第四章⑦
「あ、また踏んだ、下手くそね、もっと上手に踊れないの、学校で習わなかった?」
錦景市駅北口から徒歩十分くらいに位置する、廃業してから三十年以上は経っている、という感じのホテルの屋上でミアとミヤビはワルツを踊っていた。ワルツの軽快な音楽はミヤビのスマートフォンから再生されている。
「日本の学校でワルツなんて習わないよ」
「ヒールを履いているわけじゃないんだから、もうちょっと何とかならない?」
二人ともコンバースのハイカットを履いていた。ミヤビはミアの真似をして、コンバースのハイカットの同じモデルを買った。それに対してミアは何も言わなかった。誰かと同じものを持っているとか、同じ服を着ているとか、同じ髪型だとか、そういうことをミアはあまり気にしないみたいだ。
「こういう気取ったこと、嫌いなんだけどな」
「ワルツは淑女の嗜みよ」ミアは口元を上品に微笑ませて言う。
「ロンドンの話でしょ」
「日本でもあるでしょ、えっと、なんだっけ、鹿鳴館外交?」
「それは随分昔の話だって」
「ほら、回って、ふぅ!」
ミアは突然強引にミヤビを回した。
急だったから足がもつれて体がよろめく。
ミアはそんなミヤビの姿を見て愉快そうに笑う。「んふふっ、もぉ、全っ然、駄目、こんな不細工なダンスじゃ幽霊も寄って来ないわよ」
今夜の幽霊の出現条件は、廃ホテルの屋上でワルツを踊る、というものだった。
屋上で愉快にダンスを踊っていると、ワルツを踊る幽霊にいつの間にか囲まれている、というのである。そういう情報がネットにあったのだ。しかし俄には信じられない。ミヤビにはふざけた情報にしか思えなかった。
「もう止めた、」ミヤビはミアの手を離して踊るのを止めて彼女から離れる。「もうこんなことやってらんないよ」
「ああ、ちょっと、ミヤビってば、もぉ」
「私たち、デマに踊らされてるんだって」
「あ、」ミアはすっごく笑顔になる。「上手いこと言うね」
「え、なんの話?」ミヤビは何も上手いことなんて言ってないと思って首を横に振る。
「ごめん、下手くそって言ったから、怒ってるのね? ごめん、ごめんね、謝るからお願い、踊ってよ、一緒に」ミアは甘える声を出して体を寄せてくる。
「そうじゃなくってさ、間違いなんじゃないの、その情報、そもそも誰が最初にこんなところでワルツを踊ったのって話だよ、最初にここでワルツを踊った人の発想って信じられない」
「そりゃあ、オカルト業界の人たちに決まっているでしょ、彼らは日々、様々な怪しい場所に出向いて、怪しいことをしているのよ、様々な怪しいことをして怪しいことが起こらないか検証しているの、ここでワルツを踊るのも全然不思議じゃないわ、この廃ホテルには大きなダンスホールがあった、そこで盛大なダンスパーティが開かれていたときに火災があって沢山の人が焼死する事故があった、だからオカルト業界の人たちがここでワルツを踊っても不思議じゃない、それに彼らは少しでも怪しいことがあったら大げさに記事にするけど、でも彼らにはモラルがあるの、きちんとしたモラルを持っているの、少しでも怪しくなかったら記事にしない、というモラルを彼らはきちんと持っている、そういうところは彼らの尊敬すべき点だと思う」
「へぇ、詳しいんだ」
「それが私の生命線だもの、当然よ、」言ってミアはミヤビの手を再び取り、指を絡めて来る。愛おしいって思う。「さあ、とにかく今夜は踊らなくっちゃね」
「分かったよ、」ミヤビは下手くそなステップを再開した。「踊ればいいんでしょ」
幽霊に絡みついていたエネルギアを体内に摂取しないと生きていけないの、ということをミアはミヤビに告白したのは会って間もない頃だ。「私、魔女に開花してからそういう体になってしまったの、その代わり私は何も食べなくても平気なの、まあ、水は飲むけどね」
ミヤビはその告白を聞いて。
ミアの体にはどこか、異常があるんじゃないか。
