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あの娘は発電機(She Is Electric Generator)  作者: 枕木悠
第四章 ストレート
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第四章⑨

 時は錦景女子と同じく八月一日の正午。

 錦景第二ビルの屋上にある錦景天神の社の中は死ぬほど暑かった。この小さな社の中に空調設備はもちろんなく、ただ小型の扇風機だけがファンを回転させ、灼熱の空気をかき混ぜていた。

 オーバドクターズの篠塚カノコとパイザ・インダストリィの里見アキラは罰当たりにも社の中でいちゃついていた。アキラは仕事中にカノコをここに呼び出し、挨拶をするよりも先にキスをしてカノコの小さな体を畳の上に押し倒し、まるで仕事で蓄積されたストレスをぶつけるようにカノコのことを攻めていた。

 二人が一線を越えて、付き合いだしてから二週間が経つ。アキラは一線を越えてからずっと、主導権を譲らない。彼女は誰かを支配したいタイプの女だ。カノコもどちらかというと支配者になりたいタイプだ。でもアキラの支配欲はカノコよりもずっと強くて凄かった。そしてカノコはアキラに凄くされることが気持ちよかった。

 彼女は今まで自分のことをストレートだと思って生きてきた。そして二十代の後半になってやっと自分のアイデンティティに気付いた。だから凄いんだと思う。膨らんでいたものが一気に放たれた、という感じ。

 そもそも最初にカノコがアキラにキスをしたときから、自分はストレートだって言いながらも、その姿勢は積極的だった。だからカノコはアキラの人生のために、彼女の心と体に刺激を与え続けた。弾けてしまえばカノコの予測通り、ご覧の通り、凄かったわけだ。

 彼女はもう仕事中だって、カノコのことばかり考えているのだ。

 さて、一通りいちゃつき終えた後、アキラはカノコの唇を指でいじりながら言った。「カノコって本当に可愛いね、どうしてこんなに可愛いの?」

「急になんだい、」カノコはアキラにニッコリ微笑んでやる。「お嬢さん?」

「こんなに誰かのことを愛おしいと思ったことはないわ、」アキラはカノコの指をいじっていた指を舐める。「いくら男の人を好きになってもこんな気持ちになったことってない」

「そりゃあ、アキラはレズだからね」

「はあ、」アキラは大きく息を吐く。「自分がそうだなんて、信じられない」

「こんな風に私の体を好きなだけいじった後でも?」

「んふふっ、」アキラは笑って、そして表情をどことなく悲壮にしてカノコに顔を寄せる。「カノコは結婚とか考えないの?」

「結婚?」

「うん、結婚」

「結婚ねぇ、うちの親はうるさいけど、毎朝篠塚家の話題はね、私のお見合いなんだ、もういい加減うんざりだよ、お前も姉ちゃんを見習って早く結婚しろって親父に言われながら朝から冴えない男のタキシード姿を見るのは」

「お姉さんがいるの?」

「うん、ああ、もちろん姉ちゃんはストレートだけどね、結婚もしてて、三歳の息子が一人、サツキって名前」

「お姉さんの名前?」

「ううん、姉ちゃんはカナコ、息子がサツキ」

「女の子の名前みたい」

「私もそう言った、サツキなんて女の子みたい、男の子だったらユウゾウとかジンロクとか、そういうのがいいって」

「それはどうかな?」

「江戸っぽいのがいいよね」

「カノコはさ、女の子と結婚って言うか、そういう状態になろうとは思わない?」

「うーん、どうだろう?」カノコは少し悩み、正直に答える。「あんまり考えたことないな、そういうの」

「誰かに言われたことは?」

「ないな」

「嘘」

「本当だって」

「カノコのことを自分だけのものにしたいって誰も思わなかったの?」

「まあ、私、あんまり長続きしないんだよね」

「どうして?」

「逆に教えて欲しいくらい、思いっきり振られるってことってないんだけど、付き合っている人の環境が変わって遠くに行ってしまう、というパターンが多いね」

「私は遠くに行かないわ、絶対」

「それってどういう意味?」

「カノコとずっと一緒にいたい」

「そんなこと言われたの初めてかも」

 カノコは照れた。アキラから視線を逸らして天井を見る。そして突然そんなことを言い出したアキラの精神状態が、なんだか気になった。「アキラ、もしかして何かあった?」

 そのときだった。

 錦景天神の鈴がガラガラと激しく揺れる音がした。トワイライト・ローラーズの可愛い娘ちゃんたちが魔法瓶を取りに来たのだろう。もしくはただの参拝者か、そのどちらかだろう。でも、錦景天神に参拝する人は滅多にいないので、おそらく魔女たちだ。カノコは急いで服を着て例によって、ぐんまちゃん不動の後ろに小さい体を隠した。

