第二章⑨
錦景第二ビルの屋上、錦景天神の社の中にいた里見アキラ女史は、昨夜のように白装束にサングラスという現代に風変わりな出で立ちではなくて、灰色のスーツに白衣という装いだった。中央高校の生物の女教師もちょうどアキラと同じような格好をしている。しかし彼女が理科の教師でないことは、顔に施された濃い化粧と濃い口紅と、裸足ということと、それから憂いを纏った微笑みからなんとなく推測出来た。では、彼女は何者だろうって思うとすぐに思い浮かぶのは、マッドサイエンティスト、っていう単語。
「我が社へようこそ、魔女の諸君、」アキラはまるで舞台で台詞を発声するみたいにわざとらしく言ってゆったりと両腕を広げた。アキラの声は社によく響く。演歌歌手のように、声の区切りに拳が効いている。「さあ、輪になって座りなさい」
ニシキがミヤビの背中を押すから、ミヤビを先頭に、四人は靴を脱ぎ社の中に入り、交換したばかりのように綺麗な畳を踏んだ。
四人は錦景天神には何度も来たことはあるけれど、社の中に入るというのはもちろん初めてだった。
社の中は畳と同様に綺麗だった。独特な匂いが充満しているが、多分、畳の匂い。黴臭さはない。掃除は行き届いている。
ベッドとかティッシュとか冷蔵庫とかはなかった。アキラがこの社で生活している、という感じではなさそうだ。なんとなくここに住み着いていそうな気がしたから、少し安心した。
社の左右の壁の天井に近い場所には額に入れられ写真が飾られていた。この錦景天神を建立した人だろうか、その人の顔写真。その横には錦景天神の社を後ろに撮られた集合写真。それから認可証のようなものもある。
そして社の扉から正面、奥には唯一、異様なものがある。
それはG県の公認マスコット、いわゆる、ゆるキャラである、ぐんまちゃん(旧名、ゆうまちゃん)の立像だ。その目つきは鋭く、ゆるキャラとは思えない憤怒の形相をしている。といっても怖さは皆無。右手には利剣、左手には羂索を持ち、大火焔の中にぐんまちゃんは座している。つまり、このぐんまちゃんは不動尊なのだ。
錦景天神の中にぐんまちゃんの不動さんがいることは有名な話で、ミヤビたちも知っていたが、目にするとやっぱり異様だと思った。普段の愛らしい姿を見慣れているから余計である。とにかく不気味で、可愛くない。
「可愛い、」ハルカはミヤビとは違う印象を持ったようだ。「フィギュアで欲しいなぁ」
「あ、それ、いいかも、」アイナもミヤビとは違う印象を持ったようだ。「作ってパワーストーンと抱き合わせ販売しよう」
アキラはぐんまちゃんの立像の前に胡座を掻いて座った。
それに合わせて四人は言われたように、輪になって座った。
「四人は愛し合っているんだってね、」アキラは突然、そんなことを言った。「それって、どういう感じなのかな?」
「どういうセックスをするか、という質問ですか?」ハルカはすかさず言った。
ミヤビはハルカが真剣な顔でそんなことを言うから笑ってしまった。
「嫌だ」ニシキは下ネタが嫌いだ。
アイナは嫌らしい顔を一瞬だけ見せた。
「違うわよ、」アキラも吹き出すように笑った。彼女の指先は煙草を挟む形をしていた。社の中で煙草は吸わない、っていう常識的な良心を彼女はきちんと持っているようだ。とにかく、ハルカのおかげで社の中の緊張感は和らいだ。「もっと哲学的な話が聞きたいの、四人同士が愛し合うロジック、そのバランスと、思想と、ええ、それらにセンセーショナルな思い出を交えて話してくれると、分かり易いんだけど」
ロジックも何も、とハルカは真剣な顔を維持したまましゃべり始めた。おそらくそれは、ハルカなりのユーモアだとミヤビは思う。「私たちには傷があります、沢山の傷です、魔女が社会的に抹殺されるのは中世ヨーロッパも現代の日本も同じです、私たちは魔女狩りには今のところあってはいませんが、魔女である故に、私たちは普通の少女たちとはあらゆる感覚が異常に違っているんです、それは特に、今を大事にするということと、感情的、あるいは非合理的、あるいは直感による行動を信頼する度合いが高い、ということに顕著に見られます、だから私たちは幼い頃から疎外感を感じていました、やっていることが周りの女の子たちとは違う、行動原則が根本的に違う、未来を大事にし過ぎる女の子たちと今を大事にする私たちは速度が違うので、彼女たちは遅すぎる、だから彼女たちに私たちの考えることを理解するのは不可能なことだった、例えば中学生の頃の私の冗談を理解できる少女は中学校に一人しかいませんでした、その少女は今を大事にする少女で、言わば魔女的な少女でした、そんな少女はほとんどいませんから、私たちはとても傷付いていました、狭い義務教育コミュニティの中での正義とは中間値からさらに低く設定された普通です、魔女の私たちは普通とはかけ離れた存在でその普通色に染められることが嫌でしたが、いじめられないようにするために普通色になりました、いじめられるのは魔女でも嫌です、怖いことです、中世の魔女たちだって民衆にいじめられたくなかったと思います、優しくされたかったのだと思います、普通を演じることは簡単でした、私は学級委員長になり優等生を演じていました、普通の優等生です、でもそれは今を大事にしたかった私には拷問でした、傷付きました、もっと早く自分が魔女だと知って、いじめられることを恐れない人間だったら、魔女であることはもう私のアイデンティティです、私の中学時代、遡って森村ハルカの小学生はずっと変わったものになっていたでしょう、多分、もっと愉快な方に、もっと早く、同じ色を持つ女の子たちに出会っていれば、もっと楽しかったのにな」
そこでハルカは言葉を止めて、自嘲気味に笑った。「つまらない話でしたが、とにかく、ええ、私たちはつまり、傷の舐め合いをしているんです、傷の舐め合いをしていたら、それはとても気持ちがよくって、もう離れたくなくなった、愛し合ってしまった、もう四人で一つになってしまったんです、四人がそれぞれ一つの形の欠片になってしまった、一つでもパーツが欠けたら機能しないバンドのようになった、だから一つの形に名前をつけなければいけないと思ったんです、せっかくなので、せっかく同じ色の同世代の魔女が四人揃ったので、それがトワイライト・ローラーズ、錦景市の紫色の魔女のバンドです」
そしてハルカは憂鬱な顔から急にニッコリと笑って、舌をペロッと出した。「なんちゃって」
「……なるほど、なんとなく、分かったよ、君たちのことが」そう言いながらもアキラは難しい顔をしていた。
「あなたは魔女ですか?」ハルカは聞く。
「違う、」アキラは首を小さく振る。「今よりも未来を大事にする普通の少女よ」
「……普通には見えませんけど、」ハルカが言う。「あなたはあまり地下街では見ない種類の女性です、特殊ですよ」
「特殊の環境が私のことを少しだけ変えた、それが顔に滲み出ている、という感じかしら、」アキラは目尻の皺を指で伸ばしながら言う。「私、いくつに見える?」
「……三十路?」ハルカが言う。
「三十四?」アイナが言う。
「三十七?」ニシキが言う。
「四十二?」ミヤビが言う。
「あははっ、」アキラは髪に指を入れ、風船が破裂するような声を出して笑った。声がいいので、笑い声も響く。「私、あんたたちのこと、大っ嫌い」
四人はアキラの言葉に萎縮してしまった。
「本当に、最近の女子高生って、失礼なやつばっかり」
「……正解は?」ハルカは勇敢にも聞いた。
「二十七歳だよ、」アキラは吐き捨てるように言った。「いいな、若いっていいなぁ」
妙な沈黙が漂った。
ミヤビに、なんとかしろ、っていう三方向から視線が集まった。
こういうときにはいつも、ミヤビに視線が集まる。
四人のピンチをなんとかするのがミヤビの役目、みたいになりつつある。
全く、しょうがないねぇ、と引き受けるけれど、華麗に対処出来たことって、あまりない。
「でも、アキラさん、綺麗です」
言ってすぐにミスったことが分かった。
アキラは凄く、ミヤビのことを睨んでいる。
「うるせぇよ、小娘、フォローしてんじゃねぇよ、」アキラは口を尖らせ、拗ねるように言う。「どうせ私は老けてますよ、毎日不規則な生活してたら、こんな風になってしまいますよーだ」
「……面倒臭せぇ」
「あ、」アキラは低い声を出す。「今、なんて言った?」
「いえ、なんでも」ミヤビは首を横に振る。思ったことが勝手に口から出てしまっていた。慌てて口を手で隠す。
「それから私のことは里見博士って呼びなさい」
「なんで?」
「あ」アキラはまた低い声を出しミヤビを睨む。
「分かりました、」ミヤビは頷く。遅れて三人も頷いた。「それであの、里見博士、幽霊退治の話なんですけど」
「十万円の話」ハルカが現金な顔を隠さずにポツリと言う。
「ああ、そうだな、そうよ、私は女子高生と歳の話をしにここにいるんじゃなかったわ、」アキラは表情を変え、ローレックス製の金色の腕時計に視線を落として言う。「これから私は特別な話をする、この特別な話にあなたたちは驚く必要はない、そんなリアクションはいらない、サイエンス・フィクションを読んでいるつもりで聞いていて、でも、私が話すことは全て真実ということ忘れないで聞いていて」




