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あの娘は発電機(She Is Electric Generator)  作者: 枕木悠
(シー・イズ)マイ・リトル・シスタ
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(シー・イズ)マイ・リトル・シスタ

「アリスの家はどこ?」

「……私の家?」

「うん、アリスの家」

「アビィ・ロード・スタジオの横よ」

 アリスはまるで冗談を言った後みたいに笑った。「アビィ・ロード・スタジオの横の幽霊屋敷が、近所の子供たちにはそう呼ばれているみたい、そこが私の家よ、分かるかな?」

「分かるよ、」マヨコは当てもなく頷き答えた。「きっと」

 夏休みだったので。

 いつだったか夢の国のアリスとそんな話をしたことを覚えていたマヨコは、兄のケンにカリマの大きなリュックを借りて、それを背負ってアリスを探す旅に出た。

 目的地のアビィ・ロード・スタジオという場所はすぐに分かった。ハルカに聞いたらすぐに答えてくれた。「ビートルズのアビィ・ロードのこと?」

 マヨコはビートルズに詳しくなかったから知らなかったのだけれど、ビートルズのラスト・アルバムのジャケットはアビィ・ロードというストリートのとある横断歩道で撮られたもので、そこはとっても有名な場所ということだった。

 目的地が分かれば、後は簡単だった。マヨコは錦景市駅前のJCBに行き、ビートルズ・マニアのためだけに用意されているというイギリスツアーに申し込んだ。出来れば一人で行きたかったのだけれど、マヨコは英語がしゃべれないのでビートルズ・マニアの人々と一緒に旅に出ることにしたのだ。ハルカのことを誘えば喜んだかもしれないけれど、でもやっぱりアリスを探す旅は知っている人と一緒じゃ駄目な気がしたのだ。なんとなく。

 いわゆる中二病ってやつ?

 まあ、正真正銘の中二なので構わないですよね?

 七日間のイギリス・ツアーでアビィ・ロード・スタジオに行くのは七日目の最後の日だった。それまではビートルズにゆかりのある様々な場所を巡ることになっていた。中にはビートルズに関係のない英国の名所も混じっていた。ビートルズマニアの人たちは普通の人にとっては普通の場所に見えるようなところでも、特別な歓声を上げていた。マヨコはまだビートルズのにわかファンにもなっていないので、彼らがそこまで感動する理由がいまいち分からなかった。ビートルズではなく、フーに関わりのある観光スポットにも行った。

「さらば青春の光で主人公のジミーがベスパに乗って落ちた崖っぷちがここ!」終始ハイテンションの茶髪のロング・ヘアのガイドさんが拡声器に向かって叫んでいた。「どうだ、凄いだろぉ!」

「すげぇ!」ジョン・レノンみたいな丸い眼鏡をかけている小太りのハイテンションなおじさんがガイドさんに負けない声で叫んだ。

「うわぁ、凄いなぁ」マヨコはなんだか世界の果てみたいな絶景に息を呑みながら突っ立っているしか出来なかった。崖の下を見下ろす勇気はなくて、ハイテンションなビートルズマニアのおっさんたちとガイドさんの後ろの方で青過ぎる空と崖の境界をまっすぐに見つめていた。

「さらば青春の光なんてキネマ、青春時代には見たらあかんよ」

 マヨコにアドバイスをくれたのは旅の途中で仲良くなったビートルズマニアで、終始ロウテンションで、滅多に笑わない、笑うとなんだか不気味な、大阪の天王寺で一人暮らしをしている、結婚の予定はまだない、少女漫画家の志水キョウだった。彼女もおっさんたちの中にあって、一人でツアーに参加していた。キョウの方からマヨコにアプローチがあって仲良くなった。多分、一人で不安だったんだと思う。マヨコもやっぱり、一人だと不安だった。だか自然に仲良くなったのだ。

 キョウはハイテンションな人たちの方を睨むように見ながら言う。キョウの途中から黒の混ざった長い茶髪が風に吹かれ揺れてマヨコの鼻をくすぐった。

 くしゃみが出た。「へっくしゅん!」

「あのキネマは人を堕落させる」キョウはマヨコのくしゃみを無視して語り始めた。

「え、堕落?」

「そう、あのキネマはな、青春時代の少年少女の心の隙間に入り込み、囁くんや、どんな夢でも夢を追いかけ続けていれば叶うって、確かそういうテーマのキネマやったと思う」

「へぇ、」別に普通のテーマじゃないか、とマヨコは思う。「そうなんだ」

「いや、」キョウは首を捻る。「そんなテーマじゃなかったかもしれん」

「え、違うの?」マヨコはずっこけそうになる。

「見たの、十六の時やし、」キョウは開き直って言う。「大昔やで、大昔、そんな大昔のこと覚えてないやろ!」

 ポカンとマヨコはキョウの顔を見つめてしまった。なんで、どうして怒鳴られたの?

