キーホルダーと喫茶店
来た時とは別の階段を降りると、同じく来た時とは別の入り口に案内された。
「靴は、こちらに準備しておりますので」
狭い入口には、悠と氷点の靴がきれいに並べられている。オギが向こうの玄関から持ってきたようだ。
「入った時とは違うところのようだけれど?」
「はい。こちらは緊急用の勝手口となっております。お客様同士で鉢合わせしたくない場合もございましょうから」
「は、はぁ……そんなにお客さんが来るほど忙しいのかしら」
「お客様、と言っても大半が先ほど来られたナカダ組の方がほとんどですが」
「ふぅん、そうなの。しかし一体何なのよ、ナカダ組って」
不機嫌そうに氷点がオギに尋ねる。しかしオギは首を振って答える様子が無い。
「それはまた、お時間がある時にでも。この埋め合わせはまた後日いたしますので、今日のところは、どうか」
そう言ってオギは一礼すると、そのまま何事もなかったように階段を上っていった。
「一体何なのかしらねぇ、悠?」
「さあな。とりあえず、飯でも行くか」
「……すこしは何か気になるとかないのかしら?」
「別に、気にしたってどうしようもないだろ。帰れって言われたら帰るしかないし」
「まあ、それもそうだけど……」
氷点は何か腑に落ちないといった表情で、自分の靴に履きかえる。
「どうせ、今俺らにできることなんて何もないだろ。さっさと飯でも食って帰ろうぜ」
「あら、悠がおごってくれるなんて珍しいわね。二人きりっていうのが癪だけど、我慢してあげるわ」
「誰がおごりと言ったか!」
氷点が入り口のドアを開くと、やけに涼しい風が二人を出迎えた。続いて太陽の光、そして目の前には、見覚えのある住宅街が広がる。
「へぇ、こんなところに出るのね」
氷点が出るのを見て、悠も慌てて靴を履き替えた。玄関の先は、来た時とは別の住宅街が広がる。
建物沿いに歩いて行くと、来る時に見た公園が見えた。
「さっきの公園ね。ここら辺の地理は良く分からないから、とりあえず大通りに出ましょうか」
そう言うと、氷点は来た道を戻っていった。
悠と氷点が大通りの方へ向かっていると、少し外れたところにある、一軒の喫茶店が目に留まった。メニューの書かれたブラックボードと、おしゃれな木造の階段のある入り口が印象的な店だ。
「ここでいいんじゃないかしら。大通りに行けばいっぱいお店あるだろうけど、探すの面倒でしょ」
「そうだな。俺らには似合いそうにないけどな」
周囲に様々な花が植えられている木造の建物は、おしゃれな喫茶店といった雰囲気を醸し出す。
「こういうところには、もっと私にふさわしい殿方と行きたいところなんだけど、今日はあんたのおごりだし、あんたで我慢してあげるわ」
「だから何で俺のおごりなんだよ。俺だって別に氷点となんか入りたくねーよ!」
「はいはい、どうでもいいから行くわよ」
そういうと、氷点は店の入り口に向かった。悠もその後を追って店に向かう。
入り口のドアを開けると、チリンという呼び鈴が鳴り響く。同時に、店内の冷たい風が、火照った肌を優しくなでた。
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
エプロン姿の女性店員が、悠に人数を尋ねた。
『えっと、悠たんと氷点たん、私にタクたんにサクたんだから五人だね』
「五人で」
ヒナにつられて悠が店員に告げると、女性店員は後ろを見ながら困った顔をした。
「あ、ごめんなさい、二人よ。この人、見えないものが見えるみたいなんで、気にしないで」
「は、はぁ。では二名様ですね。こちらへどうぞ」
氷点が訂正すると、女性店員は苦笑いしながら二人席へ案内した。
「まったく、お店の中で不思議ちゃんアピールしてどうするのよ」
木で作られた椅子に悠の向かい側に座った氷点は、メニューを眺めながらぼやいた。
「ヒナが勝手に変なこと言うからだろ」
テーブルに置かれた水を飲みながら、悠は氷点に言い返す。
『ねえ、キーホルダーに人権はないの? ねえ、人権はないの?』
『ヒナ、キーホルダーを人数に入れる喫茶店なんてないよ』
一方で、何故か人数に入れられなかったことに腹を立てるヒナを、タクが必至でなだめる。
『まあまあ、ヒナちゃんも悪気があって言ったんだから許してやれって』
『あのねサク、悪気があって言ってたら悪趣味だよ』
『ん、ああ、間違えた。色気がなくて、か』
『サク、そろそろ女性を敵に回すのはやめようか』
キーホルダー人権問題にサクまで参戦して口論が発展しているのを聞きながら、「にぎやかねぇ」と氷点はつぶやいた。
「で、悠は決まったの?」
メニューをぱたりと閉じ、氷点は椅子にもたれかかる。
「ああ」
悠が返すと、氷点はすぐさま店員を呼んだ。間もなく、先ほど入り口にいた女性店員がメモを持ってやってくる。
「ご注文をお伺いします」
注文票を持ち、店員はペンを構える。
「えっとですね……」
悠は決まっていたはずの
『私、ナポリタンとコーヒー!』
『じゃあ、僕はナスのペスカトーレと紅茶ね』
「えっと、ナポリタンと、ナスのペスカトーレと……」
ヒナとタクした注文を、悠が店員に告げる。その向かいで、氷点ははぁ、とため息をついた。
「悠、あんたはいつまでそのボケを続けるのかしら?」
「え、あ、いや……」
悠は思わず恥ずかしくなって赤くなった。
「ごめんなさい、さっきの注文はなしで、パスタセットのベーコンのカルボナーラとアサリのペペロンチーノ、飲み物はブレンドコーヒーと紅茶のホットをお願い」
「あ、はい。えっと、カルボナーラとペペロンチーノ、お飲物はコーヒーと紅茶ですね」
注文票の注文を復唱すると、店員はキッチンに下がった。
『えー、私の分は? キーホルダーは食事権無し? ねえ、食事権無しなの?』
『マスターは冷たいなぁ、自分の分しか頼まないなんて』
好き勝手いうヒナとタクに、悠は拳を震えさせる。
「喰えないくせに何言ってるんだよ」
悠の声が店内に響く。それを聞いて、店内にいる客と店員が一斉に悠に注目した。
「やっぱりあんた、女の子と二人きりで食事行くのはやめた方がいいわね」
運ばれてきたペペロンチーノをくるくるとフォークで巻きながら、氷点はあきれ顔で行った。
「別に、飯くらい一人で行けるし」
悠はとりあえず出されたカルボナーラに音を立ててがっつく。
『悠たん、そんなこと言っちゃだめだよ。万が一彼女ができた時困るでしょ?』
『ヒナ、万が一っていうのはひどいんじゃないかな』
かばんにぶら下がったキーホルダーは、悠のことを好き放題言い放つ。
「そうね、こんなのについていく女がいたら見てみたいわね。こうやって一緒に食事する女ですら珍しいというのに」
『おっと零ちゃん、自分が珍しい女だって、自覚してるのかい?』
「零ちゃん言うな、このすっとこどっこいがっ!」
ぼそっとつぶやくと、氷点はばんっ、とサクを叩きつけた。
『い、痛いっ! いや痛くないけど心が痛いっ!』
「次は舌でも引っこ抜いてあげようかしら?」
ふん、と鼻を鳴らして氷点はスパゲッティを口にする。




