ちかんあかん
古来より、女人を船に乗せて海に出てはならないという。
なぜならば、女人を乗せた船は海神の怒りを買い、水妖に襲われる羽目に陥るからだ。
長らくの間、船乗りたちはその掟を守ってきた。だが、時は流れ。掟はいつしか忘れ去られ、男女平等を旨とする時代の変化も受けて、女人が海に出ることは珍しくなくなった。
その夜も、京都観光にやってきた女学生たちを乗せて、屋形船が湾内を回遊している。船頭にとってはいつもどおりの一夜だった。
ふと、おかしなことに気付いた。いつの間にやら、周囲を漂っていたはずの同業者たちの姿が、かき消えている。船頭の操る一艘だけが、湾内にぽつんと浮かんでいた。
何やらよくわからんが、まずい、と思ったときだ。
進行方向前方の海面が、持ち上がった。
無音だった世界にいきなり、おどろおどろしい音楽が流れはじめる。それにあわせて、前方の海面がせり上がってくる。
水が割れ、丸い頭が飛び出した。そのままずんずんとせり出してくる。
それは蛸だった。丸い頭の中に、ぎょろりとした二つの目と、飛び出した口がついている。実際にはあれは頭ではなく身体であったはずだし、口に見えるようなのも確か口ではなかったと思ったが、どうでもよかった。
その蛸は巨大であった。すでに頭部のすべてが海面に出ているが、それだけでもう、船の屋根に届かんとしている。
蛸はまだまだせり出している。なぜか、胴体のように見える部分に、トレンチコートを羽織っていた。
トレンチコートから雫を垂らしながら、大蛸は海上に姿を現した。部屋にいた女学生たちが「なになにーどったのー」「なにあれーチョーキモーい」「妖怪が許されるのは明治時代までよねー」とか言いながら出てくる。みな浴衣姿で、いい加減にできあがっている。
蛸が嬉しそうに笑った、ような気がした。
曲の盛り上がりと共に、蛸がコートの前を広げた。
うねうねと動く触手。そしておぞましいものが、女学生たちの前に晒される。
女学生たちは黄色い悲鳴をあげる。だが、長くは続かなかった。
「えwちょwなにこれw」
「かー↑わー→いー→いー↓」
「デカいの顔だけとかwマジありえなw」
蛸の中身を指差しながらけらけらと笑っている。
BGMが止んだ。
大蛸は体色を赤く染めて、コートの前をかき合わせると。
ゆっくりと海の中へ沈み、姿を消した。
(完)