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バレンタインズ13(サーティーン)

 暗い部屋だった。黄色みがかった電灯一つだけが部屋の中を照らしている。窓にはブラインドが取り付けられ、それが外部からの光を遮断している。部屋の中には二人の男がいた。お互いの姿は見えるが顔は見えない。そのように調整されているようだった。

「ではもう一度だけ、君の意思を確認しよう。君は……本気で、あの女の胸を揉みしだく勇気があるかね?」

「俺の覚悟に変わりはない。この手にきっと、あの胸を掴んでみせる」

 問われてから男が答えるまでに間はなかった。その速度が、男の決心の固さを表していた。

 もう一人の男が口を開いた。静かに。厳かに。

「……よかろう。君を同志として迎えよう、千里君」

 男が指を鳴らした。ドアが開かれ、二人の男が部屋に入ってくる。一人がライトのスイッチを入れ、もう一人がブラインドを上げた。

 千里の前に、男の顔が露わになった。男は優しげな微笑みを浮かべていた。

「リーダーの江坂だ。今回の作戦、君の活躍に期待している。よろしく、千里君」


 持ち運びに便利な軽量ラジカセからスパイ大作戦のメインテーマが流れている。狭いワゴンの中には三人の男。安物のヘッドセットをつけ、色々なキーやスイッチのついた機材の前に座っている。いったい何度目になるだろう。彼らにとっては見慣れた、あまりに見慣れすぎた光景だった。

 大きく違うのは、最初に集まったときには学生だったメンバーの、その多くが社会人になったことだろう。それと、彼らに対する世間の目だ。

 ここ数年。この地区では女性に対する軽犯罪と性犯罪が相次いでいた。スカートめくり。乳揉み。性器露出。盗聴。覗き。いたずら電話。ストーキング。ときには窃盗という大事件もあったが、盗まれているのはいつも女性下着だった。

 警察の調べで、それらが単独犯ではなく、複数の人物による犯行であると判明した。そして彼らには横の繋がり、つまり一種の犯罪組織的な繋がりがあるのではないか、と警察は考え、地元マスコミもその判断を支持した。

 バレンタインズ。地元マスコミはその軽犯罪組織集団をそう名付け、新聞などでその呼称を使用した。ここ数年二月十四日に連続発生しているチョコレート窃盗事件。それらも同じ一味の仕業であると断定したのだ。

 千里が加わった江坂をリーダーとするこの集団。それこそがまさにそのバレンタインズだった。

 靴二足を履きつぶす地取り捜査の結果、とあるマンションの一室に江坂名義の事務所が入っており、そこがバレンタインズの本部基地であると突き止めた。ある程度の証拠は固められており、踏み込むことは容易だったが、その場合は首謀者の江坂のみの逮捕で終わってしまう可能性が高かった。

 可能であれば一味を一網打尽にしたい。それが上の意向だった。

 考え得る手段は少なかった。経歴に偽装を施し、目立つような形で痴漢行為や下着窃盗を彼らの縄張り内で繰り返した。被害者には豊かな胸の持ち主が多く、手元に集まった女性下着は一番小さなモノでも七十のDだったが、それは単純に実行者の趣味を反映しただけだった。

 そうしているうちに、接触者が現れた。バレンタインズを尊敬リスペクトしている。男にはそう答えた。

 そしてバレンタインの一ヶ月前。千里は組織への潜入に成功したのだった。

「アルファよりチャーリィへ。そちらの準備はどうだ」

「万全だ。いつでもいけるぜ」

 ハンドサインがチャーリィからブラボーへ。ブラボーからもオーケーのサインが返ってくる。全員が、黒や紺、深緑といった目立たない色のスウェットを着込んでいた。集団ならともかく、単独であれば発見されても怪しまれない、それでいて動きやすい格好だ。首からは音楽プレイヤーに偽装したイヤホンマイクがストラップで提げられている。これはメンバーの鶴見がつくったものだ。

