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星が重なる日  作者: 橘花


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3.確認不能

当たり前は、一度壊れ始めると、

元に戻ろうとはしない。


人がそれを「元に戻すべきもの」だと

まだ信じている間は、なおさらだ。


午前十一時二十分。

航空自衛隊 千歳基地。


滑走路端の待機スポットに、

二機の F-15J戦闘機 が並んでいた。


冬の名残を引きずる冷たい風が、

機体表面を撫でるように吹き抜けていく。

だが、整備員の動きに乱れはない。

ここでは、

空気の違和感よりも、

手順の正確さのほうが優先される。


機体番号は見慣れたものだ。

外装に異常はない。

増槽は装着されているが、武装は通常訓練仕様。

AAM-5およびAAM-4Bはいずれも搭載されていない。


実弾を積まないという判断は、

平時では珍しくない。

だが今日は、その「平時」という言葉の輪郭が、

どこか曖昧だった。


エンジンは、まだ始動していない。

機体は黙したまま、

空を見上げるように滑走路に佇んでいる。


操縦士はコックピットで

AN/APG-63(V)1レーダー の自己診断結果を確認し、

INS(慣性航法装置) と

GPS補正情報 の表示を交互に見比べていた。


航法基準、位置補正、時刻同期。

すべてが一致している。

数値は、すべて「正常」を示している。


——正常すぎる。


操縦士は、無意識にディスプレイをもう一度確認した。

確認する必要は、本来ない。

だが、

確認せずにはいられなかった。


「通信チェック、異常なし」


管制塔からの声は落ち着いている。

使用周波数は、いつも通りの訓練用。

声色に違和感はない。

少なくとも、表に出ている限りでは。


「了解。

VHF、UHFともに正常」


操縦士は短く返した。

余計な言葉は添えない。


この基地では、

説明がないこと自体が異常になる。

だが今日は、

その異常が誰にも説明されていない。


それが、最も不自然だった。


ブリーフィングルームには、

通常掲示されるはずの

戦術航空図(Tactical Air Navigation Chart) がなかった。


空域境界。

隣接国の管制情報。

民間航路。

訓練時の注意事項。


それらが、まとめて欠落している。


代わりに示されていたのは、


・指定訓練空域番号

・高度帯

・飛行時間

・燃料消費目安


それだけだった。


「指定訓練空域 R-* まで進出。

その先は、状況判断」


第2航空団司令 の説明は、それで終わった。


作戦ではない。

訓練だ。

だが、

“訓練でここまで説明を省く理由”は、

誰の頭にも浮かばなかった。


「進出方向は?」


誰かが聞いた。


「北」


それ以上の補足はない。


質問は、それ以上出なかった。

理由を聞いても、

答えが存在しないことを

全員が理解していたからだ。


午前十一時四十分。

防衛省・市ヶ谷。

統合幕僚監部 情報運用室。


大型スクリーンには、

J/FPS-5 固定式警戒管制レーダー、

E-767 早期警戒管制機(AWACS) の監視情報、

海上自衛隊 P-1 哨戒機 の索敵範囲、

情報収集衛星(IGS) の最新取得データが

多層的に重ねて表示されている。


情報は多い。

だが、

「つながらない部分」が多すぎた。


日本列島周辺は、正常だ。


北海道から沖縄まで、

空域・海域ともに既知の反応しかない。

それ自体は、

むしろ安心材料のはずだった。


だが、その「外側」が、

どうしても一致しない。


「ロシア極東沿岸、

中国沿岸、

朝鮮半島、

台湾周辺——

通常反応がある海空域で、

有効反射を確認できていません」


報告は、事実だけだった。

評価も、推測も、含まれていない。


「レーダーの死角では?」


「E-767、J/FPS-5、

双方でクロスチェックしています。

死角では説明できません」


「妨害は?」


「電波妨害の兆候なし。

電子戦(ECM)反応も確認されていません」


「……存在しない可能性は?」


一瞬、室内が静まった。


「その表現は使用できません。

正確には——

“確認できていない”状態です」


それ以上、

言い換える言葉はなかった。


同時刻。

海上自衛隊 第2護衛隊群。


護衛艦 DDG-177「アタゴ」 は、

通常の情報収集航海として

日本海へ進出していた。


AN/SPY-1D 多機能レーダー は正常。

ソナー(OQS-102)も異常なし。

戦術データ・リンク Link-16 も生きている。


だが、

共有されるはずの外部情報が、来ない。


「ここまでは、

水上、水中、空中ともに確認できる」


艦長は、

戦術航法図の端を指でなぞった。


「だが、この先は——

誰も“確認した”記録がない」


危険ではない。

進入禁止でもない。


ただ、

確かめられていない。


それが、

最も扱いにくい状態だった。


午後零時過ぎ。

外務省。


在外公館定時通信。


ワシントンD.C.

ロンドン

パリ

北京

モスクワ


すべて未応答。


回線は生きている。

暗号通信装置(TTC-105)も正常。


「不通、ではありません」


担当者は、そう強調した。


「呼びかけに、

返答がないだけです」


外交は、

相手が存在することを前提に成り立つ。


相手の存在が確認できない場合、

交渉も、抗議も、要請も、成立しない。


結果として、

外務省は何もできなかった。


午後一時。

首相官邸地下・

危機管理センター(NBC対策室)。


鷹宮首相は、

日本列島を映す

統合状況表示モニター を見つめていた。


「新しく、確認できた事実は?」


誰も答えなかった。


分からない、とは言わない。

だが、

分かったと言える情報もない。


「……そうか」


首相は、短く頷いた。


「なら、

確認可能な範囲を拡張するしかない」


それは、

攻撃命令ではない。

防衛出動でもない。


ただ、

“状況確認のために進出する”という判断だった。


航空自衛隊 第2航空団所属の F-15J 戦闘機 は、

指定された訓練空域へ向けて離陸した。


海上自衛隊 護衛艦部隊 は、

通常航海の名目で、

航続距離の限界に近い海域まで進出した。


地図は、

まだ昨日と同じ形をしている。


だが、

その地図が

どこまで現実を表しているのかを、

証明できる者はいない。


当たり前は、

壊れるときに音を立てない。


この日、

日本という国家は、

それを確認不能なまま

受け入れ始めていた。

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