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あの娘は発電機(She Is Electric Generator)  作者: 枕木悠
第二章 マスカレード
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第二章①

 パイザ・インダストリィのプラント建設チームに所属していた里見アキラだったが、昨年の夏、彼女は急に発足することになった新たなプロジェクトチームに転属となった。しかもそのチームのリーダを任されることとなった。アキラは驚くのと同時に、まだ大学院を卒業したばかり、研究者としてまだまだ未熟な自分にリーダが務まる訳がないと思った。だからアキラはこの大胆な人事を断行した張本人である、社長の大森テルヨシに自分はプロジェクトのリーダに相応しくないと主張した。

 最も彼女の理論を理解しているのは君だと、大森は優しく、諭すようにアキラに言った。随分と魅力的な顔を見せる人だとアキラは思った。少なくともアキラが生涯で出会った男たちにない、煌めきを彼は顔に持っている。大森は背もたれが大きい椅子に深く座り、煙草をくゆらし、僅かに目尻に皺を寄せて言う。「何より里見女史、君の速さを、何よりも彼女は気に入っているんだから」

 彼女というのは、パイザ・インダストリィの新プロジェクトの立ち上げのきっかけとなった、イリスのことだ。オックスフォードの准教授である彼女が持ち込んだ理論が新プロジェクト発足の直接の要因だった。確かにアキラは彼女の理論を誰よりも速く理解した。しかし理解しただけだ。理解ならば研究員の誰だって可能なことだろう。問題はやり遂げられるか、ということだ。この巨大で難解なプロジェクトを遂行しきるためには、時間を経けて積み重ねられた経験が必要不可欠だと思ったのだ。アキラには圧倒的に経験が少ない。これまでチームの片隅で、雑用とも言える仕事を淡々とこなしていただけなのだ。きっとすぐにプロジェクトの重さに押し潰されてしまうだろう。純粋に輝く未来を想像することはその時点でのアキラには不可能なことだった。

 大森はアキラがプロジェクトから退くことに認可を出さなかった。僕では決められない、イリスの認可がないと、と大森は首を振りながら言った。だからその想いを直接、アキラはイリスにぶつけようと思った。機会はすぐに来た。プロジェクトの成功を願ってと、彼女から夕食の誘いを受けたのだ。錦景市駅前、トリケラトプスのオブジェの前でアキラはイリスと待ち合わせた。

 仕事の終わりだったから、アキラは白いブラウスに、ベージュのスカートという地味な装いだった。一方イリスは、フリルとスパンコールが過剰気味の派手な紫色のドレスに身を包んで現れた。彼女の長いブロンドの髪は紫のドレスに映える。英国のお嬢さんだ。いや、お嬢さん、と言うよりもお姫様と言う方がしっくりくる。イリスはアキラとほとんど年齢が変わらないけれど、顔付きは幼く、背は小さい。おそらく高校生、いや、中学生と言っても通じるのではないだろうか。

 錦景ターゲットビルの最上階にあるイタリアンレストランで、二人は食事をした。夜の錦景のパノラマの傍、テーブルクロスの上にキャンドルが灯るという、そういう演出のレストランだった。ここではかえってアキラの地味な装いが目立っていた。そのせいか、イリスとの乾杯が恥ずかしかった。

 イリスはワインを飲みながら、流暢な日本語でアキラに様々なことを話した。それは研究と関係があるものもあれば、全く関係のないものもあった。シャーロック・ホームズとストロークスとマンチェスター・シティと、それからベンヤミンとサイードとシャレド・ダイアモンドの話がごちゃ混ぜになっていた。イリスと話をするのは面白かった。イリスと話していると、なんだか脳ミソが冴えるようだった。プロジェクトのことを忘れるほど、楽しかった夜だった。

 その夜の最後に彼女は言った。

「一緒にこの世界を変えよう」

 テーブルの上に置かれていたアキラの手に、イリスは小さな手を乗せ、そして真っ直ぐに見つめてきた。

 イリスの瞳は、彼女の紫色のドレスよりも、キャンドルの揺らめく炎よりも、そしてここから見える夜の錦景よりもずっと、煌めいて見えた。

 ええ。

 確かに。

 このプロジェクトが成功すれば世界は変わるだろう。

 パラダイムシフト、という表現では満たされない過度の変化。

 そういうものが来る。

 未来がある。

「きっと素敵だわ、」と彼女は言葉を続けた。ミュージカルの台詞のようだと思った。「きっと、気に入るわよ」

「昔から私ね、」アキラは歯切れよく言う。「何事も自分の目で見て確かめないと気が済まない質なの」

「それは素晴らしい才能だわ」

 イリスを両手を軽く広げて、綺麗に微笑んだ。

 その夜から間もなく、アキラをリーダにプロジェクトは始まった。

 スクリュウ・プロジェクト。

 それは春に軌道に乗った。

 そして。

 梅雨に虹色の晴天の下で。

 イリスは告白した。

 スクリュウには重大な欠陥があると。

 しかしイリスはそれは欠陥だと言ったのだけれどしかし。

 アキラはそれを信じてはいなかった。

 アキラが自分の告白を信じないことも、イリスの想定内だろう。

 そしておそらくこの梅雨の告白は、全体性を獲得するために、歯車を歯車に近づけるために、予定されていたシナリオ。

 全ては彼女の脚本通りに進んでいるのだろう。

 イリスの綺麗な顔を見て、アキラはそれを確信した。

 全てはそう。

 巻き込むために。

 巻き込んで。

 収束して。

 そこからの炸裂へと。

 つまり。

 ヌクリア・オブ・コレクチブ・ロウテイション。

 そのためならば仮面を被り、ワルツを踊る道化となろう。

 仮面舞踏会の始まりね。

 息苦しくても踊るわ。

 変化とはきっと、そういうものよね。



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