「もう一度確認しておく。今回の目標は人目につきやすい場所にある。覆面は部屋への突入前まで身につけないこと。スリーマンセルでの行動になるが、可能な限り同一集団であると見えるような行動は慎むこと」

「田辺は一人でも目立つけどな」

「僻むなよ守口。どこがデカいかの違いだけだろ?」

 メンバー一長身の田辺と小柄な守口が軽口を叩き合う。守口の趣味はいわゆる全裸にコートを羽織った痴漢行為で、その造型と大きさに関しては、メンバー中随一でもあった。

「今回の目標ターゲットは、今までで最も凶暴な女だ。だが、最もゴージャスな女だ。リスクが大きいほど」

「見返りも大きい」

「すべてのバレンタインに鉄槌を。後世の者は我々の活動を呼ぶだろう」

 江坂の言葉が途切れた。今度は、軽口は聞こえなかった。

「血のバレンタイン、と」

 それが合図だった。三国、淀屋、中崎のスリーマンセルが音もなくマンションの入り口に近付く。入り口は高級マンションの例に漏れず電子ロックになっている。三国が素早くキーを叩くと、ドアがスルリと開いた。コードの解析はワゴンで通信を担当している南方の仕事だった。

 わずか十秒で、ブラボーチームがマンション内部へと消えた。

 彼らの手際がプロフェッショナルと呼んで差し支えないことに、千里は舌を巻いた。個々の専門技術だけを見れば、千里が本来所属している組織の専門家よりも上かもしれないとも思った。

「行くぞ、新入り(ルーキー)」

 田辺の声で我に返った。ここで怪しまれてはまずい。今少しは千里も全力で計画を遂行する必要があった。彼ら全員を逮捕するには、現行犯でなくてはならない。

 田辺と守口。そして千里のチャーリィチームはバックアップ。この慎重さと堅実さが、彼らが尻尾を掴ませない最大の理由だ。  最後尾で千里はマンションに踏み込んだ。

「ブラボーよりチャーリィへ。セクシーダイナマイツがお出ましだ。人喰いアザラシは腹ぺこのようだぜ」

 ブラボーから二十秒遅れて目標の八階に到達する。階段を使ったが、突入部隊の誰もが少し呼吸を乱している程度だった。犯罪目的とはいえ、そのためにこれだけ鍛えていることは称賛に値した。

「アンタらが噂の駄目男連盟バレンタインズかい。思ったより本格的じゃないか」

 それは通路の中央に立ち塞がっていた。ハーフと思しき肌と髪の色。肉感的な曲線を描く美脚と美尻。そして何より目を引くのがその胸から突き出た、一般平均を凌駕する質量の双球だった。そしてその推定Xカップの爆乳を覆っているのは、特注と思われる紫のレースブラと、漆黒のスリップドレスだった。

 千里は脳内の人名録を検索する。ザムザぐれ子。朝起きたら乳がアザラシになっていたと豪語する彼女こそが、今回の目標ターゲットだった。

「相変わらず鋭い勘だな、ミス・双海豹ダブルシール

「あんたらがアタシを狙うなら今日しかない。そう思っていたよ」

 江坂の片腕といわれている三国とぐれ子が睨み合い、対峙している。ぐれ子は右肩に釘バットを担ぎ、三国も腰からナイフを抜いていた。

「それにしてもタイミングがよすぎるな。情報源は誰だ?」

「一つ教えてあげようか。アンタの隣にいる中崎クン。実はもう、未使用品チェリーボーイじゃないってさ」

 中崎が三国に飛びかかるのと、淀屋がその中崎の首を掴んで押し倒したのはほぼ同時だった。

「忍び込んだときに……捕まったんだ……。そしてあの女は……俺が大事に守っていたモノを……」

 中崎は涙を流していた。田辺が小さく、バカヤロウと吐き捨てた。同業者の多くがこの女海豹の牙に掛かって半殺しになったり、拘置所送りになったり、女性不信に陥ったりしている。単独で彼女を相手にするのは、彼らの間ではタブーとなっていたし、百戦錬磨のバレンタインズのメンバーでさえ、今までに何度も手痛い打撃を被っていた。中崎も当然、そのことは熟知していた。

