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星が重なる日  作者: 橘花


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55.被弾

豪州艦〈ワラマンガ〉の127ミリ砲が吼えた直後だった。


――ドォンッ。


砲口炎が昼の海を白く裂き、衝撃波が艦橋窓を震わせる。反動で艦首がわずかに沈み込み、船体中央が持ち上がる。艦底を走るキールが一瞬きしみ、構造材が低く唸る。砲煙が瞬間的に前方視界を曇らせ、白煙が風に引き延ばされる。発射の衝撃は鋼板を伝ってCICにまで届き、コンソール上のペンが跳ね、モニターの光が微かに揺らぎ、ヘッドセットのコードが小刻みに震える。振動は一拍遅れて床から足裏へ伝わり、艦内の空気そのものが波のように揺れた。誰も声を荒げない。ただ全員の呼吸が浅くなる。


火器管制は完璧だった。砲身復座、給弾機構正常、次弾装填完了、油圧圧力基準内。射撃諸元誤差許容内、風向補正正常、弾速規定値内。射撃解は理論上、最良値。計算上は外す理由がない。


敵舷側に着弾。装甲板に火花が散り、塗装が剥げ、黒い鋼鉄面が露出する。鋼片が弾け、海へ落ち、波間に消える。弾着点の周囲で一瞬だけ白煙が膨らみ、次の瞬間には風に千切られる。しかし敵艦は減速しない。速度表示は安定している。艦橋上の人影も崩れない。被弾を受けながら、前進の意思を保ったままだ。


「敵速力変化なし!針路維持!」


装甲巡洋艦は前進を続ける。その姿は、撃たれた事実を受け止めた上でなお近づいてくる意志の塊だった。やがて一番艦の前部砲塔がゆっくりと旋回する。巨大な鋼鉄の塊が内部の歯車を軋ませながら向きを変える。測距儀が滑るように豪州艦へ向く。砲口の黒が、海の色より深い。まるで穴のように深い。


「敵主砲、ワラマンガに指向中!」


重い、鈍い動き。だが迷いはない。旧世代の鋼鉄が、静かに、冷酷に照準を定める。射撃指揮官の影が砲塔後部で揺れる。旗も信号もない。ただ砲が語る。


――ドォン。


腹の底を震わせる重低音。旧式大口径砲の発射。衝撃波が海面を押し、砲煙がゆっくりと広がる。弾体は視認できない。しかし空気の震えが軌道を示す。


「弾道捕捉!」


表示盤には放物線が描かれる。飛翔時間約八秒。


八。


七。


六。


秒針が伸びたかのように時間が歪む。八秒が長い。異様に長い。表示盤の数字が減るたび、心拍数が増す。誰も動かない。だが全員が弾道を“見る”。


〈ワラマンガ〉CICでは冷静な声が飛び交う。


五。

「落着予測、艦首前方!」

四。

「舵保持!機関出力そのまま!」

三。


一瞬だけ、誰かの喉が鳴る。


――ザバァァン!!


右舷前方に巨大な水柱が炸裂する。爆圧ではない。水圧だ。数トンの海水が瞬時に押し上げられ、塊となって艦体へ叩きつけられる。衝撃が鋼板を震わせ、内部フレームを共振させる。マストが撓み、アンテナが振動し、レーダー指向が一瞬だけ微細にずれる。甲板上の工具箱が滑り、鎖が鳴る。金属が擦れ合う音が艦内を伝う。壁面に固定された消火ホースが揺れ、天井のケーブルが小さく跳ねる。


CICの床が跳ね、コンソールがわずかに浮き、照明が瞬間的に暗転する。数値が乱れ、すぐに復帰する。復帰速度が訓練の成果を示す。誰も叫ばない。報告だけが飛ぶ。


「右舷前方至近弾!」

「二番区画、軽度浸水!」

「外板応力上昇!」

「レーダー安定、復旧確認!」


傾斜二度、三度。艦体がゆっくりと復元する。ダメージコントロール班の足音が鋼鉄を叩く。ポンプ起動音が低く唸る。応急員が短く号令を飛ばす声が伝声管越しに届く。水密扉が閉鎖される金属音が響く。


