蝶と成った青年の思い出
乾いた蝶は、ふとした拍子に崩れてしまう。僕はエーミールに言われたことを思い出して、その言葉を噛み締める。自分への戒めとして、エーミールの蝶を潰したその手で、僕の情熱を一つ一つ消していく。
蝶を一匹掴み、手に力を込める。すぐに粉々になり、形を失った。
だがどうだろう。指先には、重みこそ残らなかったものの、色は残った。ちゃんと壊したはずなのに、壊した感触すら感じることは赦されなかった。
僕がエーミールにしたことを言葉にするのは、赦されるだろうか。あの時、僕はエーミールに「蝶の扱い方が悪い」と言われてしまった。見損なったとでも言いたげな眼を、僕は一生忘れることはできないだろう。
愚かだった僕に、一つだけ何かを与えてくれるのなら、それは赦しであってほしいと思う。赦されるためなら、僕は。
僕の思い出で償えるものなのだろうか。そんなものでエーミールは赦してくれるだろうか。
一つ。手の中で蝶が空気となる。
一つ。手の中で情熱が空気となる。
一つ。手の中で思い出が空気となる。
僕が壊したのは、蝶だ。
僕が壊したのは、エーミールの情熱だ。
僕が壊したのは、エーミールの思い出だ。
いや、違う。
僕が壊したのは、蝶ではなく、情熱でもなく、思い出でもない。
僕が本当に壊してしまったのは、信頼だ。
*
僕が青年と呼ばれる年齢になった日。家の近くを意味もなくぶらぶらしていると、偶然エーミールに出会った。
「……」
エーミールは何も喋らない。僕も何も喋らない。沈黙はサナギの殻を破り蝶と成る。
「エーミール、あの時は……」
見えない重圧にこれ以上耐えられない。早く、あの時のことをもう一度謝ろう。そうすればきっと。
「そうか、そうか。君はそんなやつだったな」
時間が止まったような気がした。一瞬、全てがなくなった気がした。
ああ、そんな眼をしないでくれ。僕はもう、蝶も、情熱も、思い出も犠牲にして償ったじゃないか。これ以上何を犠牲にすれば赦してくれるというのだろう。
「……いや、良い。忘れてくれて構わない。それじゃあ」
エーミールは僕に背を向けて歩き始めた。背中には、蝶の翅が生えているように見えた。
エーミールは立派な蝶に成った。きっとこれからも、素晴らしく成長していくのだろう。対して僕はどうだろうか。蝶に成れただろうか。背中にある翅は、本物なのだろうか。
生えているはずの翅は、動かなかった。羽ばたく間もなく、地面へと堕ちていった。
彼の美しい翅はもう、見ようにも見れない。きっと、二度と顔を合わせることはないのだろう。同時に、僕が二度と赦されることはないのだろう。
エーミール、どうか僕のことなんて忘れてくれないか。仕事に就いて、奥さんをもらって、出世して。僕のことなんて忘れて、どうか美しい蝶のままでいてくれないか、エーミール。