 それでも、手を出さずにいられない。そんな魔力を秘めているのだ、あの乳は。

「お前一人に、何人もの仲間がやられた。バレンタインの今日こそは、仕返しをさせて貰う」

「ムカついてんのはあんたたちだけじゃないよクソッタレ。出てきな、みんな」

 ぐれ子が指をぱちんと鳴らす。八階のドアが一斉に開いた。そして各々の部屋からわらわらと。

 それは、女だった。バレンタインズの所業を含む性犯罪や軽犯罪の被害に遭い、怒りや哀しみをその内に溜め込んでいた女性たちだった。手に手にフライパンやゴルフクラブを握り、ゆらゆらと近付いてくる。

「こいつは……危険地帯バイオハザードだな」

「甘いスウィートホームだとでも思ったかい?」

「同じ会社なんでな」

 元ネタがわからなければ検索するか無視すればいいと千里は思った。

 ゾンビの群れが六人を取り囲む。逃げ道は塞がれていた。

「やるしかないようだな。守口」

「おうよ」

 守口がスウェットの前を開く。一瞬で開けるように改造してあった。スウェットの下は全裸だ。女性に囲まれ、すでに膨張状態にあったそれはゾンビたちに混じっていた三分の一の処女と男性嫌いを恐慌状態に陥れた。残りの三分の二は凝視したり目を塞いだ掌の隙間から観察していた。

 淀屋がフライパンやゴルフクラブを回避しながら女性に取り付く。次の瞬間。胸元からスルリとブラを抜き出した。三国も鮮やかなナイフ捌きで襲いかかる女たちの服を切り裂いていく。あちこちで甲高い悲鳴が上がった。千里も身を守るため仕方なく、女性たちの胸を揉みしだく。もちろん仕方なくですよ?

 六人の猛攻に包囲網が破れはじめる。だが、多勢に無勢。田辺が捕まり、引きずり倒される。上から鈍器が雨の如くに振り下ろされる。守口も股間にヒールの爪先を埋められ、床の上で痙攣していた。中崎ははじめから、役に立たない。