「覚えてないやろ!」

 二回も怒鳴られた!

「まあ、ええわ、とにかく、」どうやら自己完結したみたい。キョウは腕を組み言う。「あのキネマはな、人と堕落させるんや、マヨちゃんなんて、きっとすぐに堕落してまうと思うで、次の日からきっとオサムちゃんやで」

「オサムちゃんって?」莫迦にされたみたいでマヨコはキョウのことを睨む目を作った。

「太宰治」

「はあ?」マヨコは首を捻る。キョウの言うオサムちゃん状態はマヨコには想像出来なかった。「太宰治がなんなの、キョウちゃん?」

「君ってあれやもん、なんていうか、あれやから、あれや、絶対に見たらあかんで、あれやし、あれやからな」

「あれって何だよ、キョウちゃん!」

「んふふふっ」キョウは目を狐みたいにして不気味に笑った。

『すげぇ!』

 遠くではハイテンションなビートルズマニアたちは崖の別の場所に移動して、またハイテンションに叫んでいた。『高いっ! 怖いっ!』

 さて、ツアーの七日目。

 いよいよ、ビートルズマニアたちはアビィ・ロード・スタジオに訪れた。スタジオは何の変哲のない、白い建物だったし、中を見ることは出来なかったのだけれど、おっさんたちは門から中を覗いただけで、凄くハイテンションになった。ビートルズのジャケットになったあの横断歩道では、なぜかこの日だけスーツ姿だったおっさんたちがビートルズよろしく、しかめっ面で写真を撮られていた。ジャケットのビートルズの四人は、しかめっ面みたいだ。

「マヨちゃん、私たちも撮ってもらおうや」

 おっさんたちに混じり、キョウとマヨコも横断歩道の上で写真を撮ってもらった。キョウとマヨコのしかめっ面は、思い出し笑いを必死で堪えているような不細工な表情だった。

 さてそして。

 マヨコの旅の目的である、幽霊屋敷のことである。

 アビィ・ロード・スタジオの敷地の隣に立つ家は左右とも、普通の家に見えた。英国風で素敵な外観のお家。とても幽霊屋敷、なんて思えなかった。正面は茶褐色の六階建てのアパートだった。幽霊が出そうなのはなんとなくこのアパートの方じゃないかって、マヨコは思った。

 とにかくマヨコはガイドさんに聞いてみた。

「幽霊屋敷!?」ハイテンションなガイドさんの反応だった。「そんな噂聞いたことないわね、でもちょっと待って聞いてくるわ」

「なんや、幽霊屋敷って?」

「友達が言ってたの、アビィ・ロード・スタジオの隣の屋敷には幽霊が出るって」

「へぇ、幽霊ねぇ」

 ガイドさんは日本人とは思えない積極性と、流暢な英語で通りを歩く人たちに話を聞いていた。

「オウ、テンキュ、ベリ、マッチ!」

 何人か話を聞いたところでガイドさんがマヨコの方に戻ってきた。「噂は本当みたいよ」

「ほ、本当ですか!?」ツアー一番の大きな声が出た。

「ええ、でも、もうその噂のあったお屋敷はないんですって、取り壊されて、この家が建った、」アビィ・ロード・スタジオの隣の家を見上げながらガイドさんは言う。「そうね、確かにまだ建てられてそんなに経ってない感じよね、今ではもう、そんな噂、ないみたいね」

「そっか、ありがとうございました」

 マヨコはがっかりした。

 アリスの冗談かもしれない、とは思っていたけれどやっぱり。

 会えるかもしれない。

 アリスは現実にいると思っていたから。

 だから。

「なんや、急に元気なくなってもうて、そんなに幽霊に会いたかったんかいな?」

 そう。

 私は。

 幽霊でもいい。

 アリスに会いたい。

「そうだよ、私は幽霊に、」

 会いたい!

