Re:プレリュード③
天体史の講義中に、私は世界に堕ちたくなった。
認可証に理由を書いて、誰かに笑われるのも嫌だったから。
知り合いの死神が宮殿に訪れていたときに、私は彼女に頼んで、彼女の旅に同行することを決めた。
契約という仕草で、私は羽根を失い死神に近い存在となり、とても急な角度で堕ちた。
死神の四条センカは先に第三世界にいた。
キセルの煙が立ち上るのが目印だった。
センカはパートナが欲しかったらしい。
そして目的を持っていた。
ただ第三世界のことを知りたかった私にとっては少し煩わしい事実だったが、センカの目的に私は付き合うことにした。
センカは錦景という街に用があるらしい。
死神と魔女が交わした契約が破られている。
永久機関と呼ばれる、天体を包む循環システムの故障は。
どうやら錦景という街が中心となって引き起こしているらしい。
契約は二千年前以上のものだ。
まだ魔女も死神も天使も悪魔も、それ以外の様々な種族も全て同じ概念として扱われていた時代に遡る。
死神は忘れなかった。
天使も忘れなかった。
悪魔もきっと、覚えてる。
魔女だけが、契約を忘れ、第三世界の人類史の進歩のために契約を破棄したのだ。
だから、四条センカはとても目を輝かせて、キレてしまっている。
まだ天使の心が残っている私はというと、それほど大きな事態だとは感じなかった。
元々は一つだったものが、いくつかのものに分化し、それが元に戻る。
ただそれだけのことではないか。
私が堕ちていくのは、センチメンタリズムの峡谷か。
私たちが経験した分かれ。
あるいは別れによって、センチメンタルになった。
センチメンタルの深い所。
渦を巻いたような悲しみに囲まれ。
さて。
羽根のない私は、どんなことが出来るだろうか。
羽根を失い、私は堕ちる前よりも少し、何かについて考えるようになったと思う。
それは思考の速度の低下。
思考に感情が絡みついている、ということ。
脳ミソに鎖が絡みついてしまったようで、何かを考えるたびに鎖が擦れる音が響いている。
しかしそのノイズによって。
何もかも失ったところから始まる世界に生きる命の気持ちが少し分かって。
まだしばらくはこの体のままで、世界にいたいと思った。
再び飛ぶときは、また歴史の最初に戻ればいい。
私の歴史の最初とは、何度だってある。
最初の天使は、この世界で編まれたものを羽根にして、飛んだのだ。
いつだって繰り返される回転に、飲み込まれることはとても簡単なこと。
センカは言う。「君は何も分かってないね」
「そうか?」私は首を捻る。
「そうだよ、時間が掛かっているんだよ、」センカは声にヒステリックを含ませて言う。「二千年っていう長い時間が掛かって、やっと我らが天体の世界は、綺麗に分かれようとしていたのに」
「それは嫌なことなのか?」
「ああ、そうだ、そう習ったでしょう?」
「天体史の授業では、混沌は好むべきものだと、誕生、再生の源だと、光だと」
「ああ、やっぱり君は羽根を失っても天使だ、始まりに全てがあるとは天使のファンタジィ、目指すべき向きとは、揺るぎのない境界線、そしてそれによって紡がれるのは未来の正確な観測なんだよ」
「今の私は、」私は髪に指を通しながら笑う。「ただの女の子だけれど」
「ここでお別れだね」
「どうして?」
「君とは感じ方が違うみたい、やっぱり駄目かも、あなただって私に協力はしたくないでしょう? そんな教えで生きているのなら、死神は苦痛じゃない?」
「いいや、あなたは私の羽根をちぎって堕としてくれた、協力はしないといけないと思うが」
しばらくセンカはこっちをじっと見て、急に吹き出して笑った。
「……ああ、そうだった、天使ってそうだったね、ああ、やっぱり君は天使だ、あなたは天使が長かったものね」
「私はどういう反応をすれば?」
「好きにして」
センカは笑いながら言って、右手に持つ鉄で出来た扇子を広げて自分の顔を仰いだ。
「そうだね、私にだって天使的なものがないわけじゃない、この世界の新宿にある劇場が閉鎖されたときは、まさに断腸の思いだった、世界を分かつメンテナンスをしながら、私は世界に未練を持つ行為を平気でしていた、だから、そうだよね、君を天使だって言い切ってしまうのは失礼なことかもしれないね」
「あの、」私は首を水平に傾けた。「センカ殿が言っているのは、何かの台詞か?」
「気にするなよ、キョウカ」
「それも?」