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星が重なる日  作者: 橘花


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40/60

39.前に立つ

決まった、

という言葉は

最後まで

口にされなかった。


誰も

「決定しました」とは

言わない。

言えば、そこで

責任の形が

一つに固定されてしまう。


官邸は、

固定されることを

最後の最後まで

避ける場所だ。


誰が決めたのか。

いつ決めたのか。

どの会議で、

どの発言が

引き金だったのか。


そうした線を

一本に束ねてしまうことは、

この建物では

できる限り

先送りにされる。


だが、

避けたまま

進むことはできない。


進まなければ、

外が

先に動く。


だから――

会見場に

カメラが入り、

照明が落ち着いた瞬間、

その言葉は

もう

不要になった。


決まったかどうかは、

言葉で宣言されるものではない。

場が

証明する。


マイクの位置。

同時に立ち上がる

報道陣の気配。

中継に合わせて

数センチ単位で

調整される照度。

背後のパネル。

官邸の紋章。


これだけの要素が

揃った時点で、

「まだ決まっていない」など

誰も

本気では信じない。


官房長官は

原稿を

持っていない。


卓上には

薄いメモが

一枚だけ置かれている。

だが、

視線は

一度も

そこに落とされない。


落とせば、

「読んだ」ことになる。

読めば、

言葉が

紙の言葉になる。


今日、

ここで発される言葉は

紙のものではない。


官邸の言葉だ。

その場で

立ち上がり、

切り取られ、

独り歩きを始める言葉だ。


正面。

レンズ。

その奥。


官房長官の視線は

記者を見ているようで、

実際には

記者を見ていない。


見ているのは、

その向こうだ。


編集卓。

速報欄。

見出しを

何文字で切るか

考えている人間たち。


誰が聞いているか、

ではない。


“どこが切り取るか”。


その計算が、

会見場の空気を

すでに

硬くしている。


官房長官は

一礼する。


礼は短い。

長くしない。

丁寧すぎない。


長くすれば、

「重い会見」に見える。

重く見えた瞬間、

外は

勝手に

重い意味を

付け始める。


会見は

静かに

始まった。


冒頭の定型文を

最小限で済ませ、

官房長官は

すぐに

本題へ入る。


「本日、

 政府として

 現在の状況について

 説明します」


間を置かない。

呼吸を挟まない。


“説明します”は、

許可を求める言葉ではない。

これから

言葉を外に出す、

という

一方的な宣言だ。


そして、

宣言の次に

置かれる一文は

いつも

最も危険だ。


官房長官は

その危険を

承知したまま

言う。


「まず、

 本件について

 政府は

 想定外の事態とは

 考えていません」


一瞬、

会見場の空気が

止まる。


動くのは

ペン先だけ。

キーボードを

叩く音が

一斉に

重なる。


カメラの

オートフォーカスが

わずかに揺れる。


“想定外ではない”。


否定ではない。

誰かを

責める言葉でもない。

だが、

完全な

言い切りだ。


官房長官は

視線を

動かさない。


一度でも

目を泳がせれば、

そこが

切り取られる。

その一瞬は

「迷い」に見える。


迷いは

不安に変換される。


だから、

動かさない。


「関係各所からの

 情報を踏まえ、

 起こり得る事態として

 これまでも

 整理してきました」


“整理してきた”。

過去形。


準備は

今始まったのではない、

という

宣言だ。


ここで

官房長官は

一つの賭けに出ている。


“想定していた”と

言った瞬間、

次の質問は

ほぼ

確定する。


――なら、なぜ防げなかった。

――どこまで分かっていた。

――誰が判断した。


それでも

言う。


言わなければ、

別の疑いが

生まれるからだ。


“想定していなかったのではないか”

