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星が重なる日  作者: 橘花


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21/60

20.先送りされる現実

永田町。

官邸地下、危機管理センター。


照明は落とされているが、

暗さは演出ではない。

ただ、ここでは

明るくする理由がないだけだ。


明るさは、

感情を浮かび上がらせる。

表情を読ませる。

余計な確信を生む。


官邸の地下で最も危険なのは、

恐怖ではない。

「確信」だ。


確信が生まれた瞬間、

誰かが責任を持たされる。

責任が生まれた瞬間、

派閥が動く。

派閥が動いた瞬間、

情報が漏れる。


この部屋に必要なのは、

確信ではない。


保留だ。


保留は、弱さではない。

官邸においては、

「時間を買う」技術だ。

そして時間は、

備蓄よりも早く減る。


この部屋は、

危機のために作られてはいない。

危機になる前の段階を

“延命”するための空間だ。


まだ壊れていないものを、

壊れていないと言い続けるための装置。


その言い方は冷たいが、

官邸の現実はもっと冷たい。

「危機です」と言った瞬間、

危機は“発生したこと”になる。

発生した危機には、

対処の義務が発生する。

義務が発生した瞬間、

誰かの敗北が確定する。


ここに集められているのは、

緊急対応班ではない。

記者対応班でもない。


火を消す人間ではない。

火が「まだ火ではない」ことを

説明する人間たちだ。


「まだ危機ではないもの」を

どう扱うかを決める人間たち。


そのため、

誰も腕章をつけていない。

誰も声を張らない。

誰も立たない。


立ち上がった瞬間、

意見が主張になる。


この部屋で

主張は不要だ。


不要というより、

主張は“使えない”。

使えるのは、

事実と手順と、

「言葉にしない合意」だけだ。


壁面モニターには、

戦況でも、航空図でもない画面が並んでいる。


国内エネルギー需給表。

原油・LNG・石炭の備蓄推移。

発電所稼働率。

輸送網の維持予測。


数字は整っている。

線はなだらかだ。

警告色は、どこにもない。


注意喚起をするための赤は、

一切使われていない。


グラフは、

「今すぐ困る理由がない」ことを

丁寧に、几帳面に証明している。


どれも、

今この瞬間には

問題がない数字だった。


それが、

逆に重かった。


問題がない、という状態は、

政治にとって

最も扱いづらい。


問題があれば、

対処すればいい。

責任を切り分けられる。


だが、

問題がない状態で

動いた場合、

それは「余計なこと」になる。


余計なことは、

予算になる。

予算は、

説明になる。

説明は、

矛盾を生む。


「……まず確認する」


官房長官が口を開く。

声は低く、抑えられている。


この部屋では、

声を荒げた者が

最初に負ける。


感情を出した瞬間、

議論は“主張”になる。


主張は、

合意を壊す。


「現時点で、

 国民生活に直結する破綻は起きていない」


誰も反論しない。

それは事実だからだ。


反論しない、という選択が

すでに一つの合意だった。


ここでは、

沈黙も意思だ。


沈黙は、

官邸にとっての“壁”だ。

壁がある限り、

外側の世界は入ってこない。

入ってこない限り、

記者会見は不要だ。

不要である限り、

政治は延命する。


「備蓄は計画通り。

 発電も回っている。

 物流も維持されている」


言葉にするほど、

逆に“期限付き”に聞こえる。


今日ではない。

明日でもない。

だが、

永遠でもない。


それを、

全員が自覚している。


それでも言う。

言うしかない。

官邸は、

言葉で国を動かす場所だからだ。


「だが――」


官房長官は、

次の言葉を少し遅らせた。


沈黙が、

わずかに伸びる。


この間は、

原稿には残らない。

議事録にも書かれない。


だが、

全員がここで

同じ未来を想像している。


輸入が途切れる未来。

契約という言葉が

意味を失う未来。


未来を想像することは、

