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星が重なる日  作者: 橘花


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49/60

48.静かな海に、最初のずれ

空は、

完全に明るくなった。


夜の色は

跡形もなく消え、

海は

均一な青を

どこまでも

広げている。


水平線は

曖昧さを失い、

はっきりと

一本の線になった。


空と海の境界は

切り分けられ、

世界は

整然として見える。


静かな朝。


それが、

かえって

不自然だった。


波は低い。

風も弱い。

白波も立たない。


観測には

理想的な条件。


視程良好。

雲量少。

気圧安定。


だからこそ、

海は

何も隠していないように

見える。


あまりに

整いすぎている。


整っているものは、

疑われる。


嵐は

荒れているが、

理由が分かる。


穏やかさは

理由が見えない。


——


しょうなんの艦橋では、

数字が

途切れなく流れている。


水深。

潮流。

海底反射強度。

磁気偏差。

塩分濃度。

海水温。

微細振動。

音響ノイズレベル。


画面は

落ち着いている。


色も、

グラフも、

波形も。


すべてが

「正常」の範囲内。


許容誤差内。

基準値内。

想定内。


教科書通りの海。


だが、

艦内の空気は

緩まない。


教科書通り、

ということは、

誰かが

教科書を

作ったということだ。


海は

本来、

誰の教科書にも

従わない。


「基準データとの差分、出せ」


「比較開始」


過去三年分の

航行ログが

呼び出される。


同海域。

類似緯度。

同水温条件。

同季節帯。


さらに絞り込む。


同時刻帯。

同潮汐。

同じ風向。

同じ波高。


誤差を

削っていく。


削れば削るほど、

残る差は

“海そのもの”になる。


画面に

グラフが重なる。


過去の海と、

今の海。


線は

ほぼ重なる。


ほぼ、だ。


その“ほぼ”が、

問題だった。


「……南東方向、微小な乱れ」


「数値?」


「反射強度、0.7%上昇」


「継続時間?」


「断続的。約十二秒」


「周期性は?」


「一定ではありません」


「誤差域?」


「通常誤差域内です」


「記録」


異常ではない。


警報も鳴らない。

自動解析も

“問題なし”と表示する。


だが、

“同じではない”。


その差は小さい。


だが、

確実に

存在している。


そして、

小さな差は

必ず

“理由”を持つ。


理由が

自然か。

人工か。

偶発か。

意図か。


そこまでは

まだ決めない。


決めないが、

消さない。


それが

「確認」だった。


今回の任務は、

大きな異常を

探すことではない。


小さな違いを

見逃さないことだ。


違いは、

重なる。


一つなら

誤差。

二つなら

偶然。

三つなら

兆候。


数字は

そうやって

重さを持つ。


——


あさひ。


「測量艦との距離、維持」


「対空レーダー、クリア」


「水上接触なし」


艦橋の視界は良好。


海面は平滑。

水平線に

動く影はない。


動く影がないことが、

逆に

負荷になる。


見張りは

何もないところから

何かを拾う。


「電子戦装置、パッシブ維持」


「了解」


「ソナー、雑音レベル監視」


「了解」


声は

落ち着いている。


平時の航行と

変わらない調子。


だが、

全員が理解している。


今回の任務は

敵を探すことではない。


“何もないことを確認する”

ことだ。


それは、

最も難しい任務でもある。


何もないと断定するには、

すべてを

見なければならない。


そして、

すべてを見たと

証明しなければならない。


証明は、

言葉ではなく、

ログで行う。


ログは、

後から

嘘を許さない。


——


南半球。


豪州フリゲート。


「日本側、磁気データ共有」


「受信」


短いデータパケット。


衛星はない。


だが、

事前に決めた時刻。


高周波通信。

指向性アンテナ。

暗号化。

周波数ホッピング。


数秒だけ

回線を開く。


回線を開く時間は、

“見られる時間”でもある。


長く開けば

発見される。

短すぎれば

届かない。


その境目を

経験で決める。


「豪州側データ送信」


「送信完了」


断続的だが、

十分だ。


通信量は最小限。


数値だけが

行き交う。


そこに

政治的な言葉はない。


感情もない。

評価もない。


あるのは

比較だけだ。


豪州側の画面にも、

日本と同じ

わずかな乱れが

表示される。


「……一致」


誰かが小さく言う。


偶然ではない。


海が

同じ反応を

返している。


一致は、

安心ではない。


一致は、

“現象が実在する”

という意味になる。


——


正午前。


しょうなんの

音響測深機が

再び

強い反射を捉える。


今度は

先ほどより

明確だ。


警報は鳴らない。


だが、

表示が

わずかに

濃くなる。


「……反射強度上昇」


「位置?」


「北東三十二海里」


「あさひに通知」


「送信」


画面に

わずかな

濃い帯。


まっすぐではない。

滑らかでもない。


自然地形にしては

規則的すぎる。


だが、

人工物にしては

雑すぎる。


中途半端。


その中途半端が、

一番厄介だった。


「地形か?」


「過去データと比較中」


沈黙。


数秒。

十秒。

十五秒。


沈黙の間に、

艦橋の音が

減る。


誰も

余計な動きをしない。


誰も

椅子を鳴らさない。


目だけが

画面に集まる。


「……該当なし」


「新規か?」


「可能性あり」


艦橋の空気が

わずかに変わる。


誰も

声を荒げない。


だが、

呼吸が

浅くなる。


「曳航体、準備」


「了解」


準備という言葉が、

ここでは

“次の段階に入る”