戦術士官の声は冷静だ。「軽度浸水、推進系正常、発電正常、武器管制正常。戦闘継続可能。」


艦長は短く息を吐き、「続行。撃ち返せ。」


再び127ミリ砲が吼える。装甲巡洋艦二番艦へ弾着。火花が散る。しかし敵も止まらない。二番艦、三番艦が順次発砲する。――ドォン、ドォン。水柱がワラマンガの左右に立つ。弾着間隔は短い。前後に割れていた水柱が次第に中央へ寄る。着弾点は確実に収束している。夾叉射撃に移行している。射撃修正が完了している証拠だ。


〈あさひ〉CICでは全てがリンク越しに可視化される。水柱の位置、敵砲塔の旋回速度、弾着間隔の縮小。全てが赤い予測円の内側へ近づいていく。


「ワラマンガ、至近弾受けるも戦闘継続!」

「弾着間隔短縮、夾叉射撃中!」


そのとき、上層部からの通信が割り込む。


『平和的接触を維持せよ。交戦は許可できない。』


その声は落ち着いている。整然としている。だが現場の振動を知らない。硝煙の匂いも、鋼板の軋みも、感じていない声だ。


艦橋の空気が凍る。外では再び砲声。水柱がワラマンガを囲む。


「ワラマンガ、完全に夾叉されました!」


水測員が叫ぶ。「対潜目標接近、方位一六〇、距離二千二百、推進音増大!潜行型、射角取得中!」


水上三隻、水中一隻。包囲は完成寸前。豪州艦は射線の中央だ。逃げ場は計算上、狭い。


『繰り返す。交戦は許可できない。』


副長が艦長を見る。命令か、現実か。沈黙が流れる。誰も視線を逸らさない。


レーダー音が規則的に響く。ピッ、ピッ、ピッ。距離三・二海里。敵砲塔修正完了。潜行型接近。魚雷射角、形成中。


もう一発、水柱が豪州艦艦尾近傍で炸裂。豪州艦の速力がわずかに落ちる。回頭の兆し。だが逃げ切れない。


三秒の沈黙。


三秒は、八秒より長い。


艦長の顎がわずかに引かれる。目は表示盤に固定されたまま。


「主砲、目標一番艦。射撃諸元算出。」


副長が息を呑む。「しかし上層部は――」


「責任は私が取る。」


静かな決断。その声には揺れがない。背後で通信音声がなお流れている。


副長復唱。「主砲、目標一番艦、射撃諸元算出。」


電測員。「距離三・二海里。敵速力一七ノット、針路維持。」


弾道計算。風向補正。艦速補正。動揺修正。砲塔旋回。装填完了。機械が唸る。


上層部の声がまだ流れている。だが艦長は応答しない。


「撃ち方始め。」


――ドンッ。


あさひの127ミリ砲が吼える。衝撃が艦体を貫き、CICの空気が震える。命令違反。しかし誰一人動揺しない。むしろ呼吸が整う。


砲弾は一直線に敵一番艦へ向かう。表示盤に弾道線。予測着弾点が赤く染まる。敵の装甲帯に重なる。


海面が白く裂ける。


威嚇ではない。参戦だ。


三方向同時の立体包囲の中で、あさひは自ら戦線に踏み込んだ。


命令よりも現場を選んだ瞬間、艦内の全員が理解する。


もう後戻りはない。


海は完全に戦場へ変わった。


砲弾の飛翔時間が終わるまでの数秒間、誰も瞬きをしない。表示盤の赤い予測円の中心へと、白い弾道線が滑り込んでいく。風速補正値は変動なし。自艦動揺補正、許容範囲内。射撃解は安定している。


