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星が重なる日  作者: 橘花


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55/60

54.警告射撃

距離三・五海里。

表示盤の数字が、ゆっくりと削れていく。


3.50

3.48

3.46


小数点以下の減少が、異様に大きく見える。

数字そのものは小さい。だがその背後にある質量、砲、鋼板、そして人員を思えば、これは決して小さな接近ではない。三隻の装甲巡洋艦と六隻の帆走混成艦、その総排水量、搭載砲門数、弾薬搭載量、そして数百名に及ぶ乗員の生命が、このわずかな数値の差に圧縮されている。あの九つの光点は、単なるデータではない。鉄と火薬と血の塊だ。


減少速度は一定。

一定であることが、異常だった。


波高は低い。

風は弱い。

流速も穏やか。


水平線は静まり返り、海面は鈍く鉛色に光るだけだ。陽光は薄く、雲は高く、視程は良好。海は戦いを拒まない。むしろ、あらゆるものを平等に受け入れる無機質な舞台のように広がっている。潮騒すら遠く、砲声が響く余地だけが残されている。まるで、この瞬間を待っていたかのように。


通常であれば、わずかな蛇行が出る。

波浪による偏位。

操舵の微修正。

機関出力の微妙な揺らぎ。

推進軸の共振変化。

舵角指示と実舵角のわずかな遅延。

潮流補正の再計算。


それらが履歴線に滲む。人間が操る以上、完全な直線など存在しない。どれほど熟練した航海士であっても、自然と機械の間には微細な誤差が生じる。操艦とは誤差を許容し続ける技術だ。


だが表示盤上の航跡は滑らかすぎる。

操艦は安定しているのではない。

制御されきっている。

揺らぎを許容していない。


だが、それがない。


速度変動幅、±0.1未満。

針路の履歴線は、まるで定規で引いた直線のように滑らかだ。


人工的な安定。

偶然ではない。

意図だ。


「来る」と決めている航跡。

躊躇のない直進。

それは挑発よりも雄弁だった。言葉も旗もいらない。ただ一直線に近づいてくるという事実が、最も攻撃的な意思表示だった。回避の意思がないということは、接触を恐れていないということだ。こちらの存在を知った上で、なお近づいている。


CIC。


電子機器の低い唸りが絶え間なく流れる。

空調の一定音が耳にまとわりつく。

遠くで回る主機の振動が床を通して伝わる。

キーボードを叩く微かな打鍵音。

表示更新の電子音。

レーダー走査の周期音。


誰も声を荒げない。

だが全員の呼吸は浅い。

誰もが無意識に、肩の力を抜けずにいる。

誰もが自分の鼓動を自覚している。


電測員が静かに読み上げる。


「水上目標群、針路一八二、直進。速度一五ノット維持」

「大型三、小型六」


戦術表示盤に九つの光点。

その背後に、九つの意思。

九つの砲撃の可能性。

九つの衝突の未来。


大型三隻は細長い船体。

中央に二本煙突。

舷側に規則的に並ぶ砲郭。

甲板上の露天砲座。


砲門の配置間隔から推定口径を算出する表示が走る。

射程予測。

弾道時間。

落角。

着弾誤差。


数値が自動的に並び、もし撃たれた場合の被害想定が裏で計算される。装甲貫徹可能性、被弾位置による損傷評価、応急班投入時間。レーダー損傷確率。艦橋被弾時の指揮系統断絶率。冷静な数字が、最悪の未来を淡々と示す。


――装甲巡洋艦。


旧式。

しかし火力は侮れない。

装甲厚も現代艦を上回り、旧式主砲の命中率はよくないが致命的になり得る。

特に包囲下での集中射撃は、たとえ一発でも致命傷になりかねない。砲弾一発がレーダーを破壊すれば、優位は一瞬で崩れる。


双眼鏡越しの映像が艦橋スクリーンに映る。

黒い外殻。

水線付近の装甲帯。

重厚な前檣。

煙突から薄く昇る煤煙。


錆色が混じる装甲板。

だが砲塔の動きは滑らかだ。

整備は行き届いている。

旧式であっても、放置されてきた艦ではない。戦う準備がある。撃つ覚悟がある。


その後方。


小型六隻。

三本マスト。

横帆を畳みかけた帆桁。

しかし船尾には補助煙突。

帆走と蒸気の混在。


船首には木製の装飾彫刻。

しかし舷側には旋回砲。

木と鋼鉄の混在。


異様な融合。

異世界の産物であることを、隠そうともしていない。

文明の断片を無理やり接ぎ木したような艦影。


副長が低く呟く。

「時代が混ざっている」


艦長は答えない。

目は前方に固定されたまま。

判断材料を集めることに集中している。怒りも恐怖も、今は無意味だ。感情は命令を鈍らせる。


「識別信号なし」

「AIS応答なし」


通信員が呼びかける。


英語。

日本語。

国際共通周波数。


「こちら海上自衛隊護衛艦。意図を示せ」


応答なし。

スピーカーから返るのは風切り音と微弱な静電ノイズだけ。


沈黙。


それが、最も明確な意思表示だった。


距離三・三海里。


装甲巡洋艦の砲塔がゆっくりと旋回する。

巨大な鋼鉄の塊が動く。

重い。

鈍い。


双眼鏡越しに砲口がこちらを向く。

動きは遅い。

だが確実。


副長。

「威嚇か」


言葉が終わる前。


――ドォン。


低い砲声。

衝撃波が空気を震わせる。

腹の底に響く重低音。


数秒後。


――ザバァァン!


あさひ艦首前方六百メートル。

水柱が立ち上がる。

白い水壁が視界を遮る。

飛沫が窓を叩く。


威嚇射撃。

距離誤差は意図的。


止まれ。

従え。

臨検を受けろ。


艦橋の若い航海士が無意識に唾を飲み込む。

喉の動きが自分でも大きく感じられる。

額に汗が浮く。

手袋の中で指先が湿る。


艦長。

「取り舵十五」

「不明船から距離を取る」


あさひは緩やかに回頭する。

主機振動が変化する。

舵角指示灯が揺れる。

旋回半径計算表示が更新される。

速度微調整。


その動きを見て。


装甲巡洋艦三隻が横列展開。

ガレオン六隻が左右へ広がる。

帆を張り、蒸気を吹かす。


包囲角が閉じる。

戦術盤上の赤い扇形が狭まる。

包囲図が完成に近づく。

逃げ道が、数値の上で消えていく。


電測員。

「敵、進路変更。包囲運動」


副長。

「完全に意図的です」


CICの空気がさらに重くなる。

息苦しさすら感じる。


水測員が顔を上げる。

「水中反応探知」


空気が凍る。


「方位一六〇。距離二千五百。深度浅い」


周期的な推進音。

人工。

右舷側へ回り込む。


潜行型。

魚雷射角を取る位置。


挟撃。


艦長。

「記録」


まだ撃てない。

上層部の命令がある。

撃てば戦争が確定する。


距離三海里。


再び砲撃。

右舷四百。

衝撃波。

窓が軋む。


艦長。

「主砲、警告射撃」


――ドンッ。


反動。

硝煙。


四秒。

五秒。


水柱。


最後通告。


だが。


「敵、速力増大!」


一五。

一七。

二〇。


直進。


副長。

「交渉の意思なし」


上層部。

「平和的接触を維持せよ」


副長。

「交戦許可なし」


艦長。

「了解」


だが三発目。

右舷三百。


包囲完成直前。


電測員。

「北東より高速接近目標!」


距離八千。

速力二十八ノット。


「豪州海軍」


ワラマンガ。

一直線。

白波を引き裂く。


無線。

「こちら豪州海軍フリゲート、ワラマンガ。日本艦を包囲する行動を確認。意図説明を求める。」


応答なし。


装甲巡洋艦が旋回。


――ドォン。


水柱。


豪州艦長。

「これ以上の接近は容認しない」


数秒。


――ドォンッ。


直撃。

装甲巡洋艦舷側。


火花。

歪む鋼板。

煙が立つ。


副長が呟く。

「始まったな」


艦長。

「戦闘だ」


三隻の砲口が上がる。

六隻の帆が張られる。

潜行型が回り込む。


海は静かだ。


だが静けさは終わった。


この星で。


我々が初めて直面する本格海戦が、


今、始まる。

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