VR御伽噺ウサギとカメ
カメはウサギに追いつきたいと思っている。
ほらほら、捕まえてごらんなさい。そうやって囃したてるようにして、ウサギは軽やかに逃げる。
カメはその後ろをゆっくりと追いかける。そうは見えても、これでも急いでいるのだ。
狭い島国、そんなに急いでどこへ行くのだと仲間たちが言う。狭いのだろうか。はたしてそれは真なのだろうか。カメは問い返す。
ウサギにとってはそうだろう。狭くて、狭すぎて。こうしてカメを揶揄うでもしなければ、生きてゆけないほどの閉塞感なのだろう。
だが、我々にとっては、どうか。あの眼下に見える岩から。あの頭上に見える一本の大木まで。
そこに到達するだけでも、一生を賭すだけの仕事なのではなかろうか。
もちろんそこへとたどり着いたとき、ウサギはもっと先へ、もっと遠くへと行っているだろう。行っていればいい。
だがもしも、ただ何事もなくカメが追いつき。さらには追い越してしまったならば。
それはそれはとてつもなく、深刻な事態だろう。
そのようなことは御伽噺だと仲間たちは言う。そうは思わないとカメは答える。
重要なのは想像力だ。想像力は、ときに現実の距離を埋める。ヴァーチャルリアリティというものをご存知か諸君。カメは講義を始める。
知っている。だが我々カメが今以上に加速することは困難だろう。一匹が言う。
困難ではあるが不可能ではない。現に、何倍もの加速がみられる分野を私は知っている。なんだそれは。本当か先生。
ああ。それはエロだ。エロが絡めば、我々は通常の三倍どころか何倍でも加速できる。大人のクロスカントリーだって容易いだろう。
すべてのカメたちが鱗を落とした。
そもそも考えてみてほしい。追いかける我々はカメで、逃げる彼女たちはウサギちゃんだ。つまりバニーだ。プレイメイトの制服だ。これはつまり、何らかの暗喩であるとは考えられないだろうか。
なるほど。本当は怖いXXとか、本当はエロいXXとかいう類の書籍や雑誌が好みそうな話題だ。だが然り。理にはかなっている。
つまり我々が彼女たちに追いつき、あまつさえ合体するためにはだな。おい合体とか言うな。シモネタこそ上品かつエレガントにが我々の身上だろう。そうだタイマイにしておけ。
ウサギたちをそっちのけで輪をつくり、カメたちは議論をはじめる。
はじめはいぶかしく思いながらも無視していたウサギたちだが、追っかけっこはいつまでたっても再開される気配がない。
気にせず駆け続ければよかった。カメたちのことなんて気にせず、先へ先へと進み続ければよかった。
時々休んでもよかっただろう。たった一日寝過ごした程度で、カメがウサギに追いつくわけがない。それこそはまさに、御伽噺のたまものだ。
ならばウサギが追いつき、追い抜かれた原因は一つ。彼女たちは休んで足を止めたばかりではない。きっと、後退してしまったのだ。
誇りが傲慢に取って代わり。あれはダメ、これはダメと自分自身に色んな制限を課し続けて。そうして彼女たちの生きる世界は窮屈になって。
だから次はヴァーチャルな世界? でもそれが浸透して、認知もされて、そこにも規制が滑り込んできたら? それで今度はいったい、どこに逃げるの?
暇で暇で仕方がなくなり、そんな問答を自分の中で繰り返して。
ついにはしびれを切らして戻ってきた、そんな哀れなウサギちゃんは……。
(完)