 会いたいって言いかけた。

 その時。

 横断歩道の向こうから。

 ブロンドの素敵な髪の少女がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 白くて丸い、リボンの着いた帽子を被っていて、錦景女子高校のセーラ服みたいな、白い洋服を身に纏っていた。

 そしてマヨコの前をスカートを揺らしながら横切った。

 信じられなかった。

 吃驚して。

 破裂するように声が出た。

「アリス!」

 少女は離れた先で立ち止まり、首だけ振り返って、その生意気そうな目でじっとマヨコを見つめた。

 アリス。

 アリスだ。

 間違いなく。

「あなた、アリスよね!?」

 マヨコは少女にだっと駆け寄り、手を握り、顔を間近で見た。

 間近で見て。

「……アリス、」ちょっと違うと思った。「……だよね?」

 背が高い気がした。

 目線の位置に違和感。

 アリスの目も生意気そうだけど、この少女の目はもっと生意気そうだった。

 髪の色もよく見ると、なんだか違う。

 少女は困惑した表情を見せ、英語で何か言っている。

「……え、何?」

「アリス、イズ、」少女はゆっくりと発声した。「マイ・リル・シスタ」

「が、ガイドさん!」

 マヨコはガイドさんを呼んだ。英語なんて一つも分からない。マヨコには走ることしか出来ないんだから。「この娘、なんて言ってるの!?」

 いつもハイテンションのガイドさんもマヨコのハイテンションに困惑していたけれど、ちゃんと通訳してくれた。

「彼女は妹なんですって」

「え、妹!?」

 ガイドさんはさらに通訳してくれた。

 横断歩道を渡って来た少女の名前はアプリコット・ゼプテンバ。

 妹のアリスなら、母親の研究の助手として、日本の錦景山に建つ発電施設である、スクリュウにいるということ。

 彼女たちの家はこっちではなくて反対側の家で、少女は学校の帰りだと言うこと。

「あなたはアリスのことを知っているのって、聞いてるけど」

「ええ、知ってるわ、もちろん、私はアリスの、」マヨコは息を吸って歯切れよく言った。「恋人よ!」

 ガイドさんは目を丸くしながらもハイテンションで通訳してくれた。

 ゼプテンバも目を丸くして驚き、そして英語で何か言った。

「何?」待ちきれない、という風にマヨコはガイドさんに顔を向ける。「なんて言ったの?」

「えっと、」ガイドさんは眉を潜めて言う。「あなたは魔女か、って」

「は?」

「ウィッチやなくて、ビッチって言ったんやない?」キョウは不気味な笑顔を見せる。「なんや、君、レズビアンやったの? しかも相手は外人って、ほんま、最近の娘は、あれやなぁ」

「あれって何なのさ、キョウちゃん、」マヨコはキョウを睨み付けてやる。「っていうか、ビッチなんかじゃないもんっ!」

 もうちょっとアリスの姉のゼプテンバと話をしていたかったけれど、飛行機の時間が迫っていたのでこれ以上の長居は出来なかった。とにかくマヨコはゼプテンバとの出会いの証が欲しくて、帽子を交換した。マヨコはカバの帽子を被っていた。天王寺動物園限定のカバの帽子だ。キョウは友好の印にマヨコにカバの帽子をくれたのだった。カバの帽子はゼプテンバによく似合っていた。

 ビートルズ・マニアたちはアビィ・ロードから二階建てのバスに乗りヒースロー空港に向かった。マヨコはまだお土産を買っていなかったことを思い出し、空港にあったビートルズショップで小さなイエロ・サブマリンのおもちゃを沢山買った。そういう気分だった。ハルカの彼女さんたちの分の潜水艦、ということもあるけれど、ハルカに沢山のイエロ・サブマリンのおもちゃを見せて驚かせたい気分だったのだ。

 帰りの飛行機はキョウの隣の席だった。キョウはしきりにアリスとマヨコの人間関係を聞いてきた。「いや、最近煮詰まっててな、ネタに困ってて、どや、二人の人間関係を漫画に描いてあげましょか?」

 マヨコはキョウにアリスとのことを全部話した。一緒にスクリュウに行くことを条件に。「全部聞いてもうたし、こりゃあ、最後まで見届けな、あれやで」

「もぉ、キョウちゃんってば、だからあれって何なのさ」

「んふふっ、」キョウは不気味に笑いながらポツリと言った。「スクルって、スクリュウのことやったんやね」

「あ、そっか、」マヨコは言われて初めて気付いた。「最初から、アリスの居場所は分かってたんだ!」


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