第二章③
六月十五日、錦景女子北校舎六階、喫茶マチウソワレの空気は帯電しているように、ピリピリとしていた。
「あなた、ちゃんと誘ったの?」生徒会長の尾瀬ミハルは席の対面に座る図書委員の二年生、真田カナエを睨み、鋭い口調で言った。カナエはミハルに睨まれ萎縮し、固まってしまっている。「森村ハルカにマチソワに来るように誘ったのかって聞いてるのよ、どうなの!?」
「ご、ごめんなさい、」カナエの声は震えている。「ごめんなさい」
「ごめんなさい、ってことは、」ミハルの口調からはヒステリックが溢れている。「まさか誘い忘れたの? 信じられないことだわねっ」
「ち、違います、誘ったことは誘ったんですけど、でも、返事は曖昧で、行けたら行くって、そういう返事で、もしかしたら何か用事があってその、来れなくなったのかも、しれません」
「ははっ、」ミハルは高い声で笑った。「行けたら行く、ですって?」
「は、はい、そう言ってました、です」
「私の誘いに、森村ハルカはそういう返事をしたのね?」
カナエは無言で頷く。
「なんてふざけた娘なのっ!」ミハルはテーブルを手の平で叩いた。一瞬でマチソワの店内は静寂に包まれる。「私たちが、シナノが、盛大なお誕生会を開いてあげようって言っているのに、行けたら行くなんて、そんなふざけた返事をしたなんて、信じられない、信じられないことだわよっ!」
こんな風にミハルがヒステリックになるのは久しぶりだった。だから彼女の隣に座る黒須ウタコは、冷静な表情を装いながらも内心はとってもビクビクしていた。
ああ、もう、何してくれてんのよぉ、とウタコはほとんど面識のないハルカのことを恨んだ。
彼女は図書委員の一年生で、授業以外のほとんどの時間を図書室で過ごす、ミステリアスな女子だった。彼女には、図書室に住まう魔女、という誰が最初に言ったのか、そんな異名が付いていた。確かに彼女はそう呼ばれるに相応しい雰囲気を纏っていた。髪は肩に掛かるくらいで童話の魔女のように長い髪ではないのだけれど、長い睫が縁取る大きな瞳のせいか、彼女からどことなく妖艶さが漂っているのだ。錦景女子にあっても、そういう妖艶さを纏う女子は珍しい。そんな彼女にミハルは興味を持ったのだった。それに。
「同じハルちゃんだもの、仲よくしたいわ」
そういうわけで、彼女の誕生日である六月十五日の今日、盛大なお誕生会をミハルは企画したわけだが、彼女は一向に姿を見せなかった。これは前代未聞のことだ。今までにミハルの誘いを断った女子をウタコは知らない。
「電話して」
ミハルは苛立たしげにカナエに言った。ハルカを誘う役にカナエが選ばれたのは、彼女が一番ハルカに近い存在だとウタコが判断したからだ。カナエは誰よりもフランクに彼女と会話をしていた。ウタコはそう思った。カナエと一緒にハルカは来ると思った。でも来なかった。だからカナエは怒られている。ウタコはその責任を感じている。カナエは絶望的な表情でしょんぼりしているだろう。そう思って彼女の顔をチラリと見れば、以外にも気丈な顔、というか、ミハルに対して反抗的とも言える目をしていた。
カナエはスマホを耳に当てている。ハルカに電話をしているのだろう。カナエはスマホを耳から離し言う。「出ません、留守電です」
「そう、じゃあ、探して来なさい、彼女をここに連れてきなさい」
「え? どこにいるか、分からないんですけど」
「どこにいるか分からなくても連れて来るのよ、早くして、私、待つのが嫌いなの」
「ちょっと横暴ではないですか?」
「ん?」ミハルは首を捻る。「なんて言ったのかな?」
「横暴って言ったんです」カナエは歯切れよく言い放った。
ウタコは止めて、と思った。
それ以上は駄目、ミハルをもっと怒らせちゃう、と声を張り上げたかったけれど、ウタコの喉はカラカラに渇いていて声を出せる状態ではなかった。
「横暴ですよ、」カナエは言葉を続ける。もう一度出たら止まらない、という感じでまくし立てる。「横暴です、いくら生徒会長だからって勝手に招待して、来なかったら勝手に怒って、探して来いって、ちょっと理不尽過ぎっていうか、理不尽ですっ、生徒会長の言うことでも、聞けないことってあると思うんですよね、私、何か間違ってますか!?」
来る沈黙。
見えない近未来。
破滅か。
滅亡か。
それ以上か。
ウタコは息が出来なかった。
ああ、死にそう。
「……ごめん」
響いたか細い声はミハルのものだった。「ごめん、ごめんなさい、あなたの言う通りだわ、ただ、えっと、そう、ちょ、ちょっとあなたのことをからかっただけよ、反省してるから、その、怒らないでよ、」ミハルは口を尖らせ言って、そしてウタコを見る。その瞳は潤んでいた。下級生に怒鳴られて、ちょっと信じられないことだけど、泣いちゃっているみたい。ウタコはやっと息が吸える。そしてミハルのことを、なんて可愛い人なんだって思った。「ほら、ウタコも謝って、生徒会の秘書なんだから謝るのよ」
「はい、ごめん、カナエ、会長も謝っていることだし、許してあげて欲しい」
「いや、別に、」カナエは困惑していた。まさかミハルが泣いてしまうとは思わなかったのだろう。カナエは胸の前で手を振り、急ごしらえのぎこちない笑顔を見せる。「怒っているわけじゃありませんから、その、えっと、あははっ」
ミハルはそしてウタコのセーラ服の袖で涙を拭いて、いつもの毅然とした顔に戻して言った。「お詫びにあなたのために歌うわ、カナエのために歌うわ」
「え、そんなのいいですよぉ、」カナエは予想外の展開に顔を赤くしている。「誕生日じゃないし」
「ウタコ、」ミハルは席を立った。「準備なさい」
「はい」ウタコは頷き立ち上がる。
他のメンバの武尊アマキと奥白根マミコはすでにステージの所定の位置に立っていた。
「何やるの?」ドラムを叩きながらアマキはウタコに聞く。
もちろんウタコはカナエのこともリサーチ済みだ。「恋の常備薬」
カナエは国民的アイドル、ユナイテッド・メディセンズの大ファンなのだ。