 ここまでか、と千里は思った。そのときだ。

「ブラボー、チャーリィ、無事か!」

 エアガンを腰だめにした江坂が平林、九条と共に突撃してくる。戻りが遅いので、加勢に来たのだ。

 女たちの壁が割れる。その奥に立ち塞がるのは、漆黒のスリップドレス。

 不敵な笑みを浮かべて、ぐれ子が手招きした。

「かかってきな、マザーファッカーども。まとめて相手してやるよ」

 江坂がエアガンを乱射する。その左右から平林と九条が襲いかかった。ぐれ子がステップを踏み、旋回する。ドレスの裾が翻り。

 頭部を殴打された二人が腰から崩れ落ちる。エアガンの弾丸はすべて叩き落とされている。制止したぐれ子の、二つの胸だけが盛大に上下に揺れていた。

 三国がナイフを繰り出す。ドレスの胸元を浅く切り裂いた。紫のブラが露わになる。その重量感に一瞬目を盗られた。

 伸びた腕に肘が振り下ろされた。嫌な音が響いた。三国がうめき声を上げ、腕を抱えて床に倒れた。

 目の前に夢にまで見た据え膳が揺れている。だが、残ったメンバーの誰一人として動けなかった。

「どうした? アタシのを揉みたいんじゃなかったのかい?」

 もう揉むだけでは許せなかった。その巨大なブラを取り去り、頭頂部を露わにしてやる。江坂の目がそう語っていた。

 しかしこの化け物相手にいったいどうやって戦うのか。

 勝算が、ひとつだけあった。千里にだけ、あった。

「江坂。私に任せていただけませんか」

「何か策があるのか?」

「少し」

「……わかった。任せよう」

 黒革のオープンフィンガーグローブを填め直す。そうして両手を半開きにし、体勢を低くした。手強いと見て取ったのか、ぐれ子も釘バットを構え直した。

 そのまま睨み合う。お互い一歩も動かない。

 一分ほどが経過した。遠くから音が聞こえてきた。それはサイレン音だった。サイレン音はどんどんとマンションに近付いてくるようだった。

 ぐれ子と江坂がそれに気付いた。意識が逸れた。

 その機を逃さず、千里はぐれ子にタックルを仕掛けた。美脚に取り付く。タックルを切ろうと膝を繰り出す。膝を避けて、千里は背後に回った。そのまま指を。突起に絡めて。

 指の腹にレースの感触を感じた。指先に力を入れる。一瞬だけ、その柔らかな感触を楽しむ。

 そのまま、ブラを上へと引き上げた。男たちの歓声と、彼女の可愛らしい悲鳴が共鳴した。

 サイレンがマンションの真下で止まった。複数の靴音が階段を駆け上ってくる。江坂たちの突撃に合わせて、携帯から本部に連絡を送っていた。その応援が到着したのだ。

 胸を隠して踞っているぐれ子を後ろに残して、逃走経路を探している江坂の前に立ち塞がった。

「公安の千里だ。江坂以下バレンタインズのメンバー。住居不法侵入、婦女暴行、その他諸々の現行犯容疑で逮捕する」


 十一人のメンバーたちが次々とパトカーに詰め込まれた。代表者らしき警官が千里に敬礼を送る。見たことがない顔だった。千里は軽く会釈を返す。

 千里の頬には手形が残っていた。ブラまで捲りあげたのは正直やりすぎた、と思った。だがあの場で、ああする以外に場を収める方法があっただろうか。あったかもしれない。だがあの場では、千里にはそれしか思いつかなかったのだ。

 しかし果たしてそうだろうか。あの世界に二つとない乳を拝んでみたい。触ってみたい。そういう想いがまったくなかったと言い切れるだろうか。むしろそういう想いを抱かない男がこの世に存在するだろうか。それは難しい問題だった。

 それに。と、千里は思った。

 善悪はどうあれ、彼らの個々の技術や心構え、持っていた自負はまさにプロフェッショナルのものだった。千里は彼らの言動に驚き、また共感した。そして、最終的には逮捕することになろうが、その前に本懐は遂げさせてやりたい。そう思ったのだ。

 女性たちには悪いことをした。しかし自分のとった行動を、千里は後悔していなかった。

 千里の思考を断ち切るように、サイレン音が近付いてきた。

 マンションの下にパトカーが三台つけられる。六人の警官が降りてきた。その中に千里の知った顔もあった。

「千里捜査官。バレンタインズのメンバーは?」

 その一言で千里は悟った。やられた。ヤツらは、真の意味でプロフェッショナルだったのだ。


 パトカーに偽装したセダンの中でスパイ大作戦のメインテーマが流れている。その音楽に合わせて、何度もハイタッチが繰り返されていた。運転しているのは森ノ宮で、機嫌よく紫煙を燻らせていた。

「失敗をリカバリするために大切なのは、最悪の事態を想定し、そのための最小限の手を事前に打っておくことだ」

 静かに江坂に語りかけているのは、バレンタインズ最後の男。メンバー最大の知謀を持つ男。

新人ルーキーを信用していなかったわけじゃない。ただ……そういう可能性もあるかもしれない、と考えていただけさ」

 車は軽やかに道路を走ってゆく。景色が後ろに流れていく。画面の上と下が黒く塗りつぶされる。カメラが静かに引いていき、まっすぐな道路が大写しになる。スタッフロールはもうすぐだ。

「ところで蒲生」

 江坂が真面目な顔で口を開いた。

「このシリーズ、いったいいつまで続けるんだ?」

 蒲生が窓から顔を出す。爽やかな風が通り抜けていく。画面はブラックアウト。蒲生の声だけが、客席に響く。

「そいつは色男ブラッドピットに聞いてくれ」


(完)

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