 アキラも急いでブラウスのボタンを止めて白衣を身に纏った。

「里見博士、いらっしゃいますか?」

 カノコが聞いたことのない女の声が外から聞こえた。「四条センカと申します、どうか開けてもらえないでしょうか、博士に話があってここに来ました、大事な話があるんです」

「大事な話?」カノコはぐんまちゃん不動の後ろから顔を出してアキラを見た。そして邪推する。アキラがカノコ以外の誰かと付き合っているんじゃないかって邪推した。「ねぇ、四条センカって誰?」

「知らない、」アキラは即答し、首を横に振る。「誰だろう?」

「嘘、アキラに大事な話があるって言ってるんだよ、他人なわけないじゃん、」カノコはアキラに顔を近づけて早口で言った。「他人とする大事な話って一体全体何なの?」

「え、カノコ、」アキラは胡乱な目をする。「どうして怒ってるの?」

「怒ってないっ!」カノコは怒鳴る。「ただアキラが私に嘘をつくからヒステリックになってるんだって」

「それって怒ってるってことじゃない」

「ええ、怒ってる」カノコは腕を組む。

「なんで、どうして?」

「アキラが私以外の女にも、結婚の話をしているんだって思ったら、こういう気持ちになったの!」

「どうしてそんなことを思うのよ、結婚の話はカノコ以外の女の子になんてしてない、するはずないじゃないのっ!」

「じゃあ、四条センカって誰なの?」

「だから知らないって」

「だからなんでアキラが知らない四条センカが、」そしてそこでカノコは四条センカという名前にピンと来た。「四条センカって、あの四条姉妹の、四条センカ?」

「はあ?」アキラは首を傾けた。「四条姉妹?」

「昨日のカラオケ大会で、アジアの純情を歌って三位銅賞だった四条姉妹よ、私も参加したのよ、そのカラオケ大会に、このぐんまちゃんの枕は、」カノコはぐんまちゃんがうつ伏せに寝そべっている姿の枕を手にして言った。「その参加賞」

「カノコは何を歌ったの?」

「ボヘミアン・ラブソディ」

「どんな曲?」

「え、知らないの?」カノコは言いながら社の戸を開けた。

 やはりそこにはいた。

 優美な四条姉妹の、多分、姉の方の四条センカ。

「あ、よかった、」センカは控えめな笑顔を見せる。「取り込み中でした?」

 カノコは首を横に振る「こんにちは」

「あ、どうもこんにちは、」センカは礼儀正しくお辞儀をした。「初めまして、私、四条センカと申します」

 彼女がお辞儀をすると。

 白くて長い髪がさらさらと揺れた。

 こんなに暑い夏なのに、彼女は汗一つ掻いていなかった。

 着ている服も夏らしくない。

 灰色のセータに、黒いロングスカートだった。

「初めまして、それで、あの、私に何の用でしょう?」アキラは確かに、彼女と初対面、という感じだった。アキラはカノコの背中にピタっと体を寄せている。アキラはセンカのことを警戒しているみたいだった。「大事な話って?」

「はい、えっと、とにかくこちらの要求を先に簡単に申し上げさせて頂きます、里見博士、今すぐに、スクリュウの回転を止めて下さい」

「はあ、あなた、」カノコはセンカのことを睨んだ。「何言ってるの?」

「スクリュウの回転を止めて下さい、」センカは繰り返す。「お願いします、里見博士」

「なぁに、スクリュウって、あの錦景山のスクリュウのこと? それを止めろって、あなた、自然を大切にしろとか、原子力反対とか、そういうことを掲げる団体の人?」

「いいえ、違います、」センカは首を横に振って否定してそしてまた繰り返す。「里見博士、スクリュウの回転を止めて下さい」

「ねぇ、あなたが何者か分からないけれどさ、きっと、スクリュウのことを誤解しているからそんなこと言うんだよ、」カノコは腰に手を当て言う。「スクリュウは素晴らしい発電システムよ、この世にあるあらゆる発電システムの中でも最高のシステム」

