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ペンギン High Yeah!

 波打ちよせる砂浜に、一羽のペンギンが佇んでいた。

 ペンギンは海を見ていた。波はうねり、高く低く形を変えながら留まることなく、打ちよせ、引いていく。それを見ながら考えていた。

 どれほど歩き続けねばならないのか。男と呼ばれるために、どれほど孤独に耐えねばならないのか。どうして、争いはなくならないのか。

 答えはいつでも決まっている。風の中を、ただ舞っているだけ。それだけだ。

 羽馴染みのペンギンであるアデリーが、浜の上をよちよちと歩いて隣までやってきた。後ろに、孵ったばかりの子どもたちを連れている。

「また女房に追い出されたのか、フンボルト」

 フンボルトと呼ばれたペンギンは、くちばしをしかめた。

「ちょっと喧嘩しただけだ」

「マウント取られて三十発殴られんのが喧嘩っていえるのならな」

「時間切れでドローだ。あれは」

 答えは風の中を探すまでもなく、腫れあがった顔面が示していた。

「今度は何やったんだ」

 膨らんだ顔がアデリーの方を向いた。

「……三回目の浮気くらい、大目に見てくれていいよな?」

「両鰭をついて謝ったって、許してもらえんだろうな」

 よく三十発で済んだものだと思った。

「で、何だよ、こんなところまで」

 アデリーが頷いた。

「ところでこいつを見てくれ。こいつをどう思う」

 後ろに並んでいる子どもたちのうち、最後尾の一羽を鰭でぺしぺし叩いて、前まで連れてきた。

「こいつは」

 目を見張る。何の変哲もない、灰色の産毛に包まれた子ペンギンである。だが、一か所だけが、他の子どもたちと明らかに違っていた。

 ペンギンたちの特徴である、二つの大きな鰭。その鰭があるべき部分に羽毛に包まれた細い腕が突き出て、その先は、五本に枝分かれしていた。

「こいつは……神の手だ。ゴッドハンドだ」

「知っているのかフンボルト」

 フンボルトが重々しく頷く。

「神話は覚えているか、アデリー」

「いや。うちの両親は、そういうのが苦手でな」

「そうだったな」

 フンボルトは話し始めた。

 その昔、世界はニンゲンという名の神々が支配していた。ニンゲンは火を操る力、海の上を走る力、空を飛ぶ力、お肌に潤いを与えて十歳若く見せる力、寄せて上げることでないものをあるように見せる力、その他様々な超常の力を持ち、他の生き物たちの上に君臨していた。

 だが、長き神々たちの支配にも、終焉が訪れた。あるとき、メス神の胸から、奇妙なものが生えたのだ。

 それは、白と藍色に彩られていた。黄色いくちばしを持ち、発達した一対の鰭を持っていた。

 そう。メス神の胸から生えたのは、ペンギンだったのだ。

 世をはかなんだメス神はしばらくして、失意のうちに命を落とした。だが、胸から生えた二羽のペンギンは、宿主が死んだあとも生き続け、ついに神の肉体を完全に吸収し、己のものとしたのだ。

 神の力を手に入れた二羽は、神の住まいし地で暴れ始めた。強靭な鰭で神殿を打ち壊し、田園を蹂躙し、東京タワーを倒壊させ、原発でエネルギーを充填した。

 神々は天の雷や炎の槍を持ち出し、ペンギンを攻撃した。だが、神の力を宿した羽毛はすべての攻撃を吸収し、それにより習得した放射能火炎でもって神の軍勢をなぎ払った。

 神々は滅びた。そして、ペンギンだけが残った。

 そうして今。地上と海中は、アデリーやフンボルトたちペンギンの天下となっている。ただ空だけは、彼らの同胞のために残されている。飛べないことだけが、彼らペンギンの唯一の欠点だった。

「つまりこの手は、その昔の神々が持っていたものだというのか」

「そうだ」

 二羽が末っ子を見つめる。何やらわからず、末っ子は首をかしげている。

「だが鰭がなくては、泳げないだろう」

「その代わり、他のことができるかもしれない。この子はそういう子になる。そんな気がする」

 話題になっている当の本人は、退屈そうな表情で、その手でぼりぼりと胸を掻いていた。


 変化はすぐに訪れた。

「シュレーターが」

 フンボルトのもとにアデリーがやってきた。シュレーターは、例の末っ子に付けられた名だ。

「何があった」

「いいから、来てくれ」

 アデリーが波間に消える。フンボルトもあとを追い、飛び込んだ。

 まだ生きているのか、とフンボルトは思った。

 シュレーターは泳げない。いや、泳ぐことはできるが、他の子どもらと同じように早く泳いだり、器用に旋回することができない。それは、彼らの感覚からすれば泳げないに等しいことだった。

 普通の鰭を持った子でも、ごくまれに上手く泳ぐことができないものがいる。そういうものは長じるにつれ餌を与えられなくなり、また自身でも獲物を捕ることができず、飢え、死滅してゆく。それが摂理だった。

