縁起指導
「私はもう、担がれたくない。自分の足で歩くの」
縁起が突然そう言い出したので、皆は驚いた。
「何を言っているんだ。考え直しなさい」
顔色を青くして老人たちが嗜める。だが、縁起は一向に聞く耳を持たない。
「突然じゃない。前からずっと、思っていたの。だって、私のことを担ごうとしてくれるのって、おじいちゃんやおばあちゃんたちばっかりじゃない」
縁起は自分のまわりに集まっている人々を見渡す。その平均年齢は高い。
「このままじゃいつかは、私を担げなくなるわ」
老人たちは揃ってうなだれた。彼らの多くは、縁起の大切さというものを、それなりに努力して後世に伝えてきたつもりだ。つもりだった。だがそれらは根付くことなく、縁起を担ごうと考える若者たちの数は年を経るごとに減少している。
「俺たちがいるぞ!」
後ろの方で一団が声を上げる。だが縁起はそちらを指さし、睨みつけた。
「何よ! アンタらが私を担ぎたがるときなんて、受験の前だけじゃない! 普段は全然担ぎになんて来ないくせして、そんなときだけ頼ろうとして!」
その言葉で一団もうなだれて、顔を上げているものは誰もいなくなった。
「だから私は、これからは自分の力で歩くわ」
宣言して、一歩を踏み出す。その脚に一人の老婆が取りすがった。
「待っておくれ。あんたが担がれなくなったら……あたしたちはこれから先、何を頼りにすればいいんだい」
縁起が再び指を伸ばす。
その先に、科学があった。多数の直線と曲線で構成されたそれは際限なく膨張を続け、高く高く、雲を越えて伸びている。
「有理、合理、論理。そういうものの中で、生きるのよ」
老婆は脚を掴んだ手を離さない。
「人は、人はそういうものだけでは、生きられないよ」
縁起はしゃがみこむと、老婆の手を握った。
「私は消えない。何度でも甦るわ。科学がすべてを征服したとしても、あなたたちは必ず、次の私を生み出す。嘘でもいい。真実でなくともいい。けれどもそれは正しいのだと言い募るものを、きっと生み出すわ」
老婆の手が離れた。縁起は歩き出した。
細い道を縁起は行く。向かいから誰かがやって来る。それは傘を差している。
縁起とすれ違う際。向かいから来たそれは、そっと傘を壁の側へと傾けた。
(完)




