火星SOS
「我らの存在が気付かれつつある」
集落に住む全員が集まり鮨詰め状態になった集会所の壇上で、長老はおもむろに切り出した。
一瞬の静寂のあと、そこかしこでざわざわと話し声が巻き起こった。その様を長老は高みから観察していた。
「静まれ、皆のもの」
制止の声を挙げたのは部族の若長だった。ざわめきが沈静化すると、若長は長老へと向き直った。
「それは人間に……ということですか?」
若長が真剣な面持ちで長老に尋ねる。長老は小さく頭を縦に動かした。
「先日、我らの星に人間の調査船がやってきたことは話したであろう」
全員の視線が長老に集中した。
「その調査船が今日、我らの星に水があったことをつきとめた」
「何と!」
集会所内が再びざわめきに包まれた。群衆の間から若長が一歩進み出、長老に近づく。
「そんなバカな。地表の水は、すべて我々の集落に移したはず。人間たちの技術ではその痕跡さえ見つけられないはずです!」
「人間たちも進化したのじゃよ。それも我々以上にな」
長老の言葉はゆっくりであったが、語調は鋭かった。
「人間は我らの星まで探査船を飛ばす技術を身につけた。地表に水があった痕跡を見つけることくらい、たやすかろう」
「……つまり人間は我ら、マル・デ・タコと同程度の科学技術を身につけたということですか?」
長老は答えなかった。理解力のないものに若長はつとまらない。若長とて答えはわかっているはずだった。
彼らマル・デ・タコ……人間たちがいうところの火星人が、はじめて地球という星と人間という種族の存在を知ったのは三〇〇年ほど前。当時のマル・デ・タコと人間との技術格差は、三〇〇年以上の開きがあった。だがその三〇〇年間、彼らマル・デ・タコが種族として衰退していくのとは裏腹に、人間たちは技術的革新を成し続け、ついにこの火星文明に追いつこうとしているのであった。
「やはりあのとき、消しておくべきであったか……」
ス・ノモノという名の年寄りが、呟いた。この年寄りはその昔、地球で『おりんぴっく』なるものが開催されると聞いて、宇宙船に乗って地球まで観光に出かけたのだった。もちろん自分が人間ではないことは見破られないよう、光学偽装を行っていた。だが、『いぎりす』という国に滞在したときに出会ったウェルズという名の変人は、当時研究していた透明人間発見装置なる機械で光学偽装を看破し、ついに彼の正体を突き止めてしまったのであった。
「あのときあの人間を殺していても、現状は何も変わらなかったと思いますわよ。だってあの人間がしたことといえば、自分の見たものをネタにして小説を一本書いただけですもの」
「ス・ノモノ夫人の意見は正しい」
長老は二本の触手で器用に持っていた杖で地面を叩いた。
「問題は、眼前に迫っている脅威にいかにして対処すべきかということじゃ」
集会所には沈黙が訪れた。この事態をどうやって打開するのか。良案のあるものは一人としていなかった。
「長老」
不意に、集会所の入り口付近にいた少年が、触脚を忙しく回転させて長老の前までやって来た。その触手には黒い箱が抱えられていた。
「おお、これはこれは。ト・ランジスタの大使殿」
少年に抱えられていたのはト・ランジスタ、木星に住んでいる種族の大使であった。ト・ランジスタはその生命情報をデータだけで保持している種族で、物理的には高周波でのみ構成されている。だがそれでは対外的に何かと不便なので、会話と、今そこに存在していることを示すためにこのような金属製の箱に入っているのだった。
「聞きましたぞ。何でも人間が、とうとうこの星まで調査船を飛ばしてきたとか」
「ええ。まったくもって困ったことです」
長老はない眉をしかめた。
「で、何か対策はお採りになったのですかな?」
「それがまだ何もよい案が浮かばず、どうしようかと思案しておるところです」
大使はさもあらんというふうに頷いた、ように見えた。ト・ランジスタの感情は振動の波となって表れるのであるが、これは一部の慣れたものしか捉えることはできなかった。
「そうであろうと思いました。そこで本日は、マル・デ・タコの皆様にこの苦境を脱出するためのアイデアを一つ、持って参りました」
長老と若長、そして彼を抱えていた少年までもが目を見開いた。
「……して、そのアイデアとは」
「なに、大したことではありません。地球に移住するのです」
大使の言葉を聞いたマル・デ・タコたちは息を呑んだ。しばらくそのまま硬直していたが、真っ先に正気を取り戻した若長がすぐさま箱に掴みかかった。
「どんなアイデアかと思い聞いてみれば、バカなことを! 貴様ら、何が目的だ!」
