その他多数
その他多数には名前がない。
厳密にいえばあるのだが、それはその他多数にとっては名前ではない。その他多数が求めている名前というのは今持っているそれとはまた別のものだ。
X県のある郡では園田姓が十割を占めるという。親戚遠戚である園田さんも当然多くて、地域ぐるみで家族のような付き合いをしているのだという。一つの郡が一つの大家族で、彼らの名前が全員園田。つまりこれは園田多数である。園田限りともいう。
だがその他多数が求めているのはそんなものではなかったし、その場限りのものでもなかった。
自分は一個の存在なんだという証明。それがなければ、生きていくことはつらい。生きていくことは苦しい。その他多数がまだ生きているのは、名前を得たいという目的があり、そこへの道筋がまだ残っていると信じているからだ。その光明を失ったとき、彼らが世界にいるのかどうか。それは誰にもわからない。
彼らは名前を手に入れようと藻掻き、足掻き、精一杯に手を伸ばす。しかしもう少しで掴めそうだというその指先から、名前は容易に逃げてしまう。ソノッ、タタ、スーッと逃げてしまう。
だから、その他多数には名前がない。今日も明日も、名前がない。
(完)