表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの娘は発電機(She Is Electric Generator)  作者: 枕木悠
第一章 アバラート
7/87

第一章③

 錦景女子高校の軽音楽部には、シナノ、というロックンロールバンドがある。

 メンバは四人。三年生で生徒会長の尾瀬ミハル、同じく三年生で新聞部に所属する、武尊アマキと奥白根マミコ、そして生徒会の秘書である、黒須ウタコの四人で、去年の秋、シナノは結成された。

シナノ、という名前の由来は信濃国から来ている。G県に隣接する、信州と呼ばれる地域一帯には何か、底知れない、神秘的なものを漠然と感じるのよね、というようなことを以前、ミハルが突拍子もなく言っていたのをウタコは覚えていた。ミハルは忘れていたようだけれど、ウタコはミハルの一言のせいで信州とは神秘的な場所だ、ということを刷り込まれてしまった。その地域に対しての漠然とした憧れがウタコの中に産まれていたのは事実だっからシナノという名前を提案したのだ。信濃国の細かいことは全然知らないんだけれど、とにかくそういう些細な訳で、ウタコたちのロックンロールバンドの名前はシナノ。

 シナノの四人は六月一日の放課後、錦景女子の校舎内にある、喫茶マチウソワレという、錦景女子による錦景女子のための喫茶店にいた。壁際のソファ席に座り、談笑しながら珈琲を飲んでいた。

 喫茶マチウソワレは錦景女子高校の北側にある図書室や理科室音楽室などの特別教室が集合した校舎の六階にある。教室二つ分の広いスペースはかつて視聴覚室と第二家庭科室だった。しかし今は木目調の円卓が並べられ、壁はピンクとホワイトとブラックというモダンなトリコロールに彩られている。

 喫茶マチウソワレを運営するのは料理部の面々だ。料理部の部長である三年の谷崎モモカが喫茶マチウソワレの店長をしている。しかし店長である彼女はほとんどマチウソワレに姿を見せない。彼女は放課後、基本的に錦景市駅前の錦景第二ビルにある、メイド喫茶ドラゴンベイビーズに出勤している。今日もおそらくそこにいる。そんな彼女が店長なのは問題だが、他に店長をやりたいという人間が料理部にいないのだから仕方がない。モモカに当分の間、店長でいて貰うしかない。実質のリーダを欠く料理部の運営に、今のところ大きな問題はなかった。きちんと利益は出ている。ただロス管理が少々甘いな、と生徒会の秘書のウタコは常々思っていた。利益率が三十パーセントに乗らないのはその変に問題があるのではないか、と。

 しかし、今年の新入部員の中に優秀な人材がいるのをウタコは見抜いていた。

 ウタコは珈琲を飲みながらウェイトレスとして働く、一年の散香シオンの姿を見ていた。

 彼女は今、珈琲カップを拭いている。

 喫茶マチウソワレ、通称マチソワの制服は白いブラウスに黒いスカート、深緑色のエプロン、というシンプルなものだった。それはシオンによく似合っていた。似合っているだけでなく、その仕事ぶりにも目を見張るものがある。彼女はとても仕事が速い。段取りがいいのだ。レジの誤打もない。他のウェイトレスに出す指示も的確だ。狂いがあってもすぐに修正してくる。彼女の大きな瞳はフロア全体を見ていて、何かトラブルがあっても常に迅速に対応できる状態にある。そして何より、八重歯を見せる彼女のチャーミングな笑顔は素敵だ。天職ではないか、とウタコは思っている。

 そんなことを思いながらジロジロと見ていたらシオンはウタコの視線に気付き微笑み、拭いていたグラスを置き、カウンタから出て、シナノのメンバがいるテーブルまでやってきた。

「珈琲のおかわりはいかがですか?」彼女は手に珈琲の入ったポットを持っている。

「いただくわ、」ウタコの対面に座るミハルが長い黒髪を揺らしシオンを見上げて上品に微笑む。ミハルは上品でない瞬間がない。ミハルの上品さはウタコにとっての憧れでもあり、生涯きっと慣れることはないプレッシャだ。「ウタコは?」

「はい、私も」

 ウタコはミハルの上品さをコピーして、と言っても完全なコピーではないけれど、微笑んだ。ミハルの上品さは先天的なものだ。彼女は貴族階級出身。産まれたときからプリンセスの彼女の上品さはきっと、プリンセスに生まれ変われない限り実践できない種類のものだろう。そしてその上品さを真似できたとしても、おそらくミハルだけの、ミハルだけのミステリアス加減は絶対に真似できないものだ。上品さにミステリアスが拍車を掛け、彼女とはウタコにとって神秘的ですらある。神様に等しい存在だ。自分は素敵な神様に従順な天使、だなんて莫迦みたいなことをウタコは思ったりもする。莫迦みたいなことを思わないようにしようって考えるのは、今が最高だって思うから。

 シオンはポットを傾けてミハルとウタコのカップに珈琲を注ぎ、ウタコの隣のマミコに視線を向ける。「マミコさんは?」

「私はいい」マミコはパフェのクリームを口に含み言う。

 彼女の魅力は大人びた、若干ボーイッシュの外見と裏腹に、甘いものと可愛い物が大好きだと言うギャップにある。彼女の薬指にあるハートの形をした可愛らしい指輪はティファニだ。「アマキは?」

