コードYHVH2
空調の効いていた建物の中とは打って変わって、外は相変わらず熱気に包まれていた。建物が多いために影が多いとはいえ、それでも体感温度は非常に高い。
「本日はわざわざご足労、ありがとうございました。実の所、旦那様はあの装置のことでしばらく悩んでおりまして」
「あの、コードYHVHっていう奴かしら。悩みと言うのはやっぱり、しゃべるキーホルダーについて?」
「はい。なにしろあの装置を完成させたはいいものの、成功しているのかどうかがわからない状態でしたので。きっと旦那様も喜んでいらっしゃいます」
「しかし、本当にあの機械のせいなのかしら? ヒナちゃんやタクのようにしゃべるキーホルダーができたり、その声が私たちに聞こえるというのは」
『おい氷点、どうして俺が先に出ないんだよ!』
突っ込むサクを、氷点はバシンと手で叩いた。
「それはそうでございますが、装置が正常に作動している可能性が出たということが重要でございますので」
「そんなものかしらね」
氷点は腰に手を当て、ふんっ、と不機嫌な顔を見せた。
「ま、俺はどうでもいいんだけどね。しゃべるキーホルダーなんて珍しいものが手に入ったんだし、それでバトルごっこができるんだから」
「悠、あんたはもう少しヒナちゃんたちの心配をしたほうがいいと思うけれど?」
「何で俺が心配しないといけないのさ。まあ、戻るとしても、しばらくはせっかくの楽しいバトルに付き合ってもらうけどな」
「あんたねぇ……」
氷点が悠につかみかかろうとした時、入口のドアがガチャリと開いた。
「あれぇ、悠兄ちゃんたち、もう帰っちゃうの?」
ドアに目を移すと、そこにはイワリンの娘のエミとジュジュが出てきていた。
「あ、え、ええ。今日の所は、イワリンさ……お父さんとのの用事も済んだから」
「えぇ、そうなんだぁ。もっと遊びたかったのになぁ」
ジュジュはしゅんとした顔をして、持っていたぬいぐるみを抱えたままうつむいた。
「そういう顔しないの。きっとまた遊べるから、今日はバイバイしようね」
エミになだめられ、ジュジュはコクリとうなずく。
「あの、またいつでも遊びに来てください。ジュジュも寂しがってますから。オギさん、いいですよね?」
エミがオギに尋ねると、「もちろんです」と快諾した。
「もっとも、近いうちに来られるでしょうから、その時はご連絡ください」
オギはそう言うと、悠と氷点に一例した。
「ええ、またおいしい紅茶を飲みに行くわ」
「氷点、お前は紅茶目当てかよ。しょうがないなぁ」
「……本当にそれだけが目的だと思ってるのかしら? 社交辞令よ社交辞令」
「社交辞令? んな遠まわしに言うのめんどくさくないか?」
「あなた、社会に出てもきっと生き残れないわね」
悠と氷点のやりとりを見ながら、オギはクスリと笑いながら、「次回はもっとおいしい紅茶を準備しておきますね」とフォローした。
ジュジュが元気に手を振るのを見ながら、悠と氷点は山串製作所を後にした。建物の隙間を抜けると、太陽からの光が差し込む。しばらく影にいたせいで、一気に気温が上昇したような気がした。
「それにしても、あの機械、どう思う?」
シャツを襟元をパタパタさせている悠に、汗一つかいていない氷点は尋ねる。
「ん、ああ、あれね。あれのせいでヒナたちがキーホルダーになったって言うんなら、あれ壊せばもとに戻るんじゃね?」
「はぁ、なんであなたはそう単純なのかしらね。壊したところでもとに戻る保証なんてないでしょ? 最悪、そのせいでもとに戻れなくなる可能性だってあるのだから」
『え、ええ!? 私たち、元に戻れないの?』
『ヒナ、落ち着いて。氷点が言ってるのは可能性だから。そもそもまだ壊れてないし』
氷点の話を聞き、ヒナは「どうしようどうしよう」とつぶやき続ける。タクは「落ち着いてよ」と何とかなだめようとするが、なかなか声は届かない。
『しかしよう、俺らは被害者なんだぜ? このまま黙っているわけにはいかないんじゃないのか?』
サクもしばらく声には出さなかったが、事務所の奥にあった機械、「コードYHVH」の話が出たあたりからずっと不機嫌だ。
「でも、だったら原因がわかったところで、こいつらをもとに戻す方法がわからなければ意味がないんじゃないのか? こうなったら一生俺らに付き合ってもらうっていうのも一つの手だぜ?」
『な、ゆ、悠たん酷いっ! 私だって主婦になるっていう夢があるのに!』
「主婦、ねえ。人生、全うに生きれば幸せだとは限らないんだけどなぁ」
まもなく最寄りの地下鉄の駅入り口に到着する。悠はその階段の前でふと立ち止まった。
「ともかく、何かわかるまでいろいろと試すしかないんじゃないの? バトルしたり、バトルしたり、あとバトルしたり」
「あんた、よっぽど私に氷漬けにされたいみたいね」
「そっちこそ、丸焼きにされる覚悟はあるのか?」
「いつ私が丸焼きになったのかしら?」
「それだけ余計な脂肪があったら、よく燃えるんじゃないの?」
「あなた、それ他の女性に言ったら火だるまになるわよ?」
悠と氷点の階段の前での言い合いはなかなか終わらない。そのせいで、駅に向かう人たちの邪魔になっていた。
『マスターも氷点も、人の迷惑っていうのを考えた方がいいと思うんだけど……』
タクの声は、二人には届かなかった。




