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星が重なる日  作者: 橘花


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52/60

51.空白を埋めるもの

空は、

変わらない。


青は、

揺らがない。


太陽は高く、

雲は薄く、

光は均等に地表へ落ちている。


都市の屋根も、

山の稜線も、

海の表面も、

同じ強さで照らされている。


港湾のクレーンも、

高速道路の高架も、

送電線の鉄塔も、

変わらぬ昼の光の中にある。


何も欠けていないように見える。


だが――

この国の上空には、

目に見えない空白がある。


転移の瞬間に失われたもの。

軌道から消えた衛星群。

通信、測位、偵察、気象。

宇宙に張り巡らされていた

無数の目と耳。


それらは爆発したわけでも、

破壊されたわけでもない。

ただ、存在しなくなった。


軌道上の点が、

一瞬で消えた。


残ったのは、

たまたま領域上空にあった数基だけ。

偶然、そこにあったもの。

計画された配置ではない。

冗長性も、重層性もない。


穴だらけの網。


それでは足りない。


足りないことは、

誰もが知っている。


自衛隊も、

内閣も、

通信事業者も、

気象庁も、

海上保安庁も。


だが、

誰も口にしなかった。


口にした瞬間、

それは「脆弱性」になる。

認めた瞬間、

それは「隙」になる。


敵がいるかどうか分からない状況で、

自らの隙を宣言することはできない。


だから、

沈黙が選ばれていた。


不足は「暫定運用」と呼ばれ、

欠落は「再評価中」と言い換えられた。


だが――


海底の三秒が

二・八秒に縮まった今、

その沈黙は限界に達していた。


海の下で何かが動く。

水上で正体不明の点が接近する。

そして宇宙は、

まだ空白のままだ。


三つの層。


海底。

海面。

上空。


どこか一つでも欠ければ、

判断は遅れる。

判断が遅れれば、

主導権を失う。


空白は、

もはや抽象ではなかった。


——


官邸。


臨時の会合は、

「緊急」という言葉を使わなかった。


議題は、

淡々と記されている。


宇宙監視・通信基盤の暫定再構築について


室内の空調は一定。

窓の外は快晴。

だが、

机上の資料だけが重い。


グラフ。

軌道図。

通信カバー率。

衛星寿命予測。

地上局の負荷率。

海域別観測密度。


「現在運用可能な衛星は七基」

「うち三基は軌道不安定」

「海上監視カバー率、四十二%」

「同時多点通信能力、六割低下」

「測位精度、平均誤差二・三倍」


数字が、

静かに並ぶ。


四十二%。


半分にも満たない。


しかも、それは平均値だ。

海域によっては二十%台。


防衛大臣が言う。


「現状では、

 海域の“空白”を

 地上と航空機で補完するしかない」


「限界があるな」


総務相が低く言う。


「はい。

 持続性がありません。

 航空機は滞空時間に限界がある。

 地上レーダーは地平線で切れる。

 全天候ではありません」


海図の横に、

軌道図が置かれている。


失われた円。

途切れた楕円。

交差するはずだった軌道が、

空白のまま途切れている。


宇宙にも、

穴が空いている。


「打ち上げは可能か」


静かな問い。


宇宙政策担当が答える。


「一基、即応可能です。

 予備機として保管していた小型多目的衛星です。

 通信中継と広域観測を兼用。

 偵察能力は限定的ですが、

 海域のデータ補完は可能です」


「軌道投入までの時間は」


「準備完了から三時間以内。

 気象条件は現在良好。

 射点は使用可能です」


「即応型か」


「はい。

 打ち上げ能力は維持されています」


官房長官が一瞬、目を閉じる。


海底の周期短縮の報告が、

まだ耳に残っている。


「十分だ」


それは妥協ではない。

優先順位の決定だった。


「公表は」


「しない方がよいでしょう」


今、

空を動かせば、

誰かも動く。


宇宙に新しい目を置くということは、

「こちらは見ている」と

宣言することと同じだ。


「名称は?」


「暫定番号で。

 機能コードのみ付与」


衛星に名前は与えない。


名前は、

意味を持つ。

物語を持つ。


今は、

機能だけでいい。


誰も拍手しない。

誰も頷かない。


だが、

決まった。


——


種子島。


夜ではない。


白昼だ。


整備塔の影が短く、

ロケットは白く光る。


その白さは、

祝祭の白ではない。

無機質な、

機能の色だ。


観覧席は空。

報道陣もいない。

ライブ配信もない。


ただ、

点検員の声と、

金属音だけがある。


「燃料充填開始」


極低温の液体が、

静かにタンクへ流れ込む。


霜が配管に広がる。


「圧力正常」

「温度安定」

「誘導系、チェック完了」

「姿勢制御系、正常」


カウントは、

淡々と進む。


これは打ち上げイベントではない。


再建だ。


失われたものを、

一つずつ取り戻す作業。


——


海。


しょうなんの艦橋。


「周期、二・七秒」


わずかな短縮。


止まらない。


「振幅、微増」


「あさひ、距離十四海里」


水上の点は、

なお接近を続ける。


偶然と呼ぶには、

距離が近すぎる。


「人工物可能性、七十%」


数字は、

静かに閾値を越える。


七割。


誰も歓声を上げない。

誰も恐怖を口にしない。


ただ、

情報が共有される。


海底の“何か”は、

待機から次段階へ移ろうとしている。


——


種子島。


「Tマイナス九十秒」


風は穏やか。

空は澄んでいる。


「八十」


三秒。


三秒。


三秒。


海底の鼓動と、

カウントダウンが重なる。


「五十」


宇宙は、

まだ空白だ。


「三十」


官邸。


誰も声を出さない。

だが、

全員がモニターを見ている。


「十」


海。


二・五秒。


接触、十二海里。


「あさひ、警戒維持」


「了解」


「三」


二・四秒。


「一」


発射。


——


白い炎が地面を押し下げる。


轟音。


振動。


だが、

その音は海には届かない。


ロケットは、

確実に上昇する。


青を貫き、

雲を抜け、

空白へ向かって。


——


宇宙。


第一段分離。


軌道投入。


暫定衛星が分離される。


小さな箱。

だが、

確かに存在する。


太陽電池が開き、

アンテナが展開する。


初期信号。


地上局がそれを捕捉する。


「テレメトリ受信確認」


空白に、

新しい点が生まれる。


まだ一基。


だが、

ゼロではない。


——


海。


海底の鼓動。

水上の接近。

宇宙の再建。


三つが、

同時に進む。


まだ発砲はない。

まだ警告もない。


だが、

世界はもう静かではない。


新しい衛星が、

最初の観測パスに入る。


海域の一部が、

これまでよりも高い解像度で描かれる。


データが増える。

重なりが生まれる。


見えなかった角度が、

わずかに補完される。


そして――


補完された瞬間、

これまで曖昧だった点が、

より鮮明になる。


空を取り戻すことは、

見えなかったものを

見ることでもある。


見えた瞬間、

選択肢は減る。


世界は、

もう後戻りできない。


次の三秒で、

何かが決まる。


誰も口にしない。


だが、

全員が理解している。


空白は、

埋められた。


その代わりに――

現実が、

はっきりと輪郭を持ち始めていた。

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