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星が重なる日  作者: 橘花


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18/19

17.確認飛行

最初に違和感を覚えたのは、

レーダーでも、

航法装置でもなかった。


空域の――

手応えだった。


それは、

計器に現れる類の異常ではない。

警告灯は沈黙し、

注意喚起音も鳴らない。

モニターに並ぶ数値は、

どれも教範の想定範囲に収まっている。


だが、

長く飛んでいれば分かる。


空には、

数字になる前の段階がある。


表示される前、

記録される前、

報告書の文言になる前の、

身体だけが拾う違和感。


この空は、

いつもと同じ数値を返してくる。


同じ速度。

同じ高度。

同じ気圧。

同じエンジンレスポンス。


操縦桿を引いたときの反力も、

スロットルに対する推力の立ち上がりも、

すべて教範通りだ。


反応は素直。

遅れもない。

癖もない。


何一つ、

「異常」と呼べるものはない。


それなのに、

どこかが噛み合っていない。


――「奥行き」が違う。


空が薄いわけではない。

密度が変わったわけでもない。

乱流が発生しているわけでもない。


だが、

この先へ進んだとき、

何が起きるかを

身体が予測できない。


通常なら、

操縦桿を握った瞬間に

次の一秒が見える。


この高度で、

この速度なら、

こう動く。

こう戻る。

こう収まる。


その連なりが、

無意識のうちに組み上がる。


だが、

その「次」が見えない。


未来が白いのではない。

霧があるわけでもない。

ただ、

線が引けない。


それは、

パイロットにとって

最も信用できない感覚だった。


オーストラリア空軍機、F-35。

単機。

高度は抑えめ。

速度は巡航域。


武装は標準。

実弾搭載。

だが、

威圧も示威も、

最初から想定していない。


任務名は、

ただの「確認飛行」。


敵を探す任務ではない。

脅威を排除する任務でもない。


――空がおかしい。

それを、

実際に飛んで確かめる。


それだけの任務だった。


転移以降、

オーストラリア側でも

同じ異常は続いている。


通信は成立しない。

だが、

妨害されている感触はない。


ノイズはない。

遅延もない。

遮断された痕跡もない。


レーダーは生きている。

IFFも、

航法装置も、

エンジンも、

すべて正常だ。


異常は、

「どこにも出てこない」。


それが、

最も不気味だった。


異常は、

表示されない。

記録されない。

報告書に書けない。


書こうとした瞬間、

「何も起きていない」と

言葉が引き戻される。


それでも、

航法データは

徐々に意味を失っていく。


ズレているのではない。

合っている。

完全に合っている。


現在位置も、

進路も、

予測位置も、

すべて正しい。


計算は正確だ。

誤差もない。


――合っているのに、

「次」が繋がらない。


地図の上では

確かに存在するはずの線が、

現実の空には現れない。


そこへ進めば、

次があるはずなのに、

身体がそれを信じきれない。


その感覚だけが、

少しずつ、

しかし確実に積み重なっていく。


それが、

最も厄介だった。


進路は南。


通常なら、

この方向には

何も起きない。


地図上では、

ただの空と海。

軍事的にも、

政治的にも、

「確認の必要がない方向」。


脅威も、

警戒対象も、

想定されていない。


あるとしても、

氷と雲ぐらいだ。


少なくとも、

迎えが出てくる空ではない。


だから、

緊張はしていなかった。


警戒はしている。

だが、

戦闘の準備はしていない。


心拍は安定している。

呼吸も乱れていない。


この空は、

危険ではない。


少なくとも、

そう振る舞っている。


だからこそ、

気持ちが悪い。


「……コンタクト?」


その言葉が、

自分の口から出たことに、

一瞬遅れて気づく。


レーダーに、

新しい反応。


単独。

高速。

だが、

突っ込んでこない。


こちらの進路を横切らず、

距離を保ち、

速度を合わせてくる。


高度も、

詰めすぎない。


間合いの取り方が、

あまりにも整っている。


この距離感は、

知っている。


迎撃だ。

だが、

敵対の迎撃ではない。


IFF応答はない。

識別コードも拾えない。


それなのに、

相手は迷っていない。


進路も、

速度も、

「こちらを理解している」動きだ。


――軍用機だ。


理由は説明できない。

だが、

訓練で叩き込まれた感覚が、

即座に結論を出す。


これは、

民間でも、

無人機でもない。


「……来るな、これは」


声に出す必要はない。

機体はもう、

相手を捉えている。


次の瞬間、

通信が入る。


形式的な英語。

聞き慣れた、

だが、

この数か月、

完全に消えていた調子。


“Unknown aircraft approaching Japanese airspace.

This is Japan Air Self-Defense Force aircraft.

State your intention.”


一瞬、

思考が止まる。


日本。


その単語が、

頭の中で

音を立てて崩れた。


南だ。

こちらは南へ飛んでいる。


この方向に、

日本があるはずがない。


地理の問題ではない。

常識の問題だ。


世界の前提が、

一つ、

音を立てて外れた。


「……確認だ」


自分に言い聞かせる。


侵入ではない。

追跡でもない。

威圧でもない。


だが、

「確認飛行」という言葉は、

この瞬間、

急に軽くなりすぎた。


“Japan Air Self-Defense Force aircraft,

this is Royal Australian Air Force aircraft.”


自分の声が、

妙に現実的に聞こえた。


それだけで、

何かが

確定してしまった感触がある。


視界の端に、

相手の機影が入る。


近づきすぎない。

離れすぎない。


武装は標準。

姿勢は安定。


同じ訓練を受けた空だ。


この距離感は、

間違いようがない。


「……この空、

 本当に続いてるな」


誰に言うでもなく、

そう思う。


互いに、

照準を向けない。


だが、

背中も見せない。


これは、

警戒ではない。

威圧でもない。


確認だ。


――空が、

本当に一枚で繋がっているのか。


――沈黙が、

同じ沈黙なのか。


日本機は、

必要以上に近づかない。


だが、

離脱もしない。


その態度に、

はっきりした意図を感じる。


慎重だ。

だが、

拒絶していない。


交信は短い。


現象について、

深く踏み込まない。


仮説も出さない。

評価もしない。


日本は、

沈黙を守る国だ。


それが、

空の上からでも分かる。


一方で、

こちらは思う。


――確かめないと、進めない。


オーストラリアは、

沈黙を検証する国だ。


どちらが正しいかは、

まだ分からない。


だが、

一つだけ確かなことがある。


この南の空に、

国家が現れた。


それも、

存在するはずのない場所に。


それは、

安心でもあり、

同時に、

取り返しのつかない兆候だった。


操縦桿を握る手に、

力を込める。


これは、

単なる確認飛行では終わらない。


この先、

何度も飛ぶ。


そしてそのたびに、

誰かに見られる。


見られれば、

知られる。


空は、

もう閉じていない。


それを、

最初に理解したのは、

政府でも、

研究者でもない。


この高度で、

この速度で、

この距離を飛んでいる

自分たちだった。


空は、

静かだった。


だがその静けさは、

もう

元には戻らない種類のものだった。

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