谷間産業
小高い丘に挟まれた場所に、そのビルはあった。
四階建ての小さなビルで、二つの店と、一つの事務所が入っている。
一階は、八百屋を兼ねた雑貨店になっている。二つの丘は日があたり、明るく、自然に恵まれた土地だったが、それらに挟まれた土地は薄暗く、いつも強い風が吹いている。当然人々の生活も、育つ作物も、他の場所とは違っていた。
一階の雑貨屋では、谷で採られた作物や、谷の人々がつくった民芸品が売られている。数は少ないが、他では見られないそれらの物品を売ることで、そこそこ繁盛していた。
二階には、映像制作会社が入っている。タニマックスというシリーズで、女性の胸元ばかりを狙った短い映像をつくるのを、おもな生業にしていた。それらは野球中継が早く終わったときや、放映シーズンの谷間に穴埋め的に使われている。大きく儲かるわけではないが、それでもこの制作会社は潰れることなく、細々とこのビルの中で生き残っていた。
三階には「風の谷」という名の夜のお店が入っている。色んな意味で谷間を活用した商売だった。
そのビルに、新たなテナントが入ることになった。「平野興業」という建設事務所だ。
何でも、農地開発事業により右の丘が潰され、平らな農地につくり変えられるのだという。平野興業は、その工事のために谷に事務所を構えたのだ。
いち早くそのことを知ったビルの店子たちは、驚き、それから谷に住む者たちに、その事実を知らせて回った。
多くのものが驚き、頭を抱えた。
谷間の土地は、豊かではない。だが、豊かではないなりに、その土地を活かした生業が成り立っていた。彼らは、そこが谷であることを利用して、今日まで生きてきたのだ。
丘がなくなってしまえば、そこはもう、谷ではなくなる。そこに住む者たちは、今までとは違う生き方を見つけなければならなかった。
反対運動が持ち上がった。
住民たちが右の丘を取り囲み、非難の声を上げる。外からやってきた政府関係者や不動産関係者が追い払われた。
ビルにも多くの住民が詰めかけた。連日抗議を行い、平野興業を追い出しにかかる。
真っ先に根を上げたのは制作会社だった。三日目には耐えきれず事務所を引き払い、左の丘へと移った。一階の雑貨屋と三階の風俗店も大きな打撃を受けている。だが地元密着型の店でもあるため、容易に引っ越すこともできなかった。
住民たちの声は留まらない。耐えきれず、三階の店が逃げ出した。数日後、一階の雑貨屋も店を閉めた。
ビルには平野興業だけが残った。
これまで平穏に、静かに暮らしていた谷の住民は、運動というものを知らなかった。一度点いた火を、消すすべを知らなかった。運動は加速し、人々の営みは置き去られる。
運動のために谷で生きられなくなった者たちが、ひとり、またひとりと去っていった。谷の人口は、もとの半分まで減っていた。
閑散とした谷間を、強い風が吹きすぎていく。
そんな様子を眺めながら、平野興業の社長は電話していた。
「ええ。我々のような小さな会社はね。こういうやり方しか、できませんから。大手の方々がやられることの間をね。上手く使うようなね。さしずめ、谷間産業とでも申しますか」
(完)




