悪役令嬢は、最後まで悪役令嬢
夜会でお会いした婚約者のお二人——ルドルフ・アーレンスベルク公爵令息とエレオノーラ・ヴァルテンベルク伯爵令嬢はとても幸せそうに見えた。
——うん、とても気に食わないわね。
ルドルフ様は見るからに完璧な方で、整った顔立ちに隙のない夜会服で、振る舞いも上流貴族そのものだ。一方のエレオノーラ様は落ち着いた雰囲気の美人だった。落ち着いた……というよりは大人しい、と言ったほうが正しいかもしれないけれど。
特にルドルフ様は社交界でも憧れの的だったし、エレオノーラ様のお美しさも、並の貴族令嬢では太刀打ちできないほどだ。
——お似合いなのが、ますます気に食わないわ。可愛げがないのよね。
「お似合いのお二人ですね」
他の貴族たちも、笑顔でお二人にそう言葉をかける。
「ありがとう。エレオノーラが僕を引き立ててくれるのでね」
ルドルフ様が答えた。
エレオノーラ様は曖昧に微笑んだ。
——ルドルフ様を立てるのではなく、引き立てる?
「こんなにお美しいエレオノーラ様でも、ルドルフ様の前では引き立て役にしかならないのですね」
私が前に進み出て尋ねた。
「エレオノーラは確かに美しい。引き立てる、というのは少し言い過ぎたかもしれないね。彼女には、僕の婚約者に相応しい美しさがあると言いたかったのだ」
「ですが、ルドルフ様と比べてしまうと……エレオノーラ様のお美しさも……」
それを聞いたルドルフ様は得意げな顔をした。
「まあ、そう言うな。エレオノーラは控えめで僕を立てようとしているのだ」
「あら、エレオノーラ様を立てようとされているのは、ルドルフ様のほうに聞こえますわ。ルドルフ様は人格者でもいらっしゃいますね」
そう言って私は羨望の眼差しをルドルフ様に向けた。
「よく気づくご令嬢だね。君は……」
「ヴィクトリア・ハルテンブルクでございます」
私が名乗ると、ルドルフ様は少し考え込んだ。
「ハルテンブルク……子爵家か」
ルドルフ様が値踏みするように私を見た。
自分より明らかに低い身分で、優越感を感じただろうか。
「私もエレオノーラ様のように、従順で、すてきな女性になれるよう努力したいと思いますわ。ルドルフ様のようにすてきな方に目をかけていただけるように」
私は媚びるような微笑みを浮かべた。男なら誰でも気になる仕草だろう。
案の定、ルドルフ様が、もの欲しそうな目をした。
エレオノーラ様とは違う種類だけれど、私も外見には自信がある。美しいというよりも愛らしく、男性には好かれやすい。それこそ、エレオノーラ様のような、ただ美しいだけの方よりも。
「ヴィクトリア嬢、気に入った。もし何か欲しいものがあれば言うといい」
「本当ですか!?」
私は心底嬉しいというように飛び上がって喜んで見せた。
「ああ……もちろんだ」
遠慮するとでも思ったのか、ルドルフ様は少し怯んだ様子だったけれど、もう後には引けないでしょう。
「では、耳飾りをお願いできますか? できればちょっとした宝石もついていると嬉しいですわ」
「耳飾りくらいならよいだろう。エレオノーラ、手配しておくのだ」
「できれば、ルドルフ様に選んでいただけると嬉しいのですけれど……」
「そうか……ではヴィクトリア嬢のためによいものを選ぶとしよう。よいな、エレオノーラ」
——ふふふ。思った以上に扱いやすい公爵令息だわ。
エレオノーラ様は終始うつむいて、何かに耐えるように黙っていたのだけれど、ついに口を開いた。
「……はい」
※
夜会から数日すると、ハルテンブルク子爵邸に、耳飾りが届けられた。
耳飾りには宝石があしらわれており、決して安いものではなさそうだった。
——ずいぶん早かったわね。よほど私のことが気に入ったみたい。
そうとなれば、私も労は惜しまない。
さっそく耳飾りをつけて、出かけることにした。
もちろん、行き先はアーレンスベルク公爵邸——ルドルフ様のところだ。
子爵家の馬車をアーレンスベルク公爵邸の前につけて、門番に告げた。
「ヴィクトリアが耳飾りのお礼に参りましたと、ルドルフ様にお伝えいただけますか?」
門番はまもなく戻ってきて、公爵邸の門を開けた。