「その最高のシステムが魔女の命を担保に稼働され、この世界の終わりを導くものでもあなたはそう言い切れますか?」

 センカは表情を変え淀みなく言った。

 カノコはセンカの台詞の意味が全く分からなかった。「ねぇ、あなた本当に、何言ってるの?」

「里見博士は当然、ご存じですよね?」センカは鋭い視線をアキラに移す。

 カノコもアキラに視線をやる。

「……ねぇ、アキラ、どうしたの?」

 アキラの顔色は青ざめていた。

 カノコの肩に置かれた彼女の手は、小さく震えていた。

 そして力なくアキラは俯いた。

「やはりご存じでしたね、」センカは口元だけで笑う。「まあ、ご存知でない、ということはないでしょう、あなたがそのプロジェクトのリーダであるのだから全てを知っていて、当然というものです」

「アキラ、ねぇ、」カノコはアキラの肩を揺らし顔を覗き込み言う。「何を知っているっていうの?」

「……無理だわ、」アキラの声は震え掠れて、まるで彼女の声じゃないみたいだった。「無理よ、私には止められない、スクリュウの回転はもう私には止められない、」彼女の目には涙が溢れている。「止められないの、止められるのは社長だけ、私には止められないのよっ!」

 アキラは絶叫し膝から崩れ落ち、畳の上に両手を着く。「……もうどうしようも、ないんだから」

「アキラ、本当にどうしちゃったの?」カノコは彼女の背中を擦った。「大丈夫?」

「ええ、」アキラは涙で濡れた顔を両手で隠す。しかし隠したってこみ上げるものを押さえられていない。涙で濡れて声でアキラは頷く。「ええ、平気、大丈夫、大丈夫よ、カノコ」

「大丈夫じゃないでしょう?」カノコはアキラの横に跪く。

「里見博士」

 センカはアキラの前、近い所に立ち、彼女の頭を見下ろした。「この世界の将来をそこまで怖がっているのにどうしてあなたは、」センカの口調は激しかった。キレてしまっているみたいだった。「あんなものを作ったりしたんですかっ!」

「だって!」アキラは感情的に声を張り上げ、顔を上げセンカを睨み付けた。「だって、それは、スクリュウがなすことは正しいことだからっ!」

「あなたは莫迦です! あなたたちがしたことは間違っているっ!」

「イリスは間違っていないっ! 天使に弄ばれている私たちの救済はスクリュウによって初めて可能になる、この別れてしまった世界を一つにして初めて私たちは救われるんだわっ! それは未来に予告して正しいことでしょう!?」

「この世界はあなたにとって素晴らしいものではないのですか!?」

「……え?」

「この第三世界にあなたは生きている、あなたの隣には彼女が、」センカはじっとカノコを見つめ声色を優しくする。「あなたの隣に彼女が生きている、温もりがある、その真実の素晴らしさはあなたにとって間違いなのですか?」

「でも、私たちの未来は、」

「ええ、」センカはアキラの言葉を遮る。「あなたたちの未来は素晴らしいものでしょう、あなたと彼女のような形が未来にもたくさんあるのですから、素晴らしくないわけがありませんよね?」

「……素晴らしい、素晴らしくないって、それって、とっても、とっても、とっても感情的な議論だわ、」アキラは大粒の涙を流しながら首を横に振る。「話にならない」

「私は感情的な話をしているんです、博士の感情の結晶である涙の理由を話してはくれませんか?」

「どうして泣いているかって?」

「ええ、それが大事なことです、大事にしなくちゃいけないことです」

「私は発電機の彼女の命を救いたい、この世界を終わらせたくない、この人の傍にいたい、」アキラはカノコのことを強く抱き締めた。「ずっと傍にいたい、ずっと」

「ありがとう」

「でも、でも、もう手遅れだわ」

「いいえ、そんなことはありません、」センカは大きく首を横に振った。「まだ世界は終わりません、手遅れではありません、綻びはまだ縫い直せるレベルです」

「本当?」

「ええ、あなたのボスに会わせて下さい、」センカはアキラの頭を撫でて言った。「そこで私に話をさせて下さい、八月が終わるまでにスクリュウのプロペラの回転を止めれば大丈夫です」

「あなたは何者?」

「死神です」

「死神」

「ああ、この世界のエンターテイメントに登場する死神とは全く違いますよ、」センカは人差し指を立てて説明する。「死神と言っても、私に誰かを殺すような力はありません、この世界では至って普通の人間です、ただこの世界の物理的影響を私たちは受けません、影響を与えることは出来ますが影響は受けません、それは世界を行き来するために身に付いた特製です、だからほら、私はこんなに暑い夏なのに長袖なのです、あ、肝心なことを言い忘れていましたね、死神とはこの四つの世界を管理する職業のことです、言わばエンジニアです、私たち、死神とは」

「ねぇ、さっきからさ、」カノコは頬を膨らましヒステリックに言った。「一体全体なんの話をしているわけ?」


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