの世界だからね。僕らには食べるって概念がないんだ」
「えぇ、つまらないなぁ」
ぶぅ、とヒナは膨れた顔を見せた。
「ははは、でも面白いでしょ。何でも好きなもの出せるんだから」
「でも、食べられないのがつまんないなぁ」
「おなかがすくっていう概念もないから、別にいいんじゃないかな」
「まあ、そうだけどさぁ」
相変わらず、ヒナはつまらなそうな顔をする。
「そういうわけで、ここではイメージで何でも出せるわけだけど、別に用途はそれだけじゃないんだ」
「え、他にも何かできるの?」
目の前のケーキが消滅し、ヒナは一瞬手を伸ばすが、食べられないと分かってやめた。
「まず、他のキーホルダーにある意識を巻き込むことが出来るのさ。僕がキー・フィールドを開いて、ヒナを巻き込んだようにね」
「それって、どういうこと?」
「近くにキーホルダーにされた人間がいたら、その人もこのフィールドに呼び出されるってことさ」
「へぇ、そうなんだ」
ヒナは周りを見渡す。タク以外に誰もいない。
「じゃあ今は、私とタクたん以外にキーホルダーにされた人はいないってことなんだね」
「まあ、もちろん範囲はあるけどね。大体、半径五十メートル以内にいれば、巻き込まれるかな」
「へぇ。そういえば、私たち以外にも、キーホルダーにされた人っているの?」
現にここに二人いるのだ。他にキーホルダーにされた人間がいても不思議は無い。
「うーん、一人は知っているかな。後はわからないなぁ」
「タクたんでも、分からないことがあるんだ」
「まあね。他の人を巻き込むことが、あんまりなかったから」
立っているのに飽きたのか、タクはその場に座り込んだ。ヒナもつられて座り込む。
「あとね、ここと外の情報は、完全にシャットアウトされているんだ。だから、マスターには僕たちの話が聞こえないんだ」
「なるほど、タクたんはここで悠たんの不満をぶちまけるわけだね」
ほうほう、とヒナは何かを納得したように首を何度も縦に振る。
「いやそういうわけでは無いんだけどね……」
タクは右手を振り否定する。
「僕たちの声はマスターだけじゃなくて、キーマスター、つまり、他のキーホルダー所有者に聞こえるんだ」
「キーホルダーの所有者がキーマスター……って、なんか鍵を開ける達人みたい。悠たんの真の姿は泥棒さん?」
「いやいや、キーホルダーを扱う人だからキーマスター……って、たしかに紛らわしいかもしれないけどね。他のキーマスターに聞こえるって事は、たとえばこちらが何かの話し合いをしたいときとか、声が筒抜けになっちゃったらまずいでしょ。そんなときに、ここで話し合いをすればいいのさ」
「あ、なるほど」
ほうほう、とヒナはうなずく。
「でも、もし相手が私たちみたいなキーホルダーを持ってたら、そのキーホルダーもここに巻き込まれるよね?」
「それはそれ、利点でもあるんだ」
タクは右手の人差し指を立て、謎の講義モードに入る。
「何か争いごとがあったら、相手のキーホルダーを巻き込んで説得することも出来る。相手のマスターには聞こえていないから、そういうこともできるんだ」
「なるほど、頭いいなぁ」
ヒナはタクの説明に感心を示す。おそらく、きちんとは理解していない。
「まあ、そんなわけで、このフィールドにはいろんな使い道があるのさ」
言い終えると、タクは空を見上げた。