政治にとって危険だ。

未来は責任を要求する。


「この数字は、

 “未来を保証していない”」


経産省の局長が、

それを待っていたかのように頷く。


彼は、

この場で唯一、

「数字が嘘をつかないこと」を

信じていない人間だった。


数字は正しい。

だが、

前提が壊れた瞬間、

正しさは役に立たなくなる。


それを、

彼は何度も見てきた。


バブルも、震災も、

統計の“正しさ”が現実を救わない瞬間を、

現場で見てきた。


「はい。

 我々が今見ているのは、

 “過去に積み上げた在庫”です」


モニターの一角が拡大される。


「輸入。

 契約。

 国際市場」


どれも、

“続いている前提”で

成り立つ言葉だ。


続いていることを

誰も確認できなくなった瞬間、

これらは過去形になる。


「世界が繋がっているという前提が崩れた以上、

 この数字は慣性にすぎません」


「脅しに聞こえるな」


外務省の幹部が言った。

意図的に、少し強い声で。


強い声は、

外務省の防波堤だ。

経産の数字が“現実”を持ち込むほど、

外務は“言葉”で押し返す。


外務省にとって、

数字は“交渉材料”だ。

脅しに見える数字は、

相手を硬化させる。


数字は、

信頼されて初めて

意味を持つ。


信頼されなければ、

それは圧力になる。

圧力は、

外交を壊す。


「事実です」


局長は即答する。


声を強めない。

視線も動かさない。


この場で

感情を見せる理由がない。


「燃料は湧きません。

 資源は国内で完結しません」


沈黙。


誰も、

それを否定できない。


否定すれば、

代替案を示さなければならない。


誰も、

その準備はしていない。


準備がないのではない。

準備をした瞬間に、

「危機を想定した」と記録される。


記録は、

後で刃になる。


「つまり」


官房副長官が言葉を継ぐ。


彼の役目は、

衝突を言い換えることだ。


刃を、

布で包む。


「我々は、

 “いつまで持つか分からない状態で

 安定している”」


「はい」


誰も笑わない。


安定、という言葉が

ここでは最も不安定だった。


安定しているのに、

安定の説明ができない。

説明できない安定は、

政治的には不安定そのものだ。


「オーストラリアは?」


官房長官が問う。


この名前が出た瞬間、

全員の背筋が、

わずかに伸びる。


この国は、

もう単なる同盟国ではない。


「世界を先に見てしまった国」だ。


そして、

見たものを

“黙っていられない国”でもある。


防衛省連絡官が答える。


「接触は継続中です。

 確認飛行、情報共有、

 すべて事前連絡あり」


「要求は?」


「要求という形ではありません」


一拍。


「我が国の資源依存構造を

 正確に理解した上での提案です」


この言い方自体が、

外交文書的だった。


脅さない。

だが、

分かっていると示す。


“分かっている”は、

最も強いカードだ。

切られた側は、

もう知らないふりができない。


「提案?」


「単独での世界探索には限界がある。

 特に、

 エネルギー動線と資源海域の確認には

 日本の協力が不可欠だ、と」


外務側が口を挟む。


「それは、

 “日本は断れない”と言っているのと同じだ」


外交は、

言葉にされていない意図を

最も警戒する。


そして外務省の幹部は、

“官邸が追い込まれる構図”を

何より嫌う。


追い込まれた官邸は、

外交を犠牲にする。

犠牲にされた外交は、

外務省の敗北として刻まれる。


「言っていません」


連絡官は淡々と返す。


「言わなくても、

 分かるだろうという態度です」


空気が、

わずかに張りつめる。


それは圧力ではない。

だが、

逃げ道を削る話し方だった。


削られているのは、

日本の逃げ道ではない。

官邸の逃げ道だ。


「受ければ、

 日本は“資源を盾に協力した国”として記録される」


外務幹部の声には、

明確な警戒があった。


記録は、外交の敵だ。

外交は、後から読まれる文章に弱い。

“盾にした”と書かれた瞬間、

善意も取引になる。


「だが受けなければ、

