ミンミン暁を覚えず
セミの鳴き声が止んだ。秋がやってきたのだ。
秋が訪れると、急激に眠気が増える。これまでは寝苦しくて夜中に起きてしまったり、暑さに耐えられずに早く起きてしまったりと、何かと睡眠時間が短くなっていた。が、気温がちょっと下がって、吹き込む風がさわやかに気持ちよく感じられるようになった途端、身体はこれまでのぶんを取り返すかのように睡眠を欲するようになる。朝はなかなか起きづらくなり、日中もついうとうととしてしまう。昼食後が特にまずい。
それで近ごろは、セミを狩り集めることが流行っている。温暖化が進んで四季の境目がわからなくなったことで、秋口までセミが生き残っていることが多くなった。いや大抵は文字通り地下に潜伏しているだけで死んだわけではないのだろうが、ともかく秋になっても成虫を見かける機会が増えたのだ。
なのでまだまだこの季節にも元気なセミたちを傍らに置き、その鳴き声で眠気と初秋の気分を吹き飛ばそうというのだ。
耳にしたときには何を馬鹿なと思ったものだが、これが意外に効果があるらしく、老若男女が生き残りのセミを求めて、公園や里山を徘徊しているらしい。タピオカのときといい、世の中本当に何が流行るのだかわからない。
はじめに耳にしたきり気にしてはいなかったのだが、ついに私の職場にもセミを入れた虫かごを持ち込む人が現れた。はじめは鳴き声がうるさいし敬遠していたのだけれど、これが確かに、意外と効果がある。お昼過ぎの眠気が払しょくできるし、その鳴き声がまだ夏であるのだと自分自身を錯覚させる。聴覚と刷り込みというのは、なかなか馬鹿にできないのだと知った。
セミの鳴き声が録音されたスピーカーや目覚まし時計も発売された。一部の機関では、セミの寿命を延長させる実験が本格化したのだという。来年にまた流行るという保証もないのにやりすぎじゃないかと思ったが、近ごろはこういった極端化が著しいようにも思う。社会のスピードがいや増したから、乗り遅れないためにはすぐさま飛びつく必要があるのだ。
多くのセミは長い時間をかけてゆっくり成長するという。そのセミをこういった形で利用するというのは皮肉な感じもする。
むしろ朝寝過ごしてもいいような。昼食後に居眠りしてしまってもいいような。そういう世の中にしてしまえばいいんじゃなかろうか。
眠気でうつらうつらしながらそんなことを考えている。気が付けば、二つ隣の机に置いてあった虫かごからの鳴き声が止んでいる。セミの寿命が尽きたのだろう。
夏の過ぎ去りと同時に、私の眠気は強くなる。顔を上げていられなくなる。もうだめだ、おやすみなさい。
秋がやってきたのだ。
(完)