弾着。


敵一番艦の舷側に白煙が咲く。金属音が遅れて届く。装甲帯の一部が歪み、砲郭付近から破片が飛散する。煙の奥で何かが崩れる影が見える。今度は明らかに衝撃が内部まで届いている。


「弾着確認!」


〈あさひ〉CICの声がわずかに低くなる。


「敵一番艦、速力微減!」


数字が一瞬だけ落ちる。十七ノット。十六。十六・五。わずかな減速。だが確実な変化。


敵砲塔の旋回が止まる。ほんの一瞬だが、止まる。


「再装填急げ!」


敵側からも怒号が上がるのが双眼鏡越しに見える。装甲巡洋艦の甲板で人影が走る。黒煙がわずかに増える。


しかし二番艦、三番艦は止まらない。


――ドォン。


――ドォン。


再び重低音。弾道線が二本描かれる。


「弾道捕捉!」


飛翔時間七秒。


水柱が前方と後方に割れる。ワラマンガを挟む。夾叉はさらに精密になる。


「敵修正精度向上!」


水測員が報告する。「対潜目標、距離千九百。回頭中。射角収束!」


表示盤の海面下に、黒い影が移動する。推進音の周期が短くなる。キャビテーションの泡が増える。


立体包囲が完成する。


〈あさひ〉艦長は一瞬だけ息を止める。


「対潜戦闘用意。」


副長復唱。「対潜戦闘用意。」


CIC内部の空気が一段階冷える。対潜員が即座にソナー画面へ集中する。


「水中目標、深度浅い。魚雷発射準備動作なし。だが接近中。」


魚雷はまだ撃たれていない。だが射角は完成しつつある。


水上。


水中。


そして空は静かだ。


静かすぎる。


「敵旗艦、煙増大。」


装甲巡洋艦一番艦の煙突から黒煙が濃くなる。被弾が効いている。


「二番艦、三番艦、依然前進。」


数値が並ぶ。距離三・一海里。三・〇八。三・〇五。


近い。


砲戦距離としては十分すぎる近距離。


「主砲、次弾装填完了。」


「あさひ、再射準備よし。」


艦長は即答する。「撃ち方続行。」


――ドンッ。


再び衝撃。CICの空気が震える。今度は迷いがない。砲弾は同じ目標へ。集中射撃。


敵一番艦の舷側で再び爆煙。今度は火花が大きい。小規模な爆発が甲板上で起きる。弾薬庫ではない。だが補助装備か、露天配置の弾薬か。


「敵一番艦、明確な減速!十五ノット!」


装甲巡洋艦の隊形がわずかに乱れる。


二番艦が間を詰める。三番艦が角度を修正する。


隊形を維持しようとしている。


それでも速度差が生まれる。


水柱が乱れる。


「ワラマンガ、被害拡大なし。だが射線中央!」


豪州艦は未だ包囲の中心にいる。逃げ切るには敵の砲火を止めるしかない。


艦長は短く言う。「敵旗艦を潰す。」


副長が頷く。


「主砲、目標一番艦、継続射撃。」


電測員が冷静に距離を読み上げる。三・〇二。三・〇〇。


三海里。


この距離では外さない。


再び砲声。


海面が白く裂ける。


装甲巡洋艦一番艦の舷側に、今度は明確な穴が開く。黒煙が内部から噴き出す。甲板上の人影が崩れる。


「敵一番艦、速力十二ノット!」


隊形が崩れる。


二番艦が前へ出るか、援護に回るか。


その一瞬の迷いが、戦局を動かす。


水中目標が再び進路を変える。


「潜行型、距離千六百。なお接近。」


立体包囲はまだ解けていない。


だが敵旗艦は揺らいだ。


艦橋の全員が理解する。


戦場は動き始めた。


そして、この戦闘はもはや止まらない。

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