こわい話
新しい部屋を借りたら幽霊が出た。
白い着物を着た女の幽霊だ。いい機会なので、前から疑問に思っていたことを聞いてみた。
「何でお前たちはみんな揃って貧乳なんだ」
「さいてー! あんたさいてー!」
細い腕で起伏の乏しい胸元を隠しながら、幽霊はドン引いていた。
だが大事なことじゃないかと俺は思う。だって、巨乳の幽霊だったら、出てもまあ、ちょっとくらいは許してやろうかなというかむしろ出てくれたら嬉しいような何ともいえない気持ちにだってなるが、昔の絵でよく見るような貧相な幽霊では到底そんな気は起こらない。
「仕方ないじゃない。あたしらの頃は今のあんたらみたいに、好きなだけ食べられるってわけにはいかなかったんだから。その日その日を生き延びるのに精一杯だったの。貧相でも、仕方がないじゃない」
あたしだって毎日ちゃんとごはんを食べれていればもっとこう、とかぶつぶつ言っているのを無視して、何でこの部屋にいるのか問い詰めた。
「この場所に昔、あたしたちが住んでた長屋があったのよね。で、あたしの部屋があったのがちょうどこの辺りみたい」
「ということは、何か恨みを残して死んだのか」
「まあ生きてる間は恨み言ばかりだったから、そうなのかも」
つまりは自縛霊というやつなのだろう。俺としては貧相な幽霊に居座られても迷惑なので、早々に消えてほしい。
「心当たりはあるのか」
「そうねえ。いっぱいあるけど、どれだろう」
おっぱいあればよかったのに。
「塩って、効くのかな」
「ちょ、ちょっと待った! えっと、そう、あれだ。一番激おこだったのは、父ちゃんがあたしを女郎屋に売り飛ばそうとして、その値段が相場の半額くらいだったのよね。何それふざけんなとか思ったんだけど、父ちゃん「そんなにもらえると思ってなかった。それだけあれば充分だ」とか言い出して、うん、あれはマジムカついた。ちょっとマウントで二十発くらい殴らないと成仏できないわー」
「その父親というのはこれのことか」
俺が押入れの戸を開けると、その隅に縮こまって隠れている中年男の幽霊がいた。
女は無言で中年男を引きずり出すと、蹴倒し、マウントを取ってから、何ともいえない笑顔で拳を振り落とし続けた。三十発くらい。
「あー、すっきりしたー」
「いや、成仏しろよ」
女は晴れ晴れとした顔で畳の上に座り、茶を啜る振りをしている。幽霊なので当然湯飲みは持てないし、茶も飲めない。二人ぶんの茶を飲んでいるのは俺である。
「うーん。これじゃなかったみたいねー」
「他に思い浮かぶことはないのか」
「そうねー。うん。お腹いっぱい食べてみたい。満足するまで」
死因は餓死なのだそうだった。当時は珍しくなかったらしい。
「けれどお前、食えんだろう」
「仏壇的なところにお供えしてもらえれば食べられるよー」
ということなので、引越し用のダンボールで仏壇的な何かをつくって、そこにカレーを供えてみた。
「何これ! こんなの食べたことない!」
「だろうな。つくり過ぎたからちょうどよかった。満足するまで食え」
五皿も食いやがった。
「あー。満足、満足」
「なら、どうして成仏しない」
自分の分のおかわりがなくなって不機嫌な俺は睨みつけた。
「うーん。もう何日かこれが続いたら、満足するかもー」
俺は溜め息をつくと、仕方なく数日の居候を了承してやった。
一週間ほどを、俺はその女の幽霊と過ごした。
痩せ細って今にも死にそうだった、というか現に死んでいるのだが、ともかくその彼女は見る見るうちに血色がよくなり、あちこちに肉がつきはじめた。遠目で、しかも身体が透けていなければ、もう幽霊だとはわからないほどだ。毎日二人ぶんは食っているのだから、当然だ。
「それでどうだ。成仏できそうか」
「うーん。もう結構満足しているはずなのに、成仏できないんだ。なんでだろう」
俺に聞かれても困る。着物から覗く胸元を見る。
「それで、食ったら大きくなったのか」
「そ、そんなすぐに大きくなるわけないでしょ! これから育つのよ!」
世の中には諦めが肝心だということもあることを、俺は知っている。
「ふん。そうよ。どうせあたしは、半額の女よ。わかってるわよ、あたしに魅力がないことくらい!」
泣きそうな顔で、上目遣いで、俺を見つめた。
「あんたとだったら……いいと思ったのに……」
俺は仏壇に己を捧げると、彼女に飛び掛った。
「責任取ってよね」
上気した肌で着物を直す彼女の身体が白く輝いている。成仏するのだ。
「女としての自信を傷つけられたのが、あたしの一番の心残りだったのね……。あなたのおかげで、やっとわかった。これで、成仏できる」
ありがとう、という言葉を残して、彼女は去った。そして俺はBカップ以下に反応したという黒歴史を脳内から消し去った。
一ヶ月後、部屋に帰ると彼女が待っていた。
「できちゃった。てへぺろ☆」
この夏一番のこわい話。
(完)