という疑い。


官房長官は

疑いを

避けない。

疑いの形を

こちらで

整える。


「現時点で

 国民生活に

 直ちに

 重大な影響が

 出ている状況では

 ありません」


一段、

トーンが

落ちる。


安心材料を

置く。


だが、

ここで

止めない。


止めれば、

「問題なし」で

切り取られる。


切り取られれば、

次に

動きにくくなる。


だから

続ける。


「ただし、

 状況の推移によっては

 影響が

 拡大する可能性は

 否定できません」


逃げない。

だが、

煽らない。


想定と現実の

境界線を

正確に

示す。


“否定できない”は

便利な言葉だ。

同時に、

嫌われやすい言葉でもある。


その嫌われ方を

承知したまま、

官房長官は

使う。


ここまでが

最初の

パッケージだ。


政府は

慌てていない。

しかし、

油断もしていない。

そして、

すでに

動いている。


会見場の空気が

「質問へ行ける状態」に

切り替わる。


記者の手が

上がる。


最初の質問。


「なぜ、

 このタイミングで

 説明を?」


官房長官は

即答する。


「政府として、

 現状を

 説明できる段階に

 入ったと

 判断したからです」


準備が整った、

とは言わない。


だが、

意味は

同じだ。


“判断した”

という語尾が

重い。


判断した、と

言った瞬間、

次は

「誰が判断した」

へ進む。


官房長官は

その流れを

受け入れている。


受け入れることで、

逃げ道の代わりに

信頼を

置く。


次の質問。


「事前に

 どこまで

 把握していたのか」


官房長官は

一拍だけ

置く。


その一拍で、

“把握”という言葉を

分解する。


「把握と

 想定は

 分けて考える

 必要があります」


会場が

わずかに

ざわつく。


“全部は分かっていない”。

だが、

“何も分かっていない”

わけでもない。


この中間を

そのまま

言うのは

難しい。


だから、

枠組みを

先に

出す。


「詳細な事実関係は

 現在も

 確認中です。

 しかし、

 起こり得る事態として

 想定は

 していました」


否定しない。

ごまかさない。


“想定していた”と

はっきり

言った。


会見場の

温度が

もう一段

上がる。


記者の視線が

「次」を

求めるものに

変わる。


そして、

来る。


来ることが

分かっていた問いが。


「責任は

 誰が取るのか」


会見場が

静まる。


静まるのは、

答えを

待っているからではない。


答えが

危険だからだ。


個人名を出せば、

その瞬間から

その人間の

物語になる。


出さなければ、

「逃げた」と

言われる。


官房長官は

真正面を

見たまま

答える。


「政府として

 説明責任を

 負います」


個人名は

出ない。

だが、

責任から

逃げてもいない。


ここで

“説明責任”を

置くのは、

責任の種類を

限定するためだ。


刑事でもない。

行政処分でもない。


まずは、

言葉の責任。


言葉の責任を

引き受けることで、

次の責任の形は

後で

決められる。


順番を

守る。


官邸は

そういう場所だ。


官房長官は

締めに入る。


「今後も、

 必要な情報は

 適切なタイミングで

 お伝えします」


それ以上は

言わない。


余白を

残すのではない。

余白を

こちら側の

手元に戻す。


「以上です」


マイクが

切られる。

照明が

落ちる。


だが、

言葉は

切れない。


切れないどころか、

ここからが

本番だ。


速報が

走る。


【政府「想定外ではない」】

【事前に想定、説明段階に入った】


切り取られるのは

一文だけ。


だが、

その一文で

十分だった。


十分すぎるほどに。


官房長官は

会見場を

後にする。


振り返らない。


振り返れば、

そこが

“余韻”になる。

余韻は

勝手な補足を

呼ぶ。


廊下に出た瞬間、

官邸の内側の空気は

すでに

外の速度に

引きずられている。


この言葉は

もう

官邸の中のものではない。


——

ここから先、

物語を動かすのは

「言った側」ではなく、

「受け取った側」だ。


受け取った側は

切り取り、

増幅し、

意味を付ける。


そして、

意味を付けられた言葉は

次の現実を

作る。


完全に、

その段階へ

移った。

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