 シュレーターもおそらくそうなるだろう、とフンボルトは予想していた。

「何だあれは」

 鰓で指し示してフンボルトが言う。示した先に件のシュレーターがいた。

「モリ、だそうだ」

 長い柄の先に尖った石のようなものが取り付けられている。それを片手に握って、シュレーターは海に潜る。毛色が変わりつつあるシュレーターは、成長してからもやはり早く泳げないし、旋回もできない。その代わりに、手に持ったモリで遠くのダゴンやディープワンズを突き、捕らえる。見事な狩りだった。

 フンボルトは考えを改めた。

「生き残るぞ、あいつは」

 それを聞いたアデリーは複雑な表情を見せた。

「それがいいことなのかどうか、俺にはわからん。俺はあの、モリというものが怖くて仕方ないんだ」


「シュレーターが」

 またアデリーがやってきた。慌てる友人を落ちつかせ、二羽で巣へ向かう。

 浜辺で、シュレーターが何やら作業をしていた。

 何か縄のようなものを引っ張っている。ゆっくりと、だが着実に引き寄せられていった縄の先は、大きな大きな網へと続いていた。

 浜辺を覆いつくす巨大な網が引き上げられる。群れ全員が満腹になるまで食える量の獲物が、網にはかかっていた。

「こいつはすごい」

 フンボルトは素直に賞賛した。だがアデリーは、また渋い顔をしている。

「どうしたんだ。これだけ獲物があれば、誰も飢えなくて済む。素晴らしいことじゃないか。お前の子どもは、救世主だよ」

 アデリーが首を振る。

「わかっている。わかっているよそれは。けれども、俺は恐ろしい。恐ろしいんだ。前にあいつが作ったモリも。この網も」

「どうしてだ」

 フンボルトが聞くと、アデリーはやおら考え込みはじめた。

「わからない。だが、遠い昔、この先によくないことが起こったような気がする。そんな気がするんだ」

 フンボルトには何のことやら、まったくわからなかった。


「シュレーターが」

 毛が生え変わり親離れしたはずの子どもの名を叫んで、アデリーがやってきた。

「今度は何だ」

「いいから、来てくれ」

 バタバタと走るアデリーのあとを渋々追う。

 今やシュレーターは群れの英雄だ。シュレーターが様々なドウグを開発してからというもの、フンボルトたちの群れは誰一人飢えず、誰一人狩りをしなくていい。海へ入るのは身体を湿すときと涼を取りたいときだけ。ダゴンやクトゥルフといった大型海獣に襲われることもない。むしろマキアゲモリやファランクスを用いて彼らを海域から追放することだって可能だった。

 今やペンギンは名実共に世界の王者だった。そして、そんな世界をつくりあげたシュレーターは多くの同胞たちに崇められ、彼らの指導者的存在になりつつある。

 岩場を越え、海へ潜って浜へ向かう。

 浜辺へあがると、大変なことになっていた。

 炎が、高く燃え上がっている。櫓が組まれたその前で、アデリーの末っ子、シュレーターが両手を挙げ、身体を揺らしながら何かを唱えていた。そのうしろには数千羽の信者たちが、同じように身体を揺らしていた。

「あいつは、火を手に入れたんだ」

 燃え盛る業火を見上げ、フンボルトは呟いた。赤々と染まる浜辺を、二羽はいつまでも無言で眺めていた。


 ペンギンは繁栄を極めた。ついに空を飛ぶ力をも手に入れた。遺された聖域を奪い取り、鰭中に収め、すべてを支配していた。

「ペンギンにあらずば生き物にあらず」

 そう言いはじめたのは一体誰だったろう。






「使者が、こいつを寄越してきたぞ」

 アデリーがフンボルトの前に、紙片を放り出した。

 今や器用に動くようになった鰭で取り上げ、開く。予想通りの、降伏勧告文だった。

「父親を自らの手にかけたくはない、か。今さら、よくぞ言いおるものよな」

 火を囲んで車座に、十二羽の老ペンギンが座っている。それらの顔を、フンボルトは見渡した。

「だが、あやつらの思いどおりにさせていては、我らも先の神々と同じ末路を辿る。わかっていような」

 十一の顔が、同時に頷いた。

「では皆のもの、最後の戦と洒落込もうか」

 高分子ブレード、パイルバンカー、タングステンドリル。収束レーザー砲、ブラスターカノン、百二十連装マイクロミサイルランチャー。各々得物を担いで、立ち上がる。フンボルトも傍らの長大なスナイパーライフルを肩に担ぎ上げた。

 老兵たちが次々と砦を後にする。アデリーとフンボルトだけが残った。

「これで、よかったのか?」

 アデリーが肩をごきごき鳴らす。

「いいも悪いもないわい。わしはずっと、あいつが怖かった。だから、止めるに止められんかった。その報いが、これよ」

 片方だけになった目を細め、笑う。

「だがな。歴史を繰り返しては、いかん。それだけは、いかん。それではまるで、我々が何も学ばなかったようではないか」

「現状を見る限り、その通りじゃな。我らは阿呆の集まりよ」

「それでも、足掻かねばならん。繰り返さぬためにな」

 フンボルトも笑みを浮かべる。空いた方の鰭で、アデリーの背を叩いた。

「行くか」

「おうよ」

 出入り口の向こう側から光が漏れている。その光に包まれて。影だけになった二羽のペンギンが少しずつ遠ざかり、消えていった。


(完)


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