「お、落ち着いてください! よくよく考えた上で出したアイデアです!」
「よく考えた上で出しただと? ト・ランジスタは理知的な種族だと思っていたが……どうやら間違いだったようだな!」
「ではこのまま衰亡してゆくおつもりですか?」
その言葉を聞いた若長は、動きを止めた。
「……どういうことだ?」
「あなたがたマル・デ・タコは種族として衰亡期にある。いや、あなた方だけではない。我々ト・ランジスタとてそうです。それに引き換え、人間はまだまだこれからの種族です。一〇〇年後にどちらの種族が生き残っているか、自明の理と言えましょう」
「だから地球に移住し、人間と共に生きよというのか?」
大使は頷く振動を発した。
「このまま発見されれば、人間とあなた方との間で争いが引き起こされるのは間違いないでしょう。ですが、あなた方が発見される前に地球に移住し、密かに地球上の生命体と混じっていけば、争いを起こさず、地球の命がつきるまでひっそりと生きて行くことができる」
大使の言葉に、反論できるものはいなかった。人間と戦うとなれば、勝利したとしても少なからぬ犠牲が出る。個体数が急激に減少しつつあるマル・デ・タコという種族にとって、それが致命傷となることは疑い得ないことだった。
「……一つだけ教えてくだされ」
長老が若長の隣に進み出た。
「大使殿のご意見、もっともですじゃ。だが、なぜそれを我らに教えてくれるのですかな? 我らにそれを教えて、ト・ランジスタにとっていったい何の得があるので?」
長老の言葉を聞いた大使はしばらく振動を止めていたが、やがて決心したように振動を再開した。
「……実は我々ト・ランジスタも、木星を放棄して地球へ移住しようと計画しております」
大使は語りはじめた。
「人間はこの星まで手を伸ばしてきました。さらに技術が発展すれば、我々の星にも探査船がやってくることは、まず間違いないでしょう。遅かれ早かれ、我々もあなた方と同じ事態に直面することになる。だからこの際は人間と共に生きようと、我々はそう決心したのです」
大使の言葉を、マル・デ・タコたちは驚きの表情で聞いていた。
「しかし、そのようなことが可能なのか?」
若長が尋ねると、大使は自慢げな震動を発した。
「すでに先遣隊を地球に送り込んでおります。あるものはラジオとなって毎日人間に向かって放送を流し、あるものは消防車のサイレンとなって人間の消火活動を助けています。DJやミュージシャンになったものもいます。テレビに出られないのが残念と申しておりましたが、それ以外では楽しく人間と共存しているそうです」
「何と、そこまで……」
長老は呻いた。ト・ランジスタは再び自慢げな振動を発した。
「我々ト・ランジスタは、裏付けなしにこのようなこのようなアイデアを提供したりはいたしません。ですが、我々だけで新天地へ移住するというのは、何とも心許ない。そこでここは一つ、親愛なるマル・デ・タコの皆様にも我々と共に開拓者となっていただきたい。そのように希望する次第です」
静けさを取り戻していた集会所内が、再びざわつきはじめた。大使のアイデアに乗るべきかどうか、あちこちで議論がはじまった。辺境といえども宇宙海賊などの驚異がゼロというわけでもない。もし移住を実行に移すのであれば、できるだけ多数が固まって移動する方が危険が少ないのは事実なのであった。
若長は考えを巡らせていたようだったが、やがて毅然とした表情で大使に向き直り、触脚を折った。
「ト・ランジスタの皆様がそこまで考えておられたとは。先ほどの無礼、ひらにご容赦ください」
「ということは……」
若長は頭を上げ、視線を黒い箱に注いだ。
「我々マル・デ・タコ総員、ト・ランジスタの皆様と共に地球に赴きたいと思います」
「最近、タコが多いっすねぇ」
船に乗って今年で三年目になる権造は、網を引き上げながら漁船長に話しかけた。
「マルデタコだろ。最近ここらでよく揚がるんだよ。結構美味いぞ」
「火星ダコって呼ばれてるらしいっすね。何でなんすか?」
「ああ。外国の何とかって作家が書いた火星人が出てくる小説があってな。そいつの挿し絵で描かれていた火星人にそっくりなんだと」
「へえ。でもこいつ、獲れはじめたの最近だって聞いたんすけど」
「ああ。昔は見たことなかったなあ。ここ二、三年だろ。見られるようになったのは」
「本物の火星人が火星から逃げ出してきたとか、ないっすかね」
「バカ言ってねえで早く網揚げろ。あとがつかえてんだ」
引き上げられた網の中には、たくさんの魚介類に混じってやたらと足の細長いタコが数匹、ぐったりと横たわっていた。
(完)