 数年後に

 “現実を直視しなかった国”になる」


経産側が即座に返す。


経産省にとって、

記録よりも

“持つかどうか”が問題だ。


この差が、温度差だ。

外務は「評判」を恐れ、

経産は「枯渇」を恐れる。


恐れているものが違うから、

議論が噛み合わない。


「どちらも、

 後世の評価は最悪だな」


誰かが呟いた。


それは冗談ではない。

事実だった。


官房長官は、

そのやり取りを遮らなかった。


遮る理由が、

どこにもなかった。


ここでは、

誰も正しくない。

だが、

誰も間違ってもいない。


政治とは、

正しさで勝つ場ではない。

負け方で負けない場だ。


「……整理しよう」


ゆっくりと言う。


「オーストラリアは、

 我々に“探索”を求めているのではない」


「はい」


「“一緒に確認しよう”と言っている」


沈黙。


この言い換えで、

空気が一段変わる。


探索ではない。

確認だ。


それは、

未知に踏み込む行為ではない。

現実を否定しなくなる行為だ。


否定をやめると、

政策が必要になる。

政策が必要になると、

予算が要る。

予算が要ると、

責任が落ちる。


誰が受けるのか。

それが、官邸の本題だ。


「それは協力だ。

 同時に、

 我々の弱点を踏まえた提案でもある」


「拒否は可能か?」


誰かが問う。


官房長官は、

すぐには答えなかった。


「形式上は可能だ」


一拍。


「だが、

 拒否した後に起きることを

 説明できる者はいない」


誰も手を挙げない。


説明責任は、

誰も引き受けたくない。


説明とは、

未来を断言することだ。

今この部屋にいる誰も、

未来を断言できない。


できないのではない。

断言した瞬間に、

責任が確定するからだ。


「……つまり」


官房長官は、

静かに結論を置いた。


「決断はしない」


誰かが顔を上げる。


決断をしない、は

無策ではない。

官邸では、

立派な策だ。


「だが、

 準備は止めない」


経産側が息を呑む。

外務側が、僅かに眉を動かす。


経産は、準備を「前進」と見る。

外務は、準備を「既成事実」と見る。

官邸は、準備を「保険」と見る。


同じ言葉が、

省庁で別の意味を持つ。


「協力も、

 拒否も、

 まだ言葉にしない」


「だが、

 断絶もしない」


それは、

逃げにも見える判断だった。


だが、

この場にいる全員が理解していた。


今ここで決断することの方が、

よほど危険だということを。


決断は、

国内に波を立てる。

波は、メディアを呼ぶ。

メディアは、言葉を要求する。

言葉は、世界を固定する。


固定した世界は、

外れた時に致命傷になる。


「準備を進めろ」


官房長官は言う。


「エネルギー。

 資源。

 探索。

 すべてだ」


「表には出すな」


「だが、

 引き返せなくなるところまでは行くな」


矛盾した命令。

だが、

政治とはそういうものだった。


矛盾は、

責任の分散でもある。

誰かがやりすぎても、

誰かが止める。

止めた者も、命令に従ったと言える。


会議は、

結論を出さないまま終わった。


誰も立ち上がらないまま、

各自が

“自分の省に持ち帰る言葉”を

頭の中で選び始めている。


それぞれ、

違う説明を用意する。


同じ事実を、

違う言葉で包む。


経産は「リスク管理」と言い、

外務は「関係維持」と言い、

防衛は「現場安全」と言い、

官邸は「検討」と言う。


検討は、最も便利な言葉だ。

何も決めずに、

動いているように見える。


空は、

まだ何も語らない。


だが、

燃料と資源は、

沈黙を許していない。


オーストラリアは、

それを理解した上で

待っている。


日本は、

理解した上で

答えを出さない。


そしてその間にも、

世界は

確実に“確認されつつあった”。


決断は、

先送りにされた。


だが、

先送りされた決断ほど、

後で高くつくものはない。


――それを知っている者たちだけが、

この部屋に残っていた。

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