うがい
うがいの季節である。
毎年うがいを見物に観光客が集まるこの時季だが、今年は特に人出が多い。頻繁なうがいが病魔を退散させるという噂が広がって、ご利益にあやかろうと詰めかけているのだ。
うがいの規模は例年と変わらない。そもそもは行事でも何でもない、日々の生業の一つであったのだから、当然であるともいえる。人気が出たからといって、おいそれと規模や回数を増やせるものでもない。地元振興のためにも、注目されることはよいことだ。だがそれはあくまで、日常の延長であってほしいと、そこで働く者たちは思っている。
観光客たちはそれが不満だ。ただの観光とは違う。実際的な利益を求めてやってきたのだ。そうでなければわざわざ、こんなところまで足を運ぶものか。無駄足をしたくない。損をしたくない。そんな思いが強く出て、怒りっぽく、高圧的になっている。従事する者たちに向かって、増やせ、今すぐ増やせと文句を言い募るものまでいる。
付近の土産物屋で売られていた病魔退散のお守りは、噂が広まる少し前から売り切れ、品薄の状態が続いている。どうしてか以前より、噂が広まることを知っていた者たちがいたのだ。その者たちはお守りを一人でいくつも買い漁り、別の地域やインターネットで高額で売りさばいているのだという。
今も土産物屋の前で、人々が大声で店員を怒鳴りつけている。確定したものではなく、本当に効果があるのかどうか定かではないと訴えても、聞く耳を持たない。そもそも、それを判断する冷静さを持っていないから、こうして詰め寄せて、平気で怒鳴ったりできるのだ。自分が病にかからなければ、他人がどうなろうと知ったことではないのだ。それはもう、別の病に冒されているといえなくもない。
一部が川に侵入し、勝手にうがいをはじめる。良識ある者たちが押しとどめても、聞く耳を持たない。侵入者は一人二人と増えてゆき、決壊し、川という川に押し寄せる。
がらがら、ごろごろと音を立て、川は泡立ってゆく。上流から茶色く濁った液体が流され、色を変えてゆく。
人々は笑顔になる。これでもう安心だと、何の根拠もないままに、一人合点で安堵する。
己の気持ちを満たし、病が癒されたような清々しい表情で、人々は帰ってゆく。あとには荒らされた土地と川と、地元の人々たちだけが残されている。
彼らは顧みない。新たな噂が広まる。彼らは別の場所に群がる。別の地域で。別の土地で。騒動はまた、繰り返される。
病が根絶される日は来ない。
(完)