ミアは異常な魔女なんじゃないか。
彼女の紫色の煌めきは、彼女に異常があるから凄まじいんだって。
そう思ってしまった。
そう思ってしまった自分が、とても。
なぜかとても嫌だった。
「あ、ミヤビ、」ミアはステップを止めて言った。「後ろ見て、凄いわ」
「え?」
ミヤビは背中に方に振り向いた。「……何、これ、凄い」
ミアが言う通り、確かに凄かった。
凄いシーンが廃ホテルの屋上に広がっていた。
煌びやかな衣装に身を包んだ足のない男女のカップルが、何組もワルツを踊っている。
シャンデリアがまるでそこにあるように、屋上は金色の光に演出されていた。
ミヤビのスマートフォンが鳴らすワルツの曲を、奥に見えるブラスバンドが奏でていて、生演奏がミヤビの耳には響いている。
ペントハウスの手前にはバーカウンタが見え、バーテンダはカクテルをシェイクしている。
こちらを見て、彼はニヤリと唇の端を持ち上げた。
ミヤビはミアの方に向き直る。
ミアの背後にも、ワルツを踊る人たちが溢れていた。
見回せば屋上全体はすっかりダンスホール。
「負けてられないわね」ミアは生意気な目を周囲に向けながら言う。
「え?」
「見せつけてやりましょう、ミヤビ」
「え、だから何を?」
「本当に生きている者の、躍動的なダンスをよ」
二人は情熱的に踊った。
ミアの回転に巻き込まれるようにミヤビも必死で狂ったように踊った。
このダンスにきっと意味はないだろう。
ゴーストバスタに全然関係ないことだ。
でも必死でミアと回転した。
そしていつの間にか、楽しくてしょうがないって気持ちになっていて。
それが顔に出る。
下手くそでも、楽しい。
「いい顔ね」回りながらミアが言う。
「そう見える?」
「楽しいでしょう?」
「楽しいに決まってるじゃん」ミヤビの声は弾けるように出た。
曲が終わる。
最後のポーズは自分で言うのもなんだけど、雅に決まったんじゃないかな。
そして。
なぜか幽霊たちは二人のワルツを拍手で讃えている。
「何なの、この拍手?」ミヤビは幽霊たちを見回しながら言う。
「成仏する準備が出来たって意味でしょ?」
「適当なこと言ってさ」
ミヤビがミアに視線を戻すとすでにミアは紫色に煌めいていて、フェンダのギター・ケースを開けてライジング・ブレイドに触れていた。「ミヤビ、しゃがみなさい」
「え?」
「はああああああああああああああっ!」
ミアは絶叫。
圧倒的な紫色を放ち。
ライジング・ブレイドを水平に構え、一回転。
ミいわゆる回転切りってやつで。
ミアは幽霊たちを一度に斬った。
「も、もぉ、」地面に伏せていたミヤビは立ち上がりがなる。「危ないだろ! もう少しで私も斬られてしまうところだったじゃないか!」
「そんなことよりミヤビ、」ミアはルイ・ヴィトンのボストンバッグのファスナを開けながら言う。「急いでエネルギアを回収して」
幽霊が沢山出ると聞いたので、二人はボストン・バッグに魔法瓶を詰められるだけ詰めて持ってきていた。
しかし今夜は、これだけあっても足りなそうだった。
ミアのライジング・ブレイドに斬られ魂から解けたエネルギアが、千切れてバラバラになったカーテンのようにミヤビたちの視界を覆っていた。
バラバラになったエネルギアは一度空中で球体となり、そして互いを引き合い、その大きさを巨大にしていく。
魔法瓶の少ない容量では、いくら沢山持ってきていたって、全てのエネルギアを回収出来そうになかった。
「もったいないけど、」ミアは親指の爪を噛み空中に浮かび無色に煌めくエネルギアの塊をじっと見ながら言った。「諦めるしかなさそうね」
「全部飲み干せば?」ミヤビは冗談を言った。
「その冗談、死ぬほどつまんない」ミアはミヤビを睨み、一度魔法瓶で掬ったエネルギアを飲んだ。
そのときだった。
「お前は諦めてしまうのかっ?」
どこからともなく剽軽な声が響いたのは。