「コーラ」アマキはアイス珈琲を飲み干しグラスを空にしてから言った。マミコのティファニはアマキからの贈り物だ。二人は幼稚園の頃から幼なじみで、これはウタコの推測だが、二人は付き合っている。付き合っていなければ、ティファニはプレゼントしないと思うのだ。アマキの左の耳には羽の形をしたティファニのピアスが光っている。それはマミコからのプレゼントだ。

「はい、ただいま」シオンは頷き、テーブルを離れた。

 シオンがカウンタの中に入り、グラスを手にしたタイミングでアマキは小さく「けぷ」とゲップをした。

「汚い、」マミコが言う。笑いながらクリームの付いたスプーンをアマキに向ける。「少しは我慢しようってものよ」

「コーラを飲んだんだから我慢できないよ、物静かに、ということは不可能だった」

 アマキは自分で染めた金髪を払い、カラーコンタクトでブルーな瞳を隣に座るミハルに向ける。アマキの魅力的なところは、装える彼女にあるとウタコは思っている。アマキは化粧が濃い。化粧のせいで、肌は白過ぎるし唇は真っ赤だ。ナチュラルメイクとは程遠い。それから錦景女子で一番長いアマキのスカートにはスパンコールが散りばめられている。スカートが踊るとギラギラと煌めく。そしてそのスカートに隠されたミリタリィブーツはドイツ軍のもので足の甲の部分には鉄板が仕込まれている。アマキの必殺技は上段回し蹴り、とアマキはウタコに向かって言ったことがある。確かに鉄板が仕込まれたブーツのキックを側頭部に喰らっては絶対に死んでしまうって思う。でもウタコはブーツを履いても身長の低い彼女の必殺技がよりによって上段回し蹴りだと言うのを信じられないでいた。ウタコはまだアマキの必殺技を見たことがない。果たしてウタコが見る機会があるだろうか。ぜひ、彼女が卒業するまでに見てみたいものだとウタコは思っている。

「ハル、」アマキはミハルのことをそう呼ぶ。「もう錦景女子は夜の七時になるよ」

「ああ、」ミハルは珈琲にミルクを入れてスプーンで掻き混ぜている。「もう、そんな時間?」

「はい、後五分で、夜の七時です」ウタコは自分の腕時計で時間を確認してカウンタの方に視線を向ける。

 ちょうど、シオンがコーラを持ってカウンタから出て来た。シオンはアマキの前にコーラを置いた。「お待たせしました」

「シオンちゃん、」ミハルは彼女の名前を急に呼んで立ち上がり、そして彼女の肩に手を置いて言う。「おめでとう」

「は?」シオンは首を捻る。「なんですか?」

「お誕生日おめでとうっ!」

 ミハルは溌剌と言って、そしてシオンのことをギュッと抱き締めた。

 そしてフロアにいる錦景女子たちは、喫茶マチウソワレは満席だった、一斉にクラッカを破裂させた。

 弾ける音がして、硝煙が漂う。

「え?」シオンは悲鳴に近い声を上げる。驚いている。「え? え?」

「さあ、皆、」ミハルはシオンをソファに無理矢理座らせ、フロアに集まった錦景女子たちに向かって言う。「錦景女子は夜の七時、これから我らが散香シオンのお誕生日会が始まるよっ!」

 照明が落とされた。このお誕生日会を企画した、ウェイトレスの芳樹野ルカと泉波ナルミの二人がスイッチの所に立っていた。

 そして。

 スポットライトがシオンと、それからマチソワのカウンタのちょうど反対側にある、一段高くなったステージに注がれる。そこには機材が用意されていて、アマキはドラムの前に座り、マミコはギターのチューニングをしていた。ウタコも遅れてステージに立ち、ベースを担ぐ。ボーカルはミハル。そしてタンバリンを手に持ち、タンタンと音を鳴らす。シナノがロックンロールを奏でる準備が出来た。

 元々シナノは今夜、マチソワで演奏することになっていた。軽音楽部のバンドは定期的にマチソワの小さなステージで演奏している。だから機材が用意されていてもシオンは不自然だと思わない。盛大なお誕生日会が開かれることなんて予測もしていなかったと思う。シオンはまだ驚いた目をしている。黙ってシナノのメンバが立つステージを真っ直ぐに見ている。

「今夜は君のためだけにやるよ」

 マミコがマイクに向かって言うとフロアにいるほとんどの錦景女子が歓声を上げた。マミコは錦景女子のアイドル的存在だ。マミコをアイドル視する錦景女子たちは君と言われて自分のことだと勘違いしている。今日はお誕生日会だって分かっているはずだし、さっきもクラッカを鳴らしたのに君と言われて自分のことだと思っている。つまり、それほどマミコのアイドルとしてのレベルが高い、ということなのだ。

 さて、当のシオンはというと、なんだか緊張が混じったような生真面目な顔をしていた。喜びは欠片も見えない。このままではまるで、彼女以外の錦景女子たちが、彼女のお誕生日会を口実に騒ぎたいだけみたいだ。偶然廊下を通りかかり響くロックンロールに誘われて扉を開けて中を覗いた生真面目な図書委員が未来に予告しているとするなら、きっとそう映ってしまうことだろう。

 だがしかし。

 彼女が破裂するほどの笑顔を見るために、ウタコはシオンの細かいことまで調べているのだ。

 彼女の笑顔は、ウタコにはすでに見えている。

「それじゃあ、この歌を散香シオンに捧げます、」ミハルは真剣な表情で言う。「最後の女神」

 シオンは表情を変えた。

 彼女のポッド的な音楽プレイヤで一番再生されている曲は中島みゆきの『最後の女神』。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