「よく来てくれたね、ヴィクトリア」
ルドルフ様は、約束もなしに突然やってきた私を、笑顔で迎え入れてくれた。
「ルドルフ様、突然押しかけて申し訳ございません。どうしてもお礼が言いたくて。それに、これを見ていただきたかったので……」
私は顔を横に向けて、耳飾りを見せた。
「よく似合っているではないか」
ルドルフ様が満足そうに微笑んだ。
「本当ですか? お世辞でも嬉しいです」
私は顔を赤らめて喜んだ。
私くらいになると、頬を赤らめるくらいは造作もない。
「お世辞などではない。本当によく似合っている。せっかく来てくれたのだ。お茶でも飲んでゆっくりしていくとよい」
ルドルフ様は庭園のお茶の席に案内をしてくださった。
「ルドルフ様は本当にすてきな方ですわ。縁もゆかりもない私に耳飾りをくださったり、お茶にまで案内してくださるなんて」
「誰にでもするわけではない。君にはその価値があると思ったからだ」
婚約者がいるというのに、他の女性に高価な贈り物をしたり、二人きりでお茶に誘うなんて……悪い方だわ。嬉しくなっちゃう。
「私が特別だということですか?」
「ああ。ヴィクトリア。君には何か特別なものを感じるのだ」
「それは……エレオノーラ様と比べて、ということですか?」
私は遠慮しているように、けれど媚びるようにそう尋ねた。
「エレオノーラか……。実は、以前からずっと悩んでいてな。周囲は僕とエレオノーラがお似合いだと言うのだが、エレオノーラと結婚することが本当に正しいのかわからないのだ。他人からは見えないものが、僕たちの間にあるのだ」
ルドルフ様はそう言った。
「何か……お悩みでもあるのですか?」
私が尋ねると、ルドルフ様がため息をついた。
「エレオノーラを責めるつもりなどない。美しく、控えめで、従順で、文句の言いようもない。だが、それだけなのだ。エレオノーラといても、心の高鳴りがないのだ。エレオノーラを愛しているか、と聞かれて、はっきり愛していると答えるのは……難しい」
「かわいそうなルドルフ様……」
「……ありがとう。同情してくれるか」
「もちろんです。こんなにお優しくご立派なルドルフ様が、愛のない結婚で、一生を過ごさなければならないなんて。公爵家のご子息という大きな責任もある上に、お辛い道を歩まなければならないなんて、あんまりです」
「ヴィクトリア、君は僕の気持ちを本当によく理解してくれるのだな……。僕が誰かにこんな話をするのは初めてだ」
「私は……『特別』なのですね。とても嬉しいです」
私ははにかんだように小さく笑みを浮かべて、ルドルフ様に視線を送った。
ルドルフ様もまっすぐに、真剣に私の目を見つめ返す。
「……決めた。君に出会ったおかげで、僕がずっと抱いていた違和感の正体がわかった。次の夜会で、僕は大きな決断をしようと思う。ヴィクトリア、僕と一緒に、夜会に行ってくれるか?」
「エレオノーラ様はよいのですか?」
ルドルフ様は強く頷いた。
「ああ。よい」
あら。よいのですね。
お顔は賢そうに見えるのに、あまり深くも考えないのね。ご本人は真剣に考えたつもりみたいですけれど。
ルドルフ様に限らないわね。特にプライドの高い上級貴族の男性って、持ち上げるとすぐに舞い上がっちゃって……。笑えるわ。
※
「エレオノーラ、おまえとは婚約を破棄させてもらおう」
夜会で周囲に多くの貴族の方々に囲まれる中、ルドルフ様はエレオノーラ様に告げた。
周囲は騒然とした。「あの理想的なお二人に何があったの?」「まさかあの子爵令嬢がルドルフ様を……」などと声が聞こえた。
私は隣でルドルフ様の腕を掴んで、憐れむようにエレオノーラ様を見ていた。皆、そういうことなのだと思っているだろう。
「……どういうことですか?」
エレオノーラ様は呆然とした様子で尋ねた。
「わかっているだろう? おまえもこの婚約が不毛なものだということを」
「私の何が悪かったのですか?」
「わからんのか?」
ルドルフ様が大きくため息をついた。
「おまえはただ美しいだけの女だ。可愛げがあるわけでもなければ、賢いわけでもない。何より僕の気持ちを理解しない。そんな女と結婚はできない」
「ヴァルテンベルク伯爵家は財政的に傾いているそうですしね」
私もルドルフ様の背を押すべく加勢した。
「そうなのか?」
ルドルフ様が驚いて私に尋ねた。
「皆、噂しておりますよ。……ルドルフ様が婚約されているエレオノーラ様のおうちのことなので、気をつかって誰もお耳に入れないようにしているかもしれませんが」
私は深刻な顔をして答えた。
「よく教えてくれた、ヴィクトリア。本当に君は役に立つな。ますますエレオノーラとの婚約を破棄してよかったと思う」
「ええ、本当にそう思いますわ」
私は深く頷いた。
「私は……一生懸命ルドルフ様に尽くしてきたつもりです。……私だけではありません。伯爵家としても精一杯やってきたのです。それこそ家が傾きかけるまで……。それなのに、婚約を破棄されるのですね」
エレオノーラ様が抵抗するように言葉を連ねた。
「まるで僕が伯爵家を潰すような言い方ではないか。何の言いがかりだ。まあいい。どのみちおまえとは終わりだ。たとえ伯爵家が潰れかけているのであろうと、公爵家がおまえの家に関知することはない」
そう言い捨てて、ルドルフ様が私に視線を向けた。
「晴れて僕は自由の身だ」
「おめでとうございます。ルドルフ様」
私は笑顔でルドルフ様を祝福した。
「ありがとう、ヴィクトリア。すべて君のおかげだ。君のおかげで僕は正しい人生を歩むことができるのだ。改めて、君に婚約を申し込みたい」
私は笑顔のまま、沈黙した。
「……ヴィクトリア?」
「申し訳ございません。今、何を仰ったのかよくわからなくて……」
「そうか、公爵家の者が子爵家の令嬢に婚約を申し込むなどほとんど例がないから驚いたか。僕は君と婚約しようと言っているのだ。君を……愛している。身分差など愛で乗り越えられる」
私はまた少し沈黙してから口を開いた。
「……はい? 何を仰っているのですか?」
「え? いや、だから僕はエレオノーラとの婚約を破棄して、ヴィクトリア、君と婚約をしてやろうと言っているのだ」
「ああ、そうですか。それはありがとうございます」
私が礼を言うと、ルドルフ様は安堵の表情を見せた。
「そうか……それでは、ハルテンブルク子爵にご挨拶に……」
「やめてください。私はあなたのような方は嫌です」
「……えっ?」
「婚約者に我慢ばかりさせて、いいように使い潰して、他に都合の良さそうな女性が言い寄ってきたら、簡単に婚約者を捨てて乗り換えるような男性と、誰が婚約したいなどと思うのですか?」
「ヴィクトリア……君は……何を言っているのだ……。君は、僕のことを愛しているのではなかったのか……?」
ふふふ。何が起きているのかわからず、慌て始めたわね。
勝ち誇った勘違い男を絶望に追い込むのって本当に気持ちいいわね。
「私が一度でもルドルフ様を愛しているなどと申し上げましたか? 言うわけがないですわ。だって別に愛していないもの」
「だが……僕のことをすてきだと言ったり、ものを欲しがったり、公爵邸に押しかけたりもしたではないか」
私はそこで大きくため息をついた。先ほど、ルドルフ様がエレオノーラ様にしたように。
「おわかりにならないのですね。社交界での社交辞令というものをご存じないのですか? 特に身分の高い方にはお世辞は当たり前です。耳飾りが欲しかったのは本心ですし、お礼を言いに行くのも、人として当たり前のことではないですか。なぜそれが、ルドルフ様を愛していることになるのですか?」
本当に欲しかったのは、耳飾りよりもあなたの吠え面だったのですけれど。
「だって……あれだけ僕に好意を示していたではないか……」
あら……なかなか現実を受け入れられないのね。確かに、わざわざ好意を持っているように見せていたのは本当だものね。
だったらもっと追い込まないと。往生際が悪いと、もっとひどい目に遭うだけだわ。
「そういえば、いただいた耳飾りは、エレオノーラ様が手配してくださったのですよね?」
「僕がそれを選んだのだ。ヴィクトリア、君のために」
「ルドルフ様が高価なものを選んで、エレオノーラ様にヴァルテンベルク伯爵家のお金でそれを購入させて、私に贈ってくださったということですか?」
私は、まだその場に残っていたエレオノーラ様に顔を向けた。
「はい、そうです。今回の耳飾りだけではありません。公爵家が他家にいい顔をするための高価な贈り物以外に、公爵家で使う調度品や馬車なども無理やり伯爵家のお金で購入させられて……。婚約関係にある公爵家には逆らえなかったもので……」
ルドルフ様に代わって、エレオノーラ様が答えた。
「その金は後で返すと言っただろう! ヴァルテンベルク伯爵家とは婚約関係にあったのだ。別に不自然なことではなかろう?」
ルドルフ様が言い訳を始めた。
私との婚約どうこうより、こっちのほうが大きな問題になりそうだものね。
「奪ったものではなく、『借金』であるとお認めになるのですね」
私はルドルフ様に確認する。
「『借金』ではなく、『立て替え』だ」
「同じことです。……ですが、先ほどルドルフ様は婚約を破棄されましたわ。しかも、『公爵家は伯爵家が潰れようと関知しない』とまで仰って……。私にはその借金を踏み倒そうとしていたようにしか聞こえなかったのですが……」
「か、金は返す……」
「お金を借りたら利子をつけて返すものですわ、ルドルフ様。それに、あなたの都合で一方的に婚約を破棄したのですから、その賠償もすべきです。けれど……ヴァルテンベルク伯爵家はそれだけで気が済むかしら。お金の問題だけでなく、エレオノーラ様はこうしてひどい侮辱を受けていますし。……当然、法務卿に申し立てますよね?」
私はエレオノーラ様のほうを見た。
「お、おい。そんなことをする必要はない。金は返すと言っているのだ」
ルドルフ様が慌てたように止めようとする。
「はい。これまでの悔しい思いもあるので、そうしたいと思います」
エレオノーラ様はルドルフ様に構わずそう答えた。
「まあ。それなら話は早いですわ。きっと証拠もたくさんあるのでしょう?」
「はい。証拠ならいくらでも出せると思います。何より、泣き寝入りだけはしたくありません!」
あの大人しいエレオノーラ様が、強い自信を持ってはっきりと言った。
思ったより牙を持った女性のようで……見直したわ。
「きっと、ヴァルテンベルク家以外にも被害を受けた家があるはずです。余罪もついでに調べてもらうといいですわ」
「なぜこんなことを……」
ルドルフ様が頭を抱えた。
——ふふふ。吠え面をありがとうございます。
身分の高い、お美しい顔の悪人が天国から地獄に落ちる瞬間——お金や地位なんかよりもよほど価値があるわ。
「ありがとうございます」
私が投げかけた言葉に、ルドルフ様は何の礼だと言わんばかりの顔だったが、それは私の心からの言葉だった。
※
「あの……ありがとうございました」
夜会を去ろうとする私に、エレオノーラ様が声をかけてきた。
「ああ、エレオノーラ様。……何がですか?」
「ヴィクトリア様は……私がルドルフ様にひどい目に遭わされていることにお気づきになって、婚約を破棄させるように導いてくださったのですよね? 気弱な私が言い出せないから……」
「違いますけれど、そうお考えになりたいのであれば、そういうことでもけっこうです」
私は興味もなく、適当に答えた。
「ではそういうことにしておきます」
エレオノーラ様はそう言って微笑んだ。
「けれど、本当にお礼を言うのは私のほうです」
そう言う私を、エレオノーラ様は不思議そうな顔で見た。
「……なぜです?」
「身分が高いだけで、つまらない悪人が気に食わないのです。そんな輩の吠え面を見せていただける機会をいただけたのですから」
「吠え面ですって……? うふふ。正義感がお強いのですね」
エレオノーラ様が微笑みながら、そう言った。
「いえ、決して正義感ではないですね」
私は自信を持って答えた。
これは絶対に正義なんてものではない。
自分だけは絶対に地獄に落ちないと思っている悪人が、そこへ落ちたときの顔が面白いってだけだもの。
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