という意味を持つ。


——


あさひ。


「測量艦、減速確認」


「周囲警戒強化」


「レーダー感度一段上げ」


「電子妨害兆候なし」


「航空支援要請は?」


「現時点では不要」


冷静。


だが、

意識は

一点に集まる。


目に見えない

何かへ。


見えないものに向けて

警戒を張るのは、

神経を削る。


見える敵は

対処できる。


見えない兆候は、

対処の仕方が

まだ決まらない。


——


豪州。


「日本側、反射強度上昇確認」


「位置共有済み」


国防相は

一言だけ言う。


「観測を続けろ」


即時対応ではない。

威嚇でもない。

接近でもない。


まず、見る。


それが合意だった。


合意の形は違う。


日本は

言葉で合意する。


豪州は

手順で合意する。


だが今は、

同じ地点に

同じ目線を向ける。


それだけで

十分だ。


——


しょうなん。


曳航体が

ゆっくりと

海中へ降ろされる。


ケーブルが

規則正しく

送り出される。


海面は

相変わらず静かだ。


だが、

水の下は見えない。


見えないからこそ、

手順が必要になる。


「深度安定」


「データ取得開始」


画面に

細かな線が描かれる。


それは

地形の輪郭。


だが、

通常より

わずかに

滑らかではない。


滑らかすぎる部分と、

ざらつく部分が

同じ場所にある。


自然なら

連続する。


人工なら

整う。


これは

どちらにも

寄りきらない。


「人工物の可能性?」


小さな声。


「断定不可」


即答。


「形状、規則性なし」


「金属反応?」


「微弱」


自然か。

人工か。


まだ分からない。


だが、

“偶然”とは

言い切れない。


偶然なら、

過去の海にも

影が残るはずだ。


過去ログにない。


つまり、

新しい。


新しい現象は、

新しい原因を持つ。


記録が優先だ。


今は

結論を出す場ではない。


結論を出すための

材料を作る場だ。


——


その時。


レーダーに

再び小さな点。


今度は消えない。


「距離二十五海里」


「速度上昇」


「あさひ?」


「別方向」


識別信号なし。


航路は一定。


点は

ぶれない。


ぶれない点は、

操船している点だ。


「豪州側に照会」


「該当なし」


空気が

さらに引き締まる。


数値は嘘をつかない。


だが、

意味は

まだ決まらない。


点が

漁船なら

いい。


点が

自然反射なら

いい。


だが、

どちらも

断定できない。


まだ何も起きていない。


だが、

“何もない”とも

言い切れない。


——


官邸。


「微弱な異常反射」


「不明接触一件」


報告は簡潔。


官房長官は

目を閉じる。


数秒。


頭の中で

言葉が組み替えられる。


脅威ではない。

だが無視もできない。


“確認の範囲内”。


その言葉が

自分たちを守るのか、

縛るのか。


まだ分からない。


「継続」


それだけ。


まだ何も決めない。


決める段階ではない。


だが、

耳は離さない。


言葉を整える前に、

現場が

数字を積み上げていく。


——


キャンベラ。


「不明接触、速度上昇」


「航空機、上げるか?」


一瞬の沈黙。


窓の外は

晴天。


穏やかな空。


「待て。

 まずは

 確認だ」


確認。


その言葉は、

ここでは

前進を意味する。


止まることではない。


待つことでもない。


確認とは、

次の動作を

選ぶために

目を凝らすことだ。


——


海。


青は変わらない。

波も穏やかだ。


だが、

水面の下で

何かがあるかもしれない。


水平線の向こうに、

何かが動いているかもしれない。


日豪の艦艇は、

同じ空白を

見ている。


まだ敵は見えない。

まだ脅威は確定していない。


だが、

“存在の可能性”は

消えていない。


そして、

可能性は

積み上がる。


乱れ。

反射。

不明点。


一つずつは

小さい。


だが、

小さいものが

同じ方向を指すとき、

それは

「兆候」になる。


確認は、

もう静かな作業ではない。


それは今、

未知と向き合う

持続的な緊張に変わっていた。


そして——


最初の判断は、

まだ保留のままだった。


だが、

保留は

永遠ではない。


海は、

いつか

数字を超えた形で

答えを返す。


それが

今日なのか、

明日なのかは

まだ分からない。


だからこそ、

全員が

画面から

目を離さなかった。


誰も

「危険だ」とは言わない。


誰も

「安全だ」とも言わない。


言えるのは、

ただ一つ。


——

同じではない。

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