キーホルダーの世界へ1
ヒナが意識を取り戻すと、目の前にはベッドと机が見えた。薄暗くてよく分からないが、どうやら誰かの部屋のようだ。
わずかな月明かりが、机の上の物を映し出す。マンガなのか参考書なのか、数冊の本が置いてあるのが見えた。
『ここは……?』
独り言のように呟いてみる。しかしその声はまったく響かない。
窓が開けっ放しなのか、かすかに風が吹いてくる。と同時に、ヒナの視界もゆらゆらと揺れたような気がした。
『え、な、何!?』
思わず口に出す。そして体を動かそうとする。しかし、いくら動かそうとしても動かない。
『おや、この声は……』
突然、どこからか少年の声が聞こえてきた。あたりを見回すが、人影すら見当たらない。
『もしかして、君も僕と同じなの?』
声が聞こえる、というよりも、脳内に直接話しかけられる不思議な感覚に襲われる。
『え、誰?』
きょろきょろとしながら、ヒナは見えない声の持ち主を探る。
『ここだよ、ここ。多分、君の目の前にぶら下がっているんじゃないかな』
ぶら下がっている? 一体何のことだろう。ふとヒナが視界を左に移すと、そこにはたくさんのキーホルダーがぶら下がっているのが見えた。
『え、まさか……』
『そうだよ。男の子の形をしたキーホルダーがあるでしょ? それが僕だよ』
そう言われ、男の子の形をしたキーホルダーを捜す。動物の形をしたキーホルダーが多い中、一つだけ、銀髪に黒い服を着た男の子のキーホルダーがあるのを見つけた。
『僕と同じって?』
『そう、君もキーホルダーになったんだ』
『へ?』
突然「キーホルダーになった」と言われて、信じられるはずが無い。ヒナは驚いて言葉が出なかった。
『声から察するに、多分あの女の子型のキーホルダーかな。君の近くに、女の子の形をしたキーホルダーはあるかい?』
そう言われ、ヒナは再びあたりを探す。しかし、人間型のキーホルダーは男の子のキーホルダーだけだ。
『えっと、無いみたいだけど……』
『そうか。やっぱりね。あ、そうそう、僕の名前はタクヤ。タクでいいよ』
『タクたん? えっと、私は浅見比奈。ヒナって呼んでね』
『タクたん……。まあいいや。よろしくね、ヒナ』
突然自己紹介をされ、思わずヒナも自己紹介を返した。
『タクたん、キーホルダーになったら、どうなるの?』
『特に何も無いよ。ただ、マスターの持ち物になってぶら下がっているだけ』
『え、それだけ?』
さっきから体を動かそうとするが、まったく動かない。ただ、時々吹く風で、ゆらゆら揺れるだけだった。
『そうだね。後はマスターのエネルギー源になるくらい』
『えっと、マスターって……』
『今お風呂に入っているところなんだけど、そろそろ戻ってくる頃かな』
と、タクが言いかけると、ちょうど部屋のドアが開いた。
「ふぅ、さっぱりした」
部屋のドアの方から、タクとは別の男の声が聞こえくる。入ってきた男は、部屋に入るとすぐさま部屋の電気をつけた。
暗い部屋が一気に明るくなり、薄暗くてはっきりしなかった部屋の概観がようやくはっきりした。
『あ、マスター、さっき新入りさんが入ったよ』
マスター、と呼ばれた部屋の主の男は、黒髪の頭をタオルで拭きながら、こちらを見る。
「ん、タク、新入りだって?」
タクの声に男が反応する。
『え、私たちの声って、他の人にも聞こえるの?』
それを見てヒナは驚く。確かに、キーホルダーの声が人の耳に届くとは普通思わないだろう。
しかし、男はヒナの声が聞こえたのか、ヒナのほうに向かって来た。かと思えば、突然ヒナのキーホルダーを手に取る。
『え、うわ、な、何!?』
ヒナは突如体が浮き上がり、じたばたしようとする。が、当然体は動かない。
「しゃべる……女体!?」
男はそう言ったかと思えば、いきなりキーホルダーから手を離し、机に向かった。そして、ノートパソコンを起動し始めた。
「そうか、ついに俺もしゃべる女体を手に入れたぞ……フフフ……」
パソコンの起動音が聞こえ、しばらくすると男はマウスを動かし始める。カチカチとクリックの音がしたかと思えば、ものすごいスピードでキーボードを叩き始めた。
「こいつは高く売れるぜ。キーホルダー収集暦十年、俺もとうとうレア物にめぐり合えたのだ!」
男はたまにクククと笑いを浮かべ、とどまるところを知らないマシンガンタッチタイプを放つ。
『……何あれ、変態?』
『いやいやヒナちゃん、確かに変態に見えるけど、変態は失礼だよ』
タクがヒナをなだめるが、突然触られるわ女体言われるわでヒナは少しイライラしていた。
『彼は風見川悠。僕たちキーホルダーの所有者、つまりマスターさ』
『あぁ、あんなのが私の所有者……』
『まあ、僕がこっちに来たときもあんな感じだったからね。よほどしゃべるキーホルダーが珍しかったのかな』
『いや、キーホルダーは普通しゃべらないでしょ』
などとタクとヒナがやり取りしていると、タン、と小気味よい音が聞こえた。すると、先ほどまでパソコン画面に向かっていた変態男もとい悠が、椅子を回転させてこちらを向いた。
「で、キミ、名前は?」
足を組んで右腕を背もたれに投げ出し、ヒナに目線を投げかけて悠は問いかける。
『えっと、私は浅見比奈。悠たんは、変態さんなの?』
「悠た……って、何で初対面で変態扱いされねばならんのだ」
少しむっとなる悠。途中でタクが笑いを入れる。
『まあまあ、これから一緒に過ごすんだからさ』
タクが悠をなだめると、悠は再びパソコンに向かった。
「まあいいや。どうせ、この女体は明日には金に変わるからな」
『ちょ、どういうこと? お金に変わるって、どういうこと?』
ヒナは体をじたばたさせようとする。が、やはり動かない。
『ああ、マスターは珍しいキーホルダーを見つけては、オークションにかけて小遣い稼ぎをしようとしているんだ』
『えぇ!? じゃあ、私、売られるの?』
『まあ、大体失敗しているけどね』
タクがいうと、先ほどまでカチカチと鳴っていたマウスの音が鳴り止んだ。
「タク、余計なことは言わなくていい」
再びパソコンをいじりだす悠。
『まあ、明日になれば分かるさ』
またしばらくカタカタとキーボードを叩く音が鳴っていたが、しばらくするとその音も止んだ。
「さて、やることないし、寝るかな」
そういうと、悠はパソコンを閉じ、部屋の電気を消した。
『え、まだ自己紹介が……』
「んなの明日でいいだろ。んじゃ、お休み」
悠はベッドに寝転がると、そのまま静かに寝てしまった。
『まったく、マスターは仕方ないなぁ』
タクは寝てしまった悠に対して、軽くぼやいて見せた。
『仕方ないね。続きは明日にするとして、僕も寝るよ。お休み』
『え、タクたん? ちょっとぉ!』
ヒナはあわててタクに声をかける。
『……』
しかし、タクからは返事が無い。
『もう、一体どうすればいいのよ……』
ヒナはしばらくタクと悠に声をかけたが、まったく返信が無い。声をかけるのにも疲れたのか、